第65話 襲い掛かる、さらなる不幸
(青井佑太の母親視点)
あのバカ息子が、少年院に送致されてから――1日が経った。
たった、それだけ。
それなのに、家の中は別の場所みたいに静かだった。
テレビもつけていないのに、耳鳴りみたいな静寂が広がっている。
あの乱暴な足音も、ドアを叩きつける音も、意味のない怒鳴り声も――何もない。
(……やっと、いない)
胸の奥に、じわじわと軽さが拡がっていく。
長く押し潰されていたものが、ようやく外れたみたいだった。
それと同時に――
どこか、妙にスッとする感覚もあった。
あの「ばばあ」という呼び方。
我慢して何も言わなかった。
そうしたら、ばばあ呼びが常態化した。
それに、まさか学校で暴力を振るうなんて。
流石に擁護できない。
(……本当に、最低な子)
そう思いながら、ふっと息が漏れる。
ようやく、終わった。
そう、思ってしまった。
軽く化粧をして、バッグを持つ。
特に用事があるわけじゃない。
ただ、外の空気を吸いたかった。
玄関のドアを開けると、朝の冷たい空気が頬に触れる。
深く息を吸う。
肺の奥まで、冷たさが入ってくる。
(……これで、普通に戻れる)
そんな都合のいい考えが、頭をよぎる。
鍵を閉め、ふと視線を落とす。
ポスト。
何か入っている。
(……郵便?)
手を伸ばす。
指先に触れた瞬間、違和感があった。
紙が、やけに硬い。
取り出す。
白い封筒。
厚みがある。
そして――
左上に、赤い文字。
『内容証明』
(……は?)
一瞬、意味が入ってこない。
だが、数秒遅れて理解が追いつく。
心臓が、ドクンと強く鳴った。
(……なんで、これがうちに来るのよ)
嫌な予感が、はっきりと形を持つ。
指が冷たくなる。
その場で、手で雑に封を切った。
家の中に入る余裕すらない。
中から、3つ折りの書面が出てくる。
1枚、2枚、3枚。
びっしりと、整った活字。
弁護士名と、事務所の住所。
現実感が、一気に押し寄せる。
視線を落とす。
ゆっくり、読む。
「通知書」
その文字だけで、喉が詰まる。
『貴殿の子 青井佑太による今年の5月30日の暴行行為により、被害者 赤岩陽太様は傷害を負いました』
(……っ)
呼吸が止まりかける。
最後の1文まで、何とか読み切った。
手が震えている。
紙が、かさかさと音を立てる。
呼吸が浅い。
視界の端が、白くぼやける。
「もう……」
声が漏れる。
抑えようとしても、止まらない。
胸の奥から、込み上げてくる。
「もう……無理……」
膝が、わずかに震えた。
立っているのが、つらい。
「もう勘弁してよぉぉ!!」
気づけば、叫んでいた。
住宅街に、声が響く。
通行人が振り返る。
窓が、ひとつ開く音がした。
そんなこと、どうでもよかった。
手の中の書面を、両手で強く握り潰す。
紙が歪む。
音がする。
現実だけが、消えない。
(……終わった)
安堵していたはずの世界が、
たった1通の紙で――崩れ去った。




