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(うわァァァ怖いーッ!
だけど、逃げないって決めたから!知っているから、レンナートの覚悟を…そして、私も覚悟したから!)
*
王城でシルヴィアから吸血姫のことを教えてもらった時、もう一つ聞かされた話があったーーー
「吸血姫…それが真相なのね。私に誤解を与えて辛い思いをさせている、か…。辛いよりも寂しい。
最近考えちゃうの、私はこの世界の異物でレンナートと本当に出会うはずだった女性を邪魔しているのかも知れないなんて…」
「でもレンナートが見ているのはアリスでしょ?」
「ん。そう、いつもそっと私を見てるの、あの人。ふふ、枯れちゃいそうに苦悩してる人に励まされてるの。
シルヴィア、きっと大丈夫だよね?うまくいくよね?
だって、この世界恐ろしいほどのご都合主義なんだし。私がどこからきたとか公爵家の当主の嫁が私でいいのかとか全部すっとばしちゃうほどなんだし。今回もどーんと発動してくれちゃうかな?」
クスクス笑いながら紅茶を啜っていると、シルヴィアが
「………あのね、アリス。これ。アリスはちゃんと知っておくべきだと思う」
と、スコーンを口に放り込みながら「耽美じゃん」と言っていた口調から一転して随分真面目な声でそう話を切り出した。
差し出されたのは一枚の羊皮紙。羊皮紙は貴族の正式な証明書類などに使われる紙だ。
シルヴィアはティーカップをよけて場所をつくると、羊皮紙をテーブルに置き指で文字を差し示す。
「アリスは、レンナートのお母様の弟つまりレンナートの叔父さんの娘ってことになってるの。この方はもう亡くなっているけどね」
シルヴィアが差し出したのは初めて見る私の出生証明書だった。
貴族の証明書の類いには特別な技能を持った書記が文章を書く。羊皮紙には流麗な筆記体で、名前の欄に確かにレンナートのお母様の家名が入った見慣れない私の名前が書かれていた。
「え?」
訳が分からず間抜けな声が出た。
「レンナートの叔父さんは奔放な方でいろんな国へよく旅をされていたの。ある国で病死されたんだけど、この出生証明書には叔父さんはその国の地方貴族の娘と結婚してあなたが生まれたことになっているの。
遠い外国での国際結婚ならあなたの日本人顔の容姿が母親似だと言えば説明がつくし。
つまり、戸籍上はレンナートとあなたは従兄妹ね。この世界でも従兄妹婚は問題なく認められているわ」
心臓がドキドキとうるさい。
「私…そんなこと全然聞いてない…」
「でも、どういうことか分かるわよね?」
シルヴィアは小さい子を諭すように優しい声で、でも、私がそれを理解できて当然という目をしている。
「あなたが社交界に受け入れられて、堂々とレンナートと結婚出来るのは彼があなたの身分を整えてくれたから。
確かにこの世界はツッコミどころ満載でご都合主義なことがわんさかあるわ。
でもこの世界だって、王を戴く王国で身分のない女性が公爵家当主の妻になんかさすがに世間が受け入れない」
目の前にある羊皮紙を食い入るように見つめた。
相変わらずドキドキと動悸がうるさい。耳からシルヴィアの声が流れ込み頭の中でグルグルしている。
「こんなことは本来犯罪だわ。
でも、レンナートには一族に深く詮索させない権力と実力がある。
王家が見て見ぬふりをするのはこの国にレンナート・エリク・ローゼンエストが必要だから」
膝に置いた手が震える。
「レンナートは……いつも甘い言葉吐いて、私を甘やかして……。こんなことまでして…、こんなことしてしまったらっ…」
「……レンナートって公爵家の嫡男で一人っ子でしょ?だから周囲の期待の度合いが半端なかったって想像できるよね?
ただでさえそんな環境なのに、彼が十六歳で成人してすぐにお父様が亡くなられて、家督を継いでお母様もサポートされていたけど後を追うようにご病気で亡くなられた。
残された若き独身公爵に有象無象が群がったわ。レンナートがお兄ちゃんにある時独り言みたいに言ったんだって、『たった一人でいい。神は与えてくれないだろうか』って。
ある日突然空から落ちてきたアリスは、彼の願いそのものなのよ」
「でもっ!……亡くなった人の戸籍まで汚して。こんなことして世間は納得させられても、レンナート自身は納得して生きていけるの?
