第28話 緊急職員会議
(担任視点)
教頭が警察との電話対応を終えたのは、午後9時近くになった頃だった。
受話器を置いた教頭の表情は、普段の冷静なそれとは明らかに違っていた。
わずかに眉をひそめ、唇を固く結んでいる。
ただ事ではない。
それは、職員室にいた全員が感じ取っていた。
教頭は私たちの方を一度だけ見渡すと、何も言わずに席を立った。
そして――職員室を退出して校長室へ向かう。
幸いと言うべきか。
その夜、珍しく校長もまだ学校に残っていた。
しばらくして職員室に校長が来る。
教頭は校長の隣で淡々と説明を始めた。
同級生から暴力を受けた被害者が、我が校の生徒であること。
病院で診断書が出ている可能性。
被害届が提出された。
そして――警察が学校に事実確認を求めていること。
校長は途中で口を挟まなかった。
ただ、腕を組み、じっと教頭の話を聞いている。
すべてを聞き終えると――。
校長はゆっくりと息を吐いた。
「……なるほど」
低い声だった。
そして、険しい表情で頷く。
「先生方」
校長の声が、静かに響く。
しかし、その声には明らかな緊張が含まれていた。
「このまま放置していたら、問題はさらに大きくなるだけです」
校長の視線が、職員室をゆっくりと見渡す。
「夜遅いですが、これは緊急事態です」
一拍、間が空いた。
「明日の調査のための準備を、今すぐ始めましょう」
職員室は、完全な沈黙に包まれていた。
誰も動かない。
いや――。
動けないのだ。
警察。
被害届。
暴力事件。
その言葉の重さに、誰もが一瞬、思考を止めていた。
そして――次の瞬間。
「何をしているんですか!!」
校長の怒声が、職員室に響き渡った。
空気が震える。
「早く調べなさい!」
校長の声は鋭かった。
「被害届を出された生徒さんと、加害者のクラスを確認しなさい!」
一瞬の沈黙。
そして――。
「「「「はい!! 承知しました!!」」」」
教員たちは一斉に立ち上がった。
イスが引かれる音。
書類がめくられる音。
パソコンのキーボードが叩かれる音。
さっきまで静まり返っていた職員室は、一瞬で慌ただしい空間に変わった。
名簿を確認する者。
生徒指導記録を探す者。
パソコンを操作する者。
全員が必死に動き始めている。
――私も、その1人だった。
だが。
手は動いているのに。
頭の中は、真っ白だった。
言えない。
言えるはずがない。
被害者も――
加害者も――
どちらも。
私のクラスの生徒なのだから。
もし今ここでそれを言えば。
どうなるかは、分かりきっている。
校長と教頭の視線が、一斉に私に向く。
「どういうことですか?」
「担任として把握していなかったのですか?」
「なぜ報告がなかったのですか?」
追及される。
間違いなく。
厳しく。
徹底的に。
なぜ気づかなかったのか。
なぜ止められなかったのか。
なぜ学校に報告しなかったのか。
責任を問われる。
それは、火を見るよりも明らかだった。
だから私は――。
口を開かなかった。
何も言えなかった。
周囲では、教師たちが慌ただしく動き回っている。
イスの擦れる音。
キーボードの音。
書類の音。
その騒がしさの中で。
私はただ――。
パソコンの画面を見つめたまま、固まっていた。
心臓の鼓動だけが、やけに大きく聞こえる。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
まずい。
本当に――まずいことになった。
これはもう。
ただの校内トラブルではない。
警察が動いている。
被害届が出ている。
そして明日――。
クラス調査が始まる。
そうなれば。
もう、隠し通すことなどできない。
私は、ゆっくりと拳を握った。
冷たい汗が、背中を流れていく。
もう――。
この問題は。
学校だけでは止められないかもしれない。




