第9話 空中歩道ベランダの二匹の鳩
釈放され、取り上げられていた装備も取り戻した俺は警察署の外へと出た。
――ピピッ
コール音が響き、目の前の空間にホログラムの通信ウィンドウが立ち上がる。
依頼者の江利だ。
「カムイさん、警察の方にカムイさんが無事に釈放されたと聞きました。
大丈夫ですか?」
「えぇ、出ました。
問題ありません。
お気になさらず。
私はこういう事には慣れているので」
口ではそういったものの、精神的な消耗までは誤魔化せない。
画面の向こうの江利の顔にも、濃い疲労が影を落としていた。
彼女も母親の死や今回のりく君の危機、警察による事情聴取。
一般人には重すぎる一日だったはずだ。
「良かったです。
成功報酬は先ほど振り込んでおいたのでご確認下さい」
「ありがとうございます。
また何かあれば神威特異案件調査室をよろしくお願いします」
通信は終了した。
顧客との関係はこれで終わり、いつだってドライなもんだ。
そして今回の件が黒字になるかは怪しいところだ。
シルバーバレットで損傷させた床は確実に弁償することになるが、他のEAによる破壊がどの程度認められるか。
仕事をするという生き方では、こういった悩み事は尽きることは無い。
時刻はすでに20時を過ぎている。
嫌な事は一度忘れて、まずは腹を満たして休みたい。
ここからなら環状商業地区に隣接するサテライトビルが近い。
あそこに養殖海鮮の炭火焼きを食わせる店があったはず。
たしか『磯兵衛』と言ったか。
俺はサテライトビルへ繋がる、空中歩道へと足を進めた。
***
地上70メートル。
空中歩道は環状商業地区のメガビルと隣接するサテライトビルを繋ぐ幅20メートルほどの透明アルミのチューブのような空間だ。
その周囲にはソーラーツリー・ウィンドミルと呼ばれる枝が幾つも生えた木のような発電機がまるで人口の森が生い茂るように設置されている。
枝の先端には葉っぱの代わりにソーラーパネルで出来た箱型の小さな風車が幾つも回っている。
これで風力と太陽光で発電を行いつつ、高所のビル風による建物の微振動を押さえ、太陽光を『よしず』のように適度に遮って冷房電力の節約も行っていると聞いた事がある。
耳をすませば人々の会話や足音以外に、小さな箱型の風車があちこちで回転し続けるカラカラという音が響き続けている。
俺はふと空中歩道の端に移動し、手すりに両手をついてソーラーツリーの隙間からネオ東京の夜景を見下ろした。
視界を埋め尽くす大小さまざまなビル群。
それぞれのビルの無数の窓から光が漏れている。
無数の窓から溢れる光と、地表近くで蠢くネオンが、まるで人工の宝飾品のように煌めいている。
遠くでは100階以上あるメガビルが幾つもそびえたち、淡い光を放っている。
このすべてが人工物で、人々がその中で様々な人生を歩んでいる。
俺はこういう風景は嫌いではない。
人間が作り、人間だけで構成された世界は、少なくとも人間にとって優しいものだ。
しばらく無言で眺めていると、隣にあった公共情報端末が俺を検知し、ホログラムのアバターを浮かび上がらせた。
「こんばんは!
私はNAK(日本人工知能協会)の公共情報エージェントです。
何かお困りですか?」
そのアバターが纏うユニフォームにはNAKのロゴ、日本政府の紋章、そして見覚えのあるロゴが記されていた。
「ひょっとしてお前も、ネクサス・ダイナミクス製か?」
「その通りです!
私はすべての国民へ平等な情報環境を提供するため、日本政府の委託を受けてネクサス・ダイナミクス社が構築いたしました。
ご興味がお有りでしたら私が誕生し今に至るまでの歴史をご案内しましょうか?」
俺は再び夜景に向き直る。
「興味ないな」
「カムイ様は環状商業地区の警察署を出られてからまだお食事をとられていませんね?
