第28話:新月
「今日はとても疲れました。夕飯のすぐ後で桶湯をいただきたいのですが、大丈夫ですか?」
「あぁ、いいよ」
宿に戻って尋ねると、宿の主人は愛想良く、そう言ってくれた。
荷物を部屋に置いて1階の食堂のテーブルに着くと、「お嬢さんたちにはこっちだろう」と、暖かなホットミルクのカップが2つ運ばれてきた。
ちらほらと居る大人のテーブルには、ワインか何か、酒が運ばれているのだろう。
そして深めの木の器にたっぷりのシチュー、薄く切った雑穀パン、パンの上にはスライスしたチーズ。
ミルク、シチュー、チーズか。この辺りは酪農が盛んなのだろう。チーズはクーニエル村の物かも知れないな。
昨日までヘビの干し肉や昆虫の幼虫の焼き締めたものを食べてた身からすると、とんでもないご馳走に見える。
そして、ボクとコスモスの2人では、食事に関して遠慮しないというルールができつつある。
食事は基本2人で一緒に同じものを食べる、食べる量はボクが小食なので、ボクに遠慮せずにコスモスが必要なだけ食べる、そんなルールだ。
木皿のシチューを木の匙ですくって口に運ぶ。うん、おいしい。
コスモスの匙運びも、こう言う言い方は失礼だけどとても元奴隷とは思えないほど上品だ。
「コスモスは、とても上品に食べますね」
「はい、(声をひそめて)魔宝使い奴隷として売却される先は貴族様だろうから、相応の訓練は受けてきました」
「なる程」
悔しいけれど、少しだけロイド男爵に感謝する。コスモスの教育水準が高いのはそう言う訳か。
「コスモス、夕飯はとても美味しいのだけれど、全部は多分食べ切れません。残った分を、コスモスが食べてくれませんか?」
「はい、それは構いませんが、深夜にお腹が空きませんか?」
「多分大丈夫です。それに、まだ岩塩や干し肉や虫も残っています。お腹が空いたらコスモスにスープを作ってもらいます」
「分かりました。では、カノン様の分のシチューやパンも、頂かせてもらいますね」
美味しい食事を取りながら、外から見たらボク等はどう見えるのだろうか、と考える。
仲の良い姉妹?、小さな女の子の2人連れ?、男女の仲になったカップル・・・には見えないだろうな。
それにしても、サングラス無しの1日は目に厳しい。
サングラスが目立ちすぎるならエスキモーゴーグルを作るか?、遮光版に細いスリットを開けてそこから覗くタイプのゴーグル。木製だから、サングラスよりまだ少しはマシだろうか?
夕食が終わり、宿の主人にコスモスの口を使って声をかける。
「ご馳走様でした。とても美味しかったです。桶湯を運んでいただけますか?」
「あぁ、いいよ。今持っていくから先に部屋で待っていてくれ」
部屋で待っていると、コンコンとドアがノックされた。
「お嬢さん方、お湯を持ってきたよ」
宿の主人は右手の桶に熱い湯、左の桶に水を入れて持ってきたようだ。
洗い桶の中に、湯と水を両方入れる。
「ほい、これが1人分の湯だ。まだ少し熱いから、さめてから使ってくれ。すぐにもう1人分、運んでくる」
こうして、2つの洗い桶に2人分の湯が用意された。
宿の主人が出て行ったので、部屋の内側から鍵をかけ、ボク等は湯浴みの準備をする。そろそろ日も落ちるので、コスモスに『小さき灯火』を用意してもらった。
まずは買ってきた布地、コレを切って2枚のタオルを作る。コットンのシーツ地なのでタオルと言うより厚めの手ぬぐいの様だが文句は言うまい。パイル地はかさ張るので旅には不向きなんだ。
そして、硬石鹸。1辺が10cmの立方体で、まるで巨大なサイコロだ。『絶縁の刃』を使って2cm厚さに切る。今度は小さめの食パンみたいだ。更にソレを半分に切る。ようやく石鹸らしい2cm×5cm×10cmの板状になった。
