第55話 呼び出し
(岡あまね視点)
あたしは、お母さんと並んで職員室の前に立っていた。
扉の向こうは、いつもと同じはずなのに。
なぜか、別の場所みたいに感じる。
担任が振り返る。
その顔は、いつも通り。
なのに――目だけが、違った。
温度がない。
思わず、視線を逸らした。
「こちらへ」
短い1言。
それだけで、足が勝手に動いた。
連れて行かれた先は――会議室。
前に1度だけ来たことがある。
あのとき、怒鳴られ脅され恐怖に震えた場所。
記憶が蘇る。
胸の奥が、きゅっと締め付けられる。
「少々お待ちください」
担任はそれだけ言い残し、部屋を出ていった。
――ガチャ。
扉が閉まる。
その音が、やけに重く響いた。
逃げ場が、完全に断たれた気がした。
沈黙。
時計の音だけが、やけに大きい。
「あまね、どうしたの?」
隣から、お母さんの声。
「急に先生から呼び出されて……お母さん、全く分からないの」
困惑した顔。
何も知らない顔。
――分かってる。
全部、分かってる。
青井君と、ラブホテルに行ったこと。
未成年なのに。
それが、バレた。
(……言えない)
言った瞬間、終わる。
お母さんの中の“あたし”が、壊れる。
信じてくれてたものが、全部崩れる。
喉が動かない。
ただ、俯くことしかできなかった。
――ガチャ。
扉が開く。
空気が変わる。
校長が先頭に入ってくる。
その後ろに教頭、担任。
全員が揃った瞬間、この場が“処分の場”に変わった。
「本日は、お忙しい中、お越しくださり、申し訳ございません」
校長が深く頭を下げる。
教頭、担任も続く。
「あ、はい……」
お母さんも、反射的に頭を下げる。
「お座りください」
促されるまま、イスに座る。
正面に、校長たち。
真正面から、見られる。
逃げ場はない。
「今日は、娘さんの件でお呼びいたしました」
校長の声は、静かだった。
感情が、一切乗っていない。
そのまま、ファイルから紙を1枚取り出し――
机に置いた。
滑らせるように。
音もなく。
(やめて)
心の中で、叫ぶ。
でも。
止まらない。
そこにあったのは――
あの写真。
青井君と、ラブホテルに入る瞬間のもの。
言い逃れのできない、“事実”。
「娘さんが未成年にも関わらず、ラブホテルに入って行く写真が確認されました」
遠くで、声がする。
「え……これ……なに……」
隣で、お母さんの声が崩れる。
写真から、目が離せない。
「娘さんは、本日退学となった青井君と一緒に、ラブホテルを利用していました」
追い打ち。
逃げ道は、完全に消えた。
「ねぇ、あまね」
お母さんが、あたしを見る。
震えている。
「どういうことか、説明してよ」
その目には――怒りと、恐怖と、裏切られた色が混ざっていた。
「……」
言葉が出ない。
声が出ない。
何も言えない。
「早く答えなさいよ!!」
――パンッ!!
頬に衝撃。
世界が、一瞬止まる。
遅れて、熱と痛みが広がる。
あたしは顔を上げた。
お母さんを見る。
――叩かれた。
初めて。
(……うそ……)
理解が、追いつかない。
「本当に……バカじゃないの……」
お母さんの声が崩れる。
ハンカチで顔を押さえながら、涙が溢れる。
嗚咽が漏れる。
崩れていく。
その姿を見た瞬間――
全部、理解した。
(あたし……)
取り返しのつかないことを、した。
学校に迷惑をかけて。
お母さんを、ここまで壊して。
最低だ。
どうしようもなく、最低だ。
胸の奥が、ぐちゃぐちゃに潰れる。
「……こんな状況で申し訳ないが」
校長の声が入る。
冷たいまま。
「学校側の処分は、退学勧告です」
言い渡される。
「退学するかしないかは、君が選びたまえ。決定権は君にあるんだ。岡あまねさん」
――あたしが、選ぶ?
そんなの。
選択じゃない。
“辞めろ”って言われてるのと同じ。
青井君と、1回目と同じ処分。
頭の中に、未来が流れ込む。
クラスの視線。
ヒソヒソ声。
軽蔑。
――尻軽。
――ビッチ。
居場所なんて、どこにもない。
(……無理)
ここで、生きていくなんて。
できるわけがない。
隣で、お母さんが泣いている。
その音が、刺さる。
(ごめんね……)
心の中で、何度も謝る。
でも――
もう、戻れない。
あたしは顔を上げた。
視線を、前に向ける。
そして――
「……あたしは……退学を……受け入れます」
静かな声。
でも、その言葉だけは、はっきりと響いた。
その瞬間。
何かが、完全に終わった。
ただ1つ分かるのは、あたしの描いていた学校生活は終わってしまった。