これからお食事をされるのであれば最適なスポットを幾つか提案出来ます。
カムイ様が過去に8回訪問されたサテライトビルの『磯兵衛』もとても人気の高いレストランですが、同じ海鮮をメインとした店舗であれば環状商業地区・メガビルディング内にも多数ございます。
うち、261件がカムイ様の経済状況にマッチしたものになります。
3件はデザートにチョコレート・ワッフルもお召し上がりいただけますよ!」
心底うんざりした。
「俺はもう行く場所は決めてるんだ、勝手に提案するな。
それに勝手に人のプライバシーを探るな。
せめて、もうちょっとオブラートに包むことを知れ」
「失礼いたしました。
お食事の場所はお決まりなのですね。
これは法に基づいた利便性向上プログラムであり、カムイ様のご気分を害する意図はございませんでした。
ではカムイ様はネクサス・ダイナミクス社にご興味がお有りのようなのでネクサス・ダイナミクス社についての最新トピックをご案内いたします。
同社は就学児童や社会人による見学ツアーを受け付けており、取材への応対も事前のご予約が必要になりますが可能なシステムが御座います。
カムイ様はご存知と思われますが、八王子にあるHTPステーション元散田03駅が最寄り駅となり、本社ビルと工場の一部が見学対応可能です」
実はこの世界は、ある意味地獄かも知れん。
「もういい。何か普通のニュースは無いのか?」
「了解いたしました。
現在の主要トピックです。
香水ブランド『エーテル&オゾン』が新作の男性用香水『ペトリコール00(ダブルオー)』を発売しました。
日本政府はベーシック・インカムの割り当て率について、医療関係意思決定者の割合を0.5%上乗せすることを決定しました。
国際モータースポーツ連盟はEU産の超高速度・高トルクのモーター・タイヤ『Vanq・Speed』のレースでの使用規制を可決しました。
……」
「もういい。黙ってくれ」
「承知しました。
……オフラインに移行します」
ホログラムは煙のように消えた。
こういった社会の中流層が住む場所で流れるニュースは、俺が根城にしている下層スラムの人間が目にする世界と大きく乖離している。
『エーテル&オゾン』の香水なんてスラムではほとんどの人間が知りもしないだろう。
不法滞在者達にはベーシック・インカムなんて存在しない。
ふと視線を落とす。
(あれは……鳩か?)
手すりの向こう、透明アルミの壁越しに少し低い段になったベランダが広がり、多数のエアコンの室外機とソーラーツリー・ウィンドミルが並んでいる。
その室外機の隙間にゴミのような物が雑に積まれ、2匹の野生の鳩が身を寄せ合って眠っていた。
ネオ東京の熱帯夜でエアコン室外機に囲まれたあの場所は、人間にとってみれば地獄の暑さだろう。
だが彼らは人間が勝手に作った地形の中で、人間のシステムの外で生きている。
あの二匹は恐らくつがいだろう。
世界を共感できる仲間が隣に一匹居る……羨ましい事だ。
俺はどうだ?
生ぬるい管理社会と、過酷なスラム。
どちらの世界にも、俺はどこか強烈な違和感を抱えて生きている。
……自分の人生を、自分で歩んでいない。
……自分の行動を、自分で決定していない。
そういう違和感だ。
何がおかしいかは自分でも説明出来ないが、なぜか焦燥感だけは常に感じている。
あえてこんな危険な仕事を続けているのは、自分で生きている実感を求めているからなのかもしれない。
「……ふぅ」
しばらく鳩を眺めながら、ふと佐藤の依頼を思い出す。
ネクサス・ダイナミクスの件はネクサス・ダイナミクス社そのものと、警視庁が裏で繋がっている可能性が高い。
そんな中でAIの監視をかわして調査するには限界があるし、うかつに動くのはリスクが高い。
「その方面のプロに依頼するしかないか……」
一人、思い当たる人物がいる。
おそらく日本で五本の指に入る実力者。
情報屋ティアラ。
表向きは一流クラブで指名率ナンバーワンを誇る高級ホステス。
裏ではS級の情報屋。
かつてタイヨー・ホールディングスと山川組の抗争事件で関わったことがある。
あの時の莫大な報酬は、ほぼ全額彼女への情報料として消えていった。
だが、その仕事の精度だけは本物だ。
明日、連絡を取って見よう。
俺は手すりを離れ、サテライトビルへ向かって再び歩き始めた。
だが俺はこの時はまだ、密かに尾行して様子をうかがう者の存在には全く気付いていなかった。




