第44話:青の魔宝陣
気絶から意識を取り戻したアネモネは右腕の激痛に耐えながら、それでも何とか考えを巡らせていた。
私はオッド・アイが原因で、聖と悪、2面性の象徴として、子供の頃から周囲に隔意を持たれて過ごしてきた。
物心付いた時から、抱きしめられた記憶など1度も無い。
ましてや口移しで水や食事を頂いたことなど、想像すらしたことも無い。
そんな私を、カノン様は洗って下さり、拭いてくださり、服を着せて下さり、抱きしめて下さり、裸の胸に触れて胸あてを作ってくださり、色々汚れた股間を丁寧に拭って下さり、口移しで水や食事を与えて下さった。
生まれて一度として、これ程大切に扱って頂いたことは無い。
両親にすら、無い。
10才を少し過ぎた時には、その親からも捨てられ、カンターク教会に預けられた。
修道女となって以来、親も兄弟も親戚も、一度として会いに来てくれたことは無い。
私が誰かと接するのは、司祭様を初めとする極少数の教会関係者か、互いの顔が見えぬよう低い壁で隔てられた懺悔室で町人の懺悔を聞く時位だった。
懺悔の内容は様々であったが、私も一応年頃であり、どうしても性に関することが記憶に残ってしまう。
カンターク教は、生殖の為の行為、愛情を確かめ合うための行為は認めていたが、快楽の為だけの行為、生殖を伴わない同性間での行為、近親間での行為を禁じていた。
すると当然懺悔の内容は、快楽の為だけの行為、生殖を伴わない同性間での行為、近親間での行為の事となってしまう。
だから私は、女性の身体のあんな所だけでなく、生殖を伴わないこんな所やそんな所でも男性を喜ばせる事が出来るのを知識としては知っている。
そして又、私は忌み嫌われるオッド・アイで有る為、そんな知識が自分にとって何の役にも立たない事もよく理解している。
自分の唇や舌や乳房や太ももの付け根のあんな所やこんな所が、男性の視線に晒されたり、男性の手で触れられたり慰められたり、男性の唇や舌で愛して頂いたり、ましてや話に聞く自分の初めてを奪ってくれる男性が現れる事など有り得ないのだ。そう思いあきらめていた。
愛する男性に嫁ぎたい等と贅沢は言わない、ただ1度抱きしめて愛してもらえれば良い。私が男性と添い遂げる等と言う事は、奴隷が貴族と結婚するより不可能な話だからだ。
奴隷ですら金銭的に解放されれば自由民となり、貴族の愛妾として娶られる事もあると聞く。だが自分のオッド・アイは、いくらお金をかけようと消えることはない。だから男性からの寵愛を受けるには、自分は奴隷以下なのだ。
その証拠に、親も兄弟も親戚も、誰も私に会いに来てくれないではないか。肉親にすら愛されていないのに、男性からの寵愛を受ける事などとても考えられない。
肉親にすら愛されていない。それでも、いや、それだからこそ、私は親や兄弟や親戚が暮らすナハルド公国を愛して止まない。
その愛国心だけが、私と肉親を繋ぐ唯一の絆であるからだ。
傷の痛みにたえ、ベッドに横たわるしか出来ないアネモネの思考は取りとめも無くうつろう。
私を抱きしめるほど愛してくれた人は、肉親ですら1人も居なかった。
この先も男性に愛される事など無く、修道女として枯れて行くものだと思っていた。
でも、カノン様は違った。
男性でないのが少しだけ残念だけど、湯浴みで裸の私を抱きしめ、私に口付けを下さり、私の裸の胸に触れ、私のむき出しのあの部分をきれいにして下さった。
そんな事、一生される事が無いとあきらめていた全てを、カノン様が下さった。
私は今、カノン様に買い取られた身分だ。
カノン様は私を隷属させず、解放なさると仰っている。
これだけ大切に扱っていただいた後、解放されてしまうのなんてむしろ残酷だと感じる。
でも、いつ倒れるか分からない怪我を追ったこの身体、顔の半分を火傷で失った醜い女に、カノン様の従者たる資格など無い。
あの赤毛の彼女、コスモス様ほど美しくなければ、カノン様の従者は務まらないのだろう。
コスモス様はカノン様のお言葉を理解できる。その上で心話までお使いに成る。
私には無い火の魔宝でカノン様をお守りできる。
私にできるのは精々風魔宝でカノン様をお連れして逃げる事だけだが、コスモス様も風魔宝をお使いになられる。
つまり、私など居なくてもコスモス様がいればカノン様はお困りにならない。
そんな事は分かってる。
それでも私を捨てないで下さい、隷属して下さいと懇願したくなる。それを、必死にこらえている。
私がナハルド公国だけでなく、カイン王国の言語も読み書きが出来ると申し出たら、捨てないで頂けるのだろうか・・・?