最後に、ボクが手作りした桶。この中に、今日雑貨屋で買った『ヤギの第5胃』に貯めてきた水を入れる。水は、日中に街中の共同井戸から汲んできた。『ヤギの第5胃』は魔宝具なので、いくらでも水が入るし、いくら入れても重くならない。
桶の水をコスモスに温めてもらい、そこにワインビネガーを少量たらす。
「それは何に使うのですか?」
「石鹸で体を洗うと脂分が取れ、きれいになります。髪の毛も同様にきれいになるのですが、石鹸のアルカリ成分のせいで髪がキシキシします。それを中和するため、酸性のビネガー液で髪を濯ぐのです」
「アルカリ性?、中和?、酸性?、ですか」
「そうです。使ってみればコスモスも髪がキシキシと言う感覚がわかります」
「はい」
「では、最初に私が石鹸で髪を洗うので手伝ってください」
「はい」
コスモスに手伝ってもらい、最初に湯で素洗いして埃を落とし、次に石鹸を泡立てて髪を洗う。
石鹸の泡にコスモスは興味深々のようだ。
充分に洗ったら、湯で石鹸を丁寧に洗い流す。
「コスモス、今の私の髪を、指で梳いて見て下さい」
「はい。あ、髪の抵抗が大きく、指で上手く梳けません」
「では、このビネガー液で髪を濯ぎます」
「はい」
「では、どうでしょう。コスモス、指で髪を梳いて下さい」
「あ、今度は指通り滑らかに髪を梳くことが出来ます」
「本当はこの後油分を補う”コンディショナー”を使いたいのですが、まだ食用油しか入手できていないのであきらめます」
「はい」
「では、今度はコスモスの髪を洗いましょう」
「はい」
ボクが洗った洗い桶の湯を使い、今度はコスモスの髪を洗う。
コスモスは石鹸で洗った自分の髪に触れ、ビネガー液で濯いだ自分の髪に再び触れ、ボクの言った事を理解した。
お互いの髪をタオルで拭き合い、最後にコスモスの魔宝ドライヤーで髪を乾かした。
コスモスの体は、今日は新月の最終の5日、きれいな洗い湯1つを、彼女に残したのはその為だ。湯を好きなだけ使い、好きなだけ捨てられる森の中とは違う。
「コスモス」
「はい」
「これからコスモスの体を洗います」
「はい」
「コスモスの体は清潔な湯を必要としています。洗髪に使わず、きれいな湯の洗い桶を残したのはその為です」
「!」
「これは命令です。きれいな湯を使って、体を洗いなさい。その後石鹸を使い、洗うのを手伝います。私の体を洗うのはその後です」
「はい」
「あ、それと当て布は湯で洗ってはいけません。血液はお湯で洗うと凝固してしまいます」
「はい」
こうして2人で体を洗い、清めあった。
湯上りには新しいコット(下着・パジャマ兼用のくるぶし丈コットンワンピース)を卸して使った。本当は魔宝糸で耐魔宝耐物理効果をつけてから使いたかったのだけど、何日も着たきりの服を着るよりはマシだと思ったのだ。
ボクは本当にコットだけ、コスモスはコットと、その下にT字帯と夜用をつけた。
想像していた通り、コスモスの胸元には可愛らしいポッチが2つ浮かび上がっている。
この部屋にはボク等2人しかいないからいいか。
残り湯で、今まで着ていた服を押し洗いする。石鹸をきちんと洗い流せないが、汗まみれ・ほこりまみれよりはマシだろう。
洗い終えたらコスモスの魔宝ドライヤーで服を乾かしてもらう。
明日、外出するときはこちらの服を着るのだ。魔宝防御・物理防御の効果の無い服で外出するのは、追っ手が居るかも知れない状況を考えると避けねばならないからだ。
あと寝る前に、これだけはやってしまおう。
昼間購入した魔宝の遮蔽布を使って、ボクのローブに1つ、コスモスのローブに2つ内ポケットをつける。
ボクのローブの左胸には『心臓の扉』という強力な魔道具の内ポケットが付いている。だが心臓の扉は、魔宝具ならいくらでも入れられるが、魔宝具以外は入れることが出来ない。
つまり、魔宝的に守られた場所に財布をしまう事が今までは出来なかったのだ。
