第34話 校長は迷わなかった
(担任視点)
『はあぁぁ〜〜〜!!?』
『お前、言葉の使い方には気を付けろよ!! こらあぁぁぁ!!』
青井の声。
そして――
赤岩の殴られる音。
職員室の空気が、凍り付いた。
誰も言葉を発しない。
ただ――
スマートフォンの小さな画面から流れる音だけが、やけに大きく聞こえていた。
私は思わず視線を落とした。
胸の奥が、重くなる。
動画は10数秒ほどで終わった。
カチッ。
校長が画面を閉じる。
そして――ゆっくりとスマートフォンをポケットに仕舞った。
「このように、映像という形で証拠も確認されています」
静まり返った職員室で、校長は淡々と言った。
「気になる方は後ほど声を掛けてください。個別に確認できるようにします」
まるで感情を切り離したような口調だった。
そして――。
「ここまでで、何か意見のある方はいらっしゃいますか」
校長の視線が、職員室をゆっくりと1周する。
教頭。
体育教師。
若い新任教師。
ベテラン教師。
誰1人として――動かない。
ペンを握ったままの者。
パソコンの画面を見つめる者。
腕を組んだままの者。
しかし――手を上げる者はいない。
完全な沈黙だった。
……当然だ。
あの動画を見て、まだ言い逃れできる余地などない。
私の胸の奥にも、重いものが沈んでいた。
あの時――。
もっと早く気付けなかったのか。
もっと早く止められなかったのか。
そんな後悔が、じわじわと広がっていく。
だが。
校長は迷わなかった。
「分かりました」
静かな声だった。
しかし――その1言には、確かな重みがあった。
「まず、被害生徒である赤岩君の安全確保を最優先とします」
職員室の空気が、さらに引き締まる。
「担任の先生は、赤岩君の保護者にも連絡をお願いします」
校長は職員室全体に目を向ける。まるで全ての教員の目を合わせるように。
「青井君については本日より出席停止とし、自宅待機とします」
誰も異論を挟まなかった。
当然だった。
この状況で、教室に戻すなどあり得ない。
「処分についても今後、話し合っていきましょう」
教頭が、低い声で口を開いた。
「そうですね。入念に話し合いましょう」
校長が小さく頷く。
そして、続けた。
「また、この件については警察とも連携して対応します。教頭先生、生徒指導部と協力をお願いします」
「承知いたしました」
その言葉に、職員室に緊張が走った。
警察。
その2文字の重さを、誰もが理解していた。
校長はゆっくりと立ち上がる。
「各自、対応に当たってください」
コツ。
コツ。
革靴の音が職員室に響く。
そして、そのまま扉へ向かう。
ガラッ。
職員室のドアが開いた。
数秒後――。
バタン。
静かに閉まる。
再び、職員室に沈黙が戻った。
だが――もう誰も、さっきまでのように仕事へ戻る気にはなれなかった。
パソコンのキーボードに置かれたままの指。
止まったままのペン。
皆、同じことを考えている。
……これは、もう学校だけの問題じゃない。
そして。
私は自分のクラス名簿を、静かに見つめた。
そこに書かれている名前。
――青井。
そして。
――赤岩。
この問題は、今日一日で終わるものではない。
むしろ――。
ここからが、本当の始まりだった。




