第七章 隠された動線
翌日。夕方が近づき、事務所の外はわずかに色を変え始めていた。窓の向こうに差し込む光も、昼間の鋭さを失い、やや柔らかくなっている。
その中で、山岸が立ち上がる。
「そういう訳で夕方、中野雄一に話を聞きに行ってくる」
田所は椅子に座ったまま、軽く頷いた。
「弟の話が本当なら中野も動機は十分だな。自分を虐げる社長がいなくなって昇進できるんなら、弟よりも動機は強いかもな」
夏野が小さく息を吐く。
「そうですね。そんな扱いを受ければ殺したくなるのも分かります」
田所は腕を組む。
「弟のアリバイも弱いな。弟が社長になれば弟の妻と子供にも利がある。口裏を合わせてる可能性もある」
山岸は短く応じる。
「確かにな」
少し間が空く。
田所が続ける。
「臨時株主総会の元々の議題については?」
「分からん。前社長の勝也さんは誰にも言ってなかったようだ」
夏野が少し残念そうに言う。
「それが分かれば動機もはっきりすると思うんですけどね」
山岸は肩をすくめた。
「ワンマン社長だったみたいだからな。きっと誰も信じてなかったんだろう」
夏野が小さく呟く。
「なんだか、それって悲しいですよね」
田所は視線を資料から外さない。
「ワンマン社長だったら他の社員にも恨まれてそうだが、他に動機がありそうな社員はいなかったのか?」
「他の社員も疎ましくは思っていたようだが、殺すほどの動機がありそうなものはいないな」
田所は小さく頷いた。
「じゃあ、容疑者はだいたい出そろった感じだな」
「そうだな。……じゃあ、俺はそろそろ行くよ」
山岸は扉へ向かう。
「中野雄一の聞き込みが終わったら話を聞かせてくれ」
「分かった。また夜に寄るよ」
「待ってるぞ」
「ああ、分かった」
山岸はそう言って事務所を出ていった。
夕方、村井運輸の応接室。
昼間よりも人の気配は減っているが、どこか落ち着かない空気が残っている。
「お待たせしました。どうぞ、お掛け下さい」
中野雄一が入室する。
年齢は四十前後。姿勢はやや控えめで、どこか気を遣うような様子が見て取れる。
山岸と中島がソファに腰掛けると、向かい側に中野も腰を下ろした。
中野は先に口を開く。
「話は聞いてます。前社長が亡くなって、その件について捜査されてるとか」
山岸は頷く。
「ええ。それでお話を聞かせてもらおうと思いまして」
「どうぞ、何でも聞いて下さい」
中島が手帳を開く。
「それでは。まず、一昨日の夜から昨日の朝までのアリバイを聞かせてください」
中野は少し視線を落とした。
「前社長をある場所に車で送って行くようにと数日前に指示を受けていて、車で待ってました」
中島がすぐに確認する。
「朝までですか?」
「ええ。前社長は来ませんでしたし、指示に従わないと何をされるか分からないので、来るまで待ってるしかなかったんです」
その言葉には、恐れと諦めが混じっていた。
「数日前に指示を受けていたとの事ですが、具体的に何日前ですか?」
中島の質問に少し考えてから答える。
「確か六日前です。その日も同じ場所へ送って行ったんですが、帰りに『次は一昨日の夜だ』と言われましたので……」
山岸が静かに切り出す。
「中野さんは……前社長には酷い扱いを受けていたとか……?」
「ええ、まあ……でも殺したりはしません」
山岸はわずかに間を置く。
「それはどうでしょう。ところで、さっきある場所に車で送るように言われたと言いましたよね。何処へですか?」
中野の表情がわずかに揺れる。
「それは……その……」
言い淀む。
山岸の声が少しだけ低くなる。
「貴方には殺人の容疑が掛かってます。隠し事はしない方が良いですよ。無実だというのなら」
数秒の沈黙。
やがて中野は小さく息を吐いた。
「分かりました。愛人のところです。前社長の車で行くとバレる可能性があるからという事で、彼女のところへ行くときは毎回私が送っていました」
山岸はその言葉を逃さず記録する。
「その事を知っているのは?」
「私だけの筈です」
中島がすぐに続ける。
「愛人の名前と住所を教えてもらえますか」
中野は名刺入れから一枚取り出した。
「彼女の名刺です。住所は……」
ペンを取り、名刺の裏に手早く書き込む。
それを山岸に差し出した。
「ありがとうございます。今日のところはひとまずこれで……。また何かあればお話を伺いますので、その時はよろしくお願いします」
「分かりました。出来る限り協力させて頂きます」
中野は軽く頭を下げた。
応接室を出た山岸と中島は、そのまま車へ向かう。
夕方の空気は少しひんやりとしていた。
二人は無言のまま車に乗り込む。
エンジンがかかる。
山岸は運転席で、先ほど受け取った名刺を見つめていた。
広瀬陽菜。
そこに書かれた名前と住所。
新たに見えてきた動線。
「行くぞ」
短く言う。
「はい」
山岸が車を発進させる。
目的地は――愛人の住むマンション。
点と点が、少しずつ繋がり始めていた。




