第60話 帰り道
(白井美月視点)
「今日は楽しかったね〜」
帰り道。
私は、胸の前でプリクラをそっと持ち上げる。
そこに映っているのは――
少し照れた私と。
隣でぎこちなく笑う、陽太君。
(……宝物だ)
指先でなぞる。
この1枚に、今日という時間が閉じ込められている気がした。
消えない形で残った――大切な記憶。
胸の奥が、あたたかい。
歩くだけで、自然と足取りが軽くなる。
何もしていないのに、ただ隣にいるだけで満たされる感覚。
(……きっと)
今日という日は――
私の中で、ずっと残り続ける。
そんな確信があった。
「うん。そうだね」
隣から、やわらかい声。
陽太君が、小さく微笑む。
その一瞬で――
胸が、ぎゅっと締め付けられる。
(……よかった)
同じだったんだ。
私だけじゃない。
この時間を、同じように大切に思ってくれている。
それだけで、十分すぎた。
――大切な人と、同じ時間を共有できた。
それが、何よりも嬉しい。
私たちは住宅街へと続く細い通路に入る。
もう電車はいらない距離。
夕焼けが街を染めていた。
オレンジ色の光が、2人の影を長く伸ばす。
静かで。
穏やかで。
――完璧な帰り道。
「……陽太」
その声が、すべてを壊した。
背後から届いた、女の声。
聞き覚えがある。
嫌になるほど、覚えている。
陽太君が、先に振り返る。
私は、1拍遅れて視線を向けた。
――いた。
岡あまね。
陽太君の元カノ。
寝取られた上に裏切って、他の男に走った女。
そして――
私が、ずっと心の奥で嫌い続けてきた憎き存在。
「……あまね」
その呼び方に――
心が、ざらりと軋んだ。
下の名前。
何のためらいもなく。
まるで、まだ関係が続いているみたいに。
(……なんで)
胸の奥に、小さな棘が刺さる。
抜けない。
じわじわと痛む。
「陽太、お願い。聞いて欲しいの」
岡あまねは、まっすぐ陽太君だけを見ていた。
私なんて、最初から存在しないみたいに。
「あたし、学校やめたの」
淡々と。
「ここまでどん底まで落ちて、やっと分かったの。あたし、間違ってたって」
岡あまねが自身の主張を続ける。
「陽太ほどいい男、いないって……今さらだけど気づいたの」
私は、ここにいる。
すぐ隣にいる。
なのに。
目の前の女の視界にすら入っていない。
「……」
陽太君は、何も言わない。
ただ、見ている。
「もう青井君とは今後一切関わらない。約束する」
1歩、陽太君との距離を詰める。
「陽太とずっと一緒にいる。絶対に今度は裏切らないから」
岡あまねは言葉を区切り、間を作る。
「……あたしたち、やり直さない?」
その言葉が落ちた瞬間。
――プツン。
私の頭の中の何かが、切れた。
「ふざけないで!!」
気づいたときには、叫んでいた。完全に平静を失っていた。
岡あまねの肩が、大きく跳ねる。
陽太君の視線が、一気に私へ向く。
「ふざけないでよ、このクズ女!!」
止まらない。
もう、止められない。
「あなたが陽太君を裏切ったんでしょ!? 他の男に乗り換えて!」
呼吸が乱れる。
「その男が退学して、自分も退学して、立場が悪くなったからって復縁!?」
胸の奥に溜め込んでいたものが――
一気に溢れ出す。
「そんなの有り得ない!!」
「どこまで自分勝手なの!? 陽太君のこと、何だと思ってるの!!」
岡あまねは、言葉を失っていた。
ただ、呆然と立ち尽くしている。
「私は――」
私の方は止まらない。止まれない。
もう、引き返せない。
「あなたがいたから、諦めてたの!!」
「大好きだったのに!!」
「我慢してたの!! 陽太君のこと考えて、ずっと距離を置いてたのに!!」
ここまで言い終えて、ようやく私の時間が、止まる。
ようやく我に返る。
「…え…あ…」
恐る恐る、隣を見る。
陽太君が――
信じられないものを見るような顔で、私を見ていた。
「……っ!!」
全身に、熱が駆け巡る。
顔が、一気に熱くなる。
逃げたい。
消えたい。
(無理……!)
考えるより先に、身体が動いた。
踵を返す。
走る。
ただ、ひたすらに。
「あ!? み、美月! 待って!!」
後ろから、陽太君の声。
足音が追い掛けてくる。
「あ! 陽太〜!! 待ってよ!!」
さらに後ろ。
岡あまねの声。
でも――
その声は、陽太君に届かない。
陽太君は、迷わなかった。
1度も振り返らず。
ただまっすぐに――走り続けていた。