何よりあの人自身が、私が得体の知れない人間だって知っているんだから、途中で嫌になっても取り返しがつかないんだよ!?」
「レンナートが一時の高揚でこんなことをする人だと思わないでしょ?あの若さで公爵家当主と誰もが認める人でしょ?
あなたは世界中で彼の唯一なの。彼はきちんと覚悟を持ってアリスを守ろうとしているのよ。
他の女性との物語なんてないの。彼のアリスを想う気持ちと覚悟を疑わないで」
「うぅぅぅ~レンナート~」
「よしよし、泣かないで。それに、公爵家の使用人たちもアリスを受け入れているのは決してご都合主義なんかじゃないよ。
彼らにも心はある。アリスをちゃんと見ている。
使用人に対して傲慢にならなかった。メイドの仕事をさせられてもくじけなかった」
「それは、人として当然でしょ?!お世話してくれる人たちに傲慢になんかなれない。それにメイドの仕事っていっても大したことしてない」
「アリスの中では当然であったり、大したことでなかったとしても、彼らにとってはアリスを信頼するには充分だったのよ。
本性隠してうまく立ち回る子だったら、いきなりメイドになって働けって言われたとき素直に頷けないんじゃない?屋敷の実務を把握するには実際働くのがてっとり早いってメイド長は言ったらしいけど、本当のところはあなたの心根を見極めたかったのよ。
彼らの信頼を得ていて、彼らはアリスを認めているの。彼らの主人として自信を持ちなさい」
そう言ってくれたシルヴィアは本当に美しく微笑んだ。
「シルヴィアとは同い年だけど、中身が私よりうんと年上でよかったよ」
「オバちゃん扱いしないで」
「ごめ~ん」
まだまだ自分は子供なんだと痛感する。
うわべのことしか見えなくて、人それぞれにちゃんと『思い』があるのに思いやれていない。
こんなことじゃ、ダメだ。私は、レンナートについていける『女性』になりたいと思った。
一緒に歩いていける、そういう女性にならなきゃダメだと思った。
*
シモネッタに見つめられ恐怖から逃れるように視線を剥がし、メイド長の両腕を強く掴む。
体の震えを隠すために服に皺ができるほど握りしめる。
「メイド長、あなたやレンナートの気遣いを無駄にしてごめんなさい。
私を守るためだけなら屋敷に押し込めておけばいいのに、私が仕事するって言ったからわざわざ護衛までつけてくれたんだよね。
…ああ、このカウンターの中も異変が起これば私が隠れられるように、逃げやすいようにするためだったんだ」
(ダメだな。また意味を見逃すとこだった。)
「メイド長、私、ここでやらなきゃならないことがあるの。
短慮で無謀に見えるかもしれないけど、ちゃんと『分かっている』から。いまここから逃げ出すわけにはいかないの。私を信じて無茶な命令を聞いてくれる?」
(シルヴィアが言うように、私は本当にこの人たちの信頼を得ているのかな。)
「ここにいるみんなで手分けして、残った方々を引きずってでも連れ出し、あなたたちはそのままここから避難しなさい」
「アリス様…」
私はそれだけ言うと、メイド長の袖を離し素早くカウンターを出た。
真っ直ぐ見た先ではレンナートが驚愕の表情で私を見ていた。
レンナートの命令通りにしなかったことを後で謝らないとと思う。
メイド長たちにもう一度命じる。
「早く行きなさい!」
みんながカウンターから飛び出し、会場で逃げ損ねている貴族たちを力づくで引っ張りながら避難させる。
シモネッタや吸血鬼たちは避難する者たちの動きに全く感知しない。
彼らの視界に入っているのは、国王陛下たち、レンナートたち、そして私だけ。
むしろ、これからのお話に関係ない邪魔者はさっさと退場しろということだろうか。
手を拳に握り、膝が震えないよう力を入れて立ち、私はシモネッタを睨みつけた。




