第38話 逃げ場のない取調室
(青井佑太視点)
「こちらです」
案内していた警察官が、廊下の1番奥にあるドアの前で立ち止まった。
無機質な金属の取っ手に手を掛ける。
ガチャ。
重くも軽くもない音とともに、ドアが内側へ開いた。
中は、思っていたよりずっと簡素だった。
白い壁。
蛍光灯の光。
小さな机。
向かい合うように置かれた2つのイス。
壁には、窓のようなガラス。
だが向こう側は見えない。
それだけだ。
テレビで見るような大げさな設備はない。
ただ、逃げ場のない空間だけがそこにあった。
「どうぞ」
促され、1歩足を踏み出す。
床を踏んだ瞬間、靴音がやけに響いた。
中に入った途端、空気が変わった気がした。
背中に冷たいものが走る。
後ろでドアが閉まる。
バタン。
その音が、やけに重く室内に残った。
「こちらです。どうぞ座ってください」
警察官が机の前のイスを軽く引く。
黙って頷き、そこに腰を下ろす。
ギシッ。
古いイスが小さく軋んだ。
警察官も向かいの椅子に腰を下ろす。
ポケットから黒いICレコーダーを取り出し、机の中央に置いた。
カチッ。
「ここからのやり取りは録音させていただきます。よろしいですね」
「……はい」
小さく答える。
赤いランプが点灯した。
「では、まず身元確認から行います。名前をフルネームでお願いします」
「青井……佑太……」
自分の声が妙に頼りなく聞こえた。
「生年月日は?」
「2009年……7月20日です」
その後も質問は続いた。
住所。
学校名。
両親の名前。
淡々と答える。
警察官はときどき頷きながら、落ち着いた手つきでメモを取っている。
カリカリカリ。
ペンの音だけが静かな部屋に残る。
やがて警察官は1度ペンを止め、こちらを見た。
「今日は任意でお話を聞いています。逮捕ではありません」
静かな口調だった。
「もし帰りたい場合は、そう言ってもらって構いません」
胸の奥が揺れた。
喉がひどく乾く。
舌が上顎に張り付く。
だが、言葉は出ない。
この密室で。
目の前の警察官に向かって。
そんなこと、言えるはずがなかった。
「それと、あなたには黙秘権があります。自分の不利になることは無理に言わなくても構いません」
言い慣れた口調だった。
「青井君」
警察官が言った。
「5月30日の学校での出来事について聞きたい」
視線がまっすぐ向けられる。
反射的に目を逸らした。
「まず、この動画なんだけど」
スマートフォンを取り出す。
数回、画面を操作する。
次の瞬間――
動画が再生された。
『はあぁぁぁ〜〜〜!!?』
『お前、言葉の使い方には気を付けろよ!! こらあぁぁぁ!!』
俺の声だった。
そして――
俺の拳。
赤岩の顔面を殴る瞬間が、はっきり映っている。
鈍い音。
揺れる画面。
周囲のざわめき。
数10秒の動画だった。
動画が止まる。
画面には、拳を振り抜いた俺の姿。
「どういう状況だったのか、説明してもらえるかな」
声は穏やかだった。
だが、逃げ場はない。
「これは……」
言葉が出ない。
何か言わないと。
頭を必死に回す。
人生で1番、頭を回していた。
「この時は……」
喉が渇く。
「赤岩……俺が殴った奴が……挑発してきて……」
言葉をつなぐ。
「俺の悪口を言ったから……それで……殴っちゃって……」
警察官の顔を見る。
反応を探る。
警察官はわずかに眉を動かした。
「ふーん。そうなんだ」
落ち着いた声だった。
「でも、この動画に、そんな証拠はどこにもないよね」
胸がドクンと鳴る。
「赤岩君が悪口を言った場面、映ってないよ?」
「そ、それは……」
「動画に入ってないだけで……」
必死に言う。
警察官はスマートフォンの画面を指した。
「でも、この動画には何も映ってないよね」
止まった映像。
拳を振り抜いた俺。
それだけだ。
「……それは……」
言葉が続かない。
警察官は何も言わなかった。
無言のままバインダーを開く。
白紙を1枚挟み、ボールペンを走らせた。
カリカリカリ。
静かな部屋に、文字を書く音だけが響く。
妙に大きく聞こえる。
「気にしないでください」
ペンを動かしたまま言う。
「今の言動や反応を記録しているだけですから」
背中に冷たい汗が流れた。
俺の言葉。
俺の反応。
全部、残る。
カリカリカリ。
ペンの音が続く。
イスの上で小さくなる。
余計なことを言ったら終わる。
そんな気がした。
だから――
黙ったまま、質問に答え続けるしかなかった。