今回つけた隠しポケットは、ポケットの容量以上の物を入れることは出来ないが、遮蔽布を使っているので、持ち主以外からはポケットの所在が見えないし、そとから触っても分からない。
自分の財布、コスモスの財布、そしてコスモスの『ヤギの第5胃』をしまうポケット。自分達を守るた為にはこの程度は必要だろう。
コスモスをイスに座らせ、テーブルを挟んでボクもイスに座る。
テーブルの上に、今日買った4つの皮袋、そして持っている貨幣の全てを広げる。
大金貨が5枚、金貨が12枚、そして銀貨と大銅貨があわせて数十枚。
まず、1つの皮袋に大金貨3枚と金貨5枚、合計金貨35枚相当を入れる。
次に、1つの皮袋に大金貨2枚と金貨5枚、合計金貨25枚相当を入れる。こちらの袋には、サードクラスのダイヤも1つ入れる。
テーブルの上には金貨2枚と銀貨と大銅貨があわせて数十枚、これを半分ずつ残った2つの皮袋に分けて入れる。
そしてコスモスに、金貨25枚相当+ダイヤの皮袋と、金貨1枚と小銭の入った皮袋を渡す。
「コスモス、命令です。このお金とダイヤ1つ、そして『ヤギの第5胃』1つはコスモスが管理しなさい。その為の魔宝の内ポケットも付けました」
「カノン様、お持ちの現金の半分近くを従者に任すなど、とんでも御座いません」
「聞きなさい、コスモス。今まで現金や水は、私のローブのポケットで保管して来ました。そうですね」
「はい」
「では、私のローブが盗まれた場合、水も現金も処分できる魔宝石の大半も失ってしまいます」
「!」
「ですから、私はコスモスに現金の半分近く、換金できるダイヤを1石、水を貯められる魔宝の胃1つを預けたいのです。わかって頂けましたか?」
「はい、カノン様」
コスモスは立ち上がって自分のローブを取り、その内ポケットに皮袋2つと『ヤギの第5胃』、そして皮の鞘に収めたハンティングナイフをしまった。
ボクも自分のローブの『心臓の扉』に『ヤギの第5胃』を、新しく作った隠しポケットにお金の入った皮袋2つと果物ナイフ(勿論皮の鞘は付いている)をしまった。
魔宝の布で作ったポケットに入れたものは、外から触ってもその感触が手に届いたりしないので、今までの野宿ではローブに包まって寝た。
万が一の場合、このローブだけ持って逃げ出せば後は何とかなるので、宿のベッドでも、ローブをかけて眠ろう。
ボクが自分のベッドに横になると、当然の様に自分のローブと枕をもって、コスモスがボクのベッドへ来た。
1つベッドに枕を並べ、二人抱き合って寝る。
「新月の5日は今日が最後ですが、何もなさらずに宜しいのですか?」
「うん、久しぶりのベッドだし、今日は静かにコスモスと抱き合って寝たいです」
「あ、それとカノン様」
「何でしょう?」
「ツボ所では」
「ツボ所?」
「トイレの事です。ツボ所では、お釣りを貰わないよう気をつけて下さい」
「お釣り?」
「ツボの中で跳ね返ってお尻にお釣りを寄こすのです」
「うぇ」
「まず最初に、ツボ所に備えてあるワラクズをツボに撒きます。そして、備え付けの便座をツボに乗せ、用を済ませるとお釣りが来ません」
「なる程」
「時間がかかってワラが沈んだ場合、途中でワラを追加します。用が済んだら、ワラで後始末をするのが一般的ですが、カノン様はハギレを使われるので、そのハギレもツボに捨てて下さい」
「はい」
「ツボ所の隣に、手洗い場として水桶と手桶がありますので、手桶で水を汲んで手を洗ってください。手洗い場なら、水を捨てられます」
「分かりました、詳しいですね」
「夕食の配膳をかたずける時、宿のご主人に聞いたのです」
「助かります。気の利く女性を妻に出来て、私は幸せです」
「・・・あぁぁ」
2人抱き合い静かに眠るはずであったが、なぜか最後の新月の夜を満喫してしまったのだった。




