第58話 家庭裁判所による調査
(青井佑太視点)
後日。
あの電話で伝えられた住所と時間を、スマートフォンで何度も確認しながら、俺は駅から家庭裁判所までの道を歩いていた。
隣には、ばばあ。
朝から1言も口を利いていない。
こちらを見ることもない。
ただ、一定の距離を保ったまま、無言で歩いている。
(……なんだよ、それ)
本来なら――何か言う場面だろ。
「ちゃんと話しなさい」とか、「大丈夫だから」とか。
だが、そういう言葉は一切ない。
表情は硬く、どこか抜け殻みたいだった。
前とは明らかに態度が違う。
やがて、目的地が見えてくる。
家庭裁判所。
灰色の外壁に、余計な装飾はない。
入口の自動ドアが、やけに無機質に見えた。
俺は一瞬だけ足を止める。
(……ここ、か)
逃げるという選択肢が、一瞬だけ頭をよぎる。
だが。
ばばあは止まらない。
そのまま中へ入っていく。
(……チッ)
舌打ちを飲み込み、俺も後を追った。
中は静かだった。
人の気配はあるのに、音が抑えられている。
受付カウンターで受付をする。
受付の女性は慣れた様子で手続きを進める。
「少々お待ちください」
それだけ告げられる。
簡潔で、無駄がない。
病院に近い空気だ、と感じた。
待合のイスに座る。
隣のばばあは、やはり何も話さない。
視線は床に落ちたまま。
微動だにしない。
壁の時計だけが、一定のリズムで時間を刻んでいる。
(……落ち着かねぇ)
スマートフォンを触る気にもなれない。
ただ待つだけの時間が、妙に長く感じた。
――そのとき。
「青井さん」
落ち着いた声。
顔を上げる。
スーツ姿の男が立っていた。
40代前後。
表情は穏やかだが、感情の起伏が見えない。
「家庭裁判所調査官の山口と申します。先日はお電話失礼いたしました」
丁寧だが、事務的。
一定の距離を保つ話し方だった。
「それでは、こちらへどうぞ」
背を向け、歩き出す。
俺とばばあは無言で後に続いた。
案内されたのは「調査室」と表示された部屋だった。
中に入る。
想像していたよりも簡素だった。
小さめのテーブルとイスがいくつか。
装飾はほとんどない。
ただ、それだけの空間なのに、妙に圧迫感がある。
「お掛けください」
促される。
ばばあが無言で先に座る。
俺も隣に腰を下ろした。
正面に家庭裁判所調査官が座る。
距離が近い。
逃げ場はない。
「それでは、簡単にお話を窺っていきます」
家庭裁判所調査官はそう前置きし、バインダーを開いた。
「今回の件についてですが――」
質問は順序立てて進んでいく。
何をしたのか。
なぜそうなったのか。
当時どう考えていたか。
現在、どう受け止めているか。
それらを聞かれる。俺は嘘をつかずに、答える。
家庭裁判所調査官は特に反応もせずに、無機質な相槌を打ちながら、白紙に記入していく。内容は分からない。
そして――家庭環境。
「ご家庭での関係についてですが、普段どのような様子でしょうか」
淡々とした問い。
俺は少しだけ間を置いてから答えた。
「……特に問題はないと思います。普通です」
言葉を選んだつもりだった。
だが。
「……違います」
小さな声が、それを遮った。
隣からだった。
ばばあだった。
顔は下を向いたまま。
だが、はっきりと否定した。
家庭裁判所調査官の視線がゆっくりとばばあへ向く。
「差し支えなければ、もう少し詳しく教えていただけますか」
声は変わらない。
しかし、質問の角度が変わったのは分かった。
まるでチャンスを逃さないようにするために。
「……全然、良好ではありません」
ばばあが言う。
「すぐに怒りますし……言葉もきついですし……」
一瞬、言葉を探すように間が空く。
そして。
「……“ばばあ”って呼ぶんです」
静かに言い切った。
その瞬間――
反射的に口が動いた。
「おい、ばばあ!! 」
「やめなさい」
間髪入れず、家庭裁判所調査官の声が入る。
遮るには十分だった。
それでも。
「うるさい!!」
ばばあが声を上げる。
ばばあの悲鳴のような声が室内に響き渡る。
これまでの無気力が嘘のようだった。
「あなたは、しっかり反省しなさい!」
鋭い叱責。
空気が一気に緊張する。
ばばあの久々の叱責に俺は反射的に口を噤む。
ばばあの睨みに俺がビビってしまう。今まで感じたことのない威圧感があった。
――沈黙。
数秒。
誰も動かない。
⸻
「……ありがとうございます」
家庭裁判所調査官が静かに言った。
感情は乗っていない。
だが、“情報として受け取った”ことがはっきり分かる声だった。
視線を落とし、バインダーの紙にペンを走らせる。
カリ、カリ、と乾いた音。
一定の速さで、途切れない。
途中で止まることもない。
要点だけを拾っているのか、それとも全て記録しているのか。
分からない。
ただ。
その音が、やけに耳につく。
(……なんだよ、それ)
自分の言葉も、態度も。
全部、ここに残っていくのか。
評価されているのか。
分類されているのか。
判断されているのか。
分からない。
ただ1つ分かるのは――
この場では、もうごまかしは効かないということだった。
カリカリ、という音だけが。
やけに、大きく響いていた。