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アネモネは本当に優れた精神感応ESPであった。
次に目を覚ました時、空間を漂う意識の残滓を感じ取っていたのだ。
「カノン様?、カノン様ぁっ!!」
・・大丈夫だよ、コスモス、心配しないで・・
・・ボクは感染なんてしていないから・・
・・少しだけ休めば、きっと元気になるから・・
(・・・カノン様がお倒れになった?!、カノン様を感染させてしまった?!、私が口移しをせがんだせいで、私の菌をカノン様に移してしまった?!)
アネモネは聡明な娘だった。
菌が作り出す毒によるショック症状は、何人かに1人が死亡するという恐ろしい病気と理解していた。
死亡率で言えば黒死病に匹敵する。
そしてカノンに移してしまったのならば、それはカノンを命の危機に陥らせる事なのだと、正確に理解していた。
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もともと過労が原因だったのだ。ベッドで少し休んだら、カノンはすっかり元気を取り戻した。
カノンと心を溶け合わせているコスモスも、それを敏感に感じ取っていた。
そう、カノンの体調は何も問題は無かった。後はアネモネが回復するのを待つだけだ。
カノンはアネモネの心理的負担を少しでも減らそうと考えていた。
体力回復に集中してもらうためだ。
彼女の売買契約書、隷属契約書を見せたのもその為である。
アネモネは身1つでこの宿に連れて来ている。契約書を渡してもしまっておくカバンを持ち合わせていない。だから2枚の契約書は、大切にカノンの旅行カバンに仕舞われている。
それでも約束の1つ目、アネモネを解放する意思を示すため、契約書を一旦アネモネに渡したのだ。
カノンは今、2つ目の約束を実行しようとしている。
つまり、アネモネに回収した2つの魔宝石を返却するのだ。
万が一にも魔宝石を取り上げるとアネモネに誤解されないよう、指先や耳元が隠れてしまうローブや帽子を脱ぎ、聖の首飾り、右手3石の指環、左手3石の指環、両耳に耳飾を付け、自分にはこれ以上魔宝石が必要ないことを明示する。
そして念の為、『節制の胃袋』から『絶縁の刃』と『聖縁の短剣』の2本の短剣を取り出し腰ヒモに収める。魔宝石と魔宝具のフルセットだ。これで誤解されないだろう。
コスモスにもローブを脱がせ、右手の『火のルビー』、左手の『風のサファイヤ』がはっきりと見えるようにする。
これでいい。
雑貨屋で買った小さな皮袋の中には、殺菌消毒済みのアネモネの魔宝石、『生のエメラルド』と『風のサファイヤ』が入っている。
これをアネモネにお返しすることで、彼女の心労がさらに軽減されるだろう。
左手に皮袋を持ち、アネモネのベッドサイドに立つ。
コスモスはボクの後ろに控え、そっとボクに触れている。
アネモネは精神感応力が強い魔宝使いだ。意識が明瞭な時にコスモスと触れ合うと、あまり伝えたくない事まで伝わってしまうかもしれない。その為、コスモスにはボクの身体を一回クッションに挟んでから接触テレパスを使うようにさせているのだ。
ボクは右手で、アネモネの火傷のない美しい左ほほに触れる。
・・アネモネ・・
(はい)
・・起きていましたか?・・
(...はい)
・・お約束通り、貴女の魔宝石をお返しします・・
(...)
・・この皮袋に入っています。受取ってください・・
皮袋を差し出すと、アネモネは無事な左手でそれを受取った。
自分の魔宝石なのだ、袋の上からでもそうだと分かるのだろう。中身を確認しようとはしない。
(カノン様は本当に、私ごときの魔宝石は不要なのですね?)
・・何を言っているのですか?・・
(奴隷の魔宝石は主の物。この2石は本来カノン様の物でございます)
・・アネモネ。前にも話しましたが、私は貴女を隷属するつもりはありませんよ・・
(カノン様には、私ごときは不要なので御座いますね?)
・・アネモネ。私は貴女を隷属したくはないのです・・
(...あぁぁ、やはりそうなのですね!、私ごときはカノン様のお側に仕えるのにふさわしくないと仰るのですね!!)
突然、アネモネの口から言霊が爪弾かれた。
「xxxxxx」
「ナハルド公国語です!」コスモスが教えてくれる。
アネモネの左手の皮袋が光り、そして見開かれたアネモネの青の左目を中心に風魔宝、青の魔宝陣が展開された!!
この弱りきった身体で、アネモネは風魔宝を使おうとしている。
何をするつもりなんだ??!
カノンはアネモネの身体にしがみ付き、接触テレパスで叫ぶ。
・・何をするつもりですか?!・・
(風魔宝で飛びます。1人で逝かせて下さい!)
・・ダメです!!・・
(カノン様は私ごときの為に、命を懸けて口移しで水を与えて下さいました!!)
・・貴女を助けるためです!・・
(では、もうこれ以上カノン様に病気が移ることの無い様、私1人が死に行く事をお許し下さい)
・・ダメです!!・・
(カノン様は私に命を懸けて下さったのに、私がカノン様の為に命を懸ける事をお許し下さらないのですか?!)
・・アネモネ!!・・
カノンは腰に差した『聖縁の短剣』を引き抜くと、展開したアネモネの青の魔宝陣につきたてた。
その瞬間、魔宝陣が霧消した。
『絶縁の刃』が物体の分子間力を絶縁するように、『聖縁の短剣』は呪文詠唱と精霊の結び付きを聖断するのだ。
ベッドに横たわるアネモネも、彼女に覆い被さったカノンも、どちらも泣いていた。
・・アネモネ・・
(はい、カノン様)
・・ボクの為に死のうとしたのですか?・・
(はい)
・・何故ですか?・・
(お分かりになりませんか?、カノン様のお役に立ちたかったからです!)
・・アネモネ・・
(はい、カノン様)
・・第5の治療法を試して見ましょう・・
「カノン様!それは!!」コスモスが会話に割って入ってくる。
・・ボクの為に命を懸けようとしてくれたアネモネを、もう見捨てる事も開放する事も出来ません。種族の刻印を刻み、生魔宝で治癒します・・
「カノン様...」
・・コスモス、貴女にはこれから残酷なお願いをする事になるでしょう。心苦しいのですが少し待っていて下さい・・
「...はい」
コスモスが思いつめた声で答える。
・・アネモネ・・
(はい)
・・恥ずかしい質問をしますが、正直に答えてください・・
(はい)
・・あなたは男性経験はありますか?・・
(は?)
・・今までに男性と性的なお付き合いが有りましたか?と聞いたのですが・・
(!とんでも御座いません。私はカンターク教の修道女でした。司祭様以外の男性とお話したことすらほとんど有りません)
・・そうですか・・
(何故、そのような事をお尋ねになるのですか?)
・・貴女を治療するに当たり、右腕の代わりに別の物を失ってもらう事になるからです・・
(右腕の代わり?)
・・はい・・
(何でしょうか?)
カノンが顔を赤らめる。
・・あなたの、純潔です・・
アネモネも顔を赤らめた。
(!!、カノン様、おかしな事を仰らないで下さい。そう言うのは、男と女の間でするものです!!女同士でそのような行為に及ぶなど、精霊様の教えに背きます!!背信行為です!)
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パンジーは確信していた。この魔剣『技の1号』に埋め込まれた火のルビーはコスモスの物である事を。
何故なら魔宝石を持って生まれてこなかった自分が、このルビーを仕込んだ剣を使って炎を起こせたからだ。
もちろん、この魔宝石の持ち主が既に故人で占有の刻印が消えている為、石がパンジーに身を預けた可能性も無くはない。
だが、それだけではこの事象「魔宝の訓練無しでパンジーが火炎魔宝を発動した」事の説明が付かないのだ。
持って産まれた魔宝石は占有の刻印が刻まれており、一般にその石を使った場合は石の力の100%、魔宝師の力の100%の魔宝を、通常の訓練で出せる様になると言う。
そして当然の事ながら、他人が占有している魔宝石は、占有者以外が魔宝を発動する事を認めない。
所有者が死亡し占有の解けた魔宝石は、占有の刻印消失とともに魔宝力を失うことが普通で、元の持ち主が引き出した力を100%とすると、厳しい石との同調訓練の末にようやく50%の力が出せるようになる程度と言う。
石との相性が悪く同調が取れない場合は、何をやっても無駄らしい。結局、自分の石以外は、あまり役に立たないことの方が多いのだ。
だが、何事にも例外がある。
血が濃く繋がった者同士であれば、占有の刻印が2人目の所有者と認めることが有るのだ。
その場合、通常の訓練で100%、訓練無しでさえ魔宝石との同調が取れているので魔宝を発動できると聞く。
パンジーは魔宝石を持たずに生まれてきた。その為、血統的には魔宝の才能を持つはずだが訓練無しに魔宝を発動できる魔宝石は無い。
しかし、この「火」のルビーは違った。パンジーが魔宝を発動する事ができるのだ。
なら、考えられることは只1つ。
このルビーはコスモスの物で、ルビーが所有者として、コスモスだけでなく血の繋がりの濃いパンジーを選んだという事だ。
この剣を渡されるとき、旦那様は魔宝石の持ち主に付いて何も言わなかった。
原則、魔宝石は魔宝使い奴隷と一緒に売られていく。
魔宝石だけが残るのは、魔宝石持ちが死んだ時、又は魔宝石持ちが石を持たずに逃げた時だ。
・・・なる程、「火」のルビーの持ち主がコスモスなのは納得がいった。では、「土」のトパーズは誰の物だったのだろう。
パンジーが聞く限り、魔宝石持ちで売られずに死んだのは、初代のオリジナルだけのはずだけど・・・まさかね。
オリジナルが使っていた石なら、自分にもその血が流れているので、土魔宝も訓練次第では使える様になるのかもしれないが・・・
いや、自分には関係ない。自分は戦闘奴隷だ、魔宝使い奴隷ではない。
コスモスを連れて帰ると言うこの仕事を終えた後、旦那様が自分に魔宝石をお預け下さるとはとても思えない。
奴隷にとって、夢を見る事は罪なのだ。
だから自分は夢を見ない。
旦那様の命に従って、淡々と仕事をこなすだけでいいのだ。
それが奴隷にとっての幸せなのだ。




