第四章 聴取
田所は机の上に広げられた資料を軽く指で叩きながら、山岸に向き直った。
「その被害者、実は依頼が来ていてな」
山岸の眉がわずかに動く。
田所は村井真理からの依頼内容を簡潔に伝えた。行方不明になった経緯、警察に相談したが動いてもらえなかったこと、そして探偵事務所へ依頼が持ち込まれたこと。
話を聞き終え、山岸は腕を組む。
「……そんなことがあったのか」
「妻が第一容疑者だな」
田所は淡々と言い切る。
夏野が小さく首を傾げた。
「確かに妻なら一緒にいる時間も長いと思いますから毒を飲ませやすいでしょうけど、不凍液なんて簡単に飲ませられるんでしょうか? 直ぐに気付かれそうですけど……」
田所は視線を資料に落としたまま答える。
「エチレングリコールは無色無臭で少し甘いんだよ」
夏野が目を瞬かせる。
「まさか、先生……?」
田所は顔を上げ、呆れたように息を吐いた。
「おいおい。いくら俺が甘いもの好きだと言ってもエチレングリコールは飲んだ事ないぞ」
夏野は小さく頷く。
「安心しました。でも先生を殺す時には使えそうですね」
「勘弁してくれ」
田所は肩をすくめる。
山岸が軽く笑い、立ち上がった。
「俺は部下と一緒に妻に話を聞いてくる。せいぜいエチレングリコールには気を付けてくれ」
「山岸さんまで……。話を聞いたら教えてくれ」
「分かった」
山岸は短く応じ、そのまま事務所を後にした。
村井運輸本社。
山岸は中島裕介巡査を連れて建物に入ると、社員の案内で応接室へ通された。室内は整然としており、壁には会社の沿革や表彰状が飾られている。
二人が席に着いて間もなく、扉が静かに開いた。
女性が一人、室内に入ってくる。
黒のスーツに身を包み、姿勢は崩れていない。だが、その表情には明らかな疲労が浮かんでいた。
「村井勝也の妻の真理です」
山岸と中島は同時に警察手帳を取り出し、提示する。
「新宿東警察署刑事部の山岸と中島です」
真理は軽く頷き、手でソファを示した。
「どうぞ、お掛け下さい」
山岸と中島がソファーに腰掛けると、向かい側に真理が座る。視線は落ち着いているが、その奥には張り詰めたものがあった。
山岸は一枚の写真を取り出し、テーブル越しに差し出す。
「ご主人に間違いありませんか?」
真理は写真を受け取り、しばらく見つめる。
「……はい……」
声はわずかに震えていた。
山岸は静かに続ける。
「東大久保公園で遺体で発見されました。お悔やみ申し上げます」
「そんな……」
真理は口に手を当て、そのまま前屈みになる。肩が小刻みに震え、やがてそのまま泣き崩れた。
室内に、押し殺した嗚咽が響く。
しばらくして、真理が少し落ち着いたところで、山岸が慎重に口を開く。
「お話を聞かせてもらえませんか」
真理は目元を拭い、小さく頷いた。
「分かりました。何でも聞いて下さい」
山岸は一度間を置く。
「それでは……ご主人を恨んでいた者はいませんでしたか?」
真理は視線を落とし、少し考える。
「そうですね……丸長食品の長谷川社長か、佐久間不動産の佐久間社長くらいですかね……」
中島がすぐに続ける。
「奥様は昨晩から今日の朝まで何処で何をしてました?」
真理は迷うことなく答えた。
「昨日は夜九時くらいから深夜二時過ぎくらいまで伝票の整理をしてました。経理課長の竹中さんに手伝ってもらって、ずっと一緒にいたので確認してください」
山岸はメモを取りながら頷く。
「今日、臨時株主総会があるとか?」
「はい。十五時からの予定です。人事に関する話の予定でしたが、社長である主人が亡くなったので、次の社長を決める話し合いになると思います」
「次の社長候補は誰ですか?」
真理は一瞬だけ視線を上げた。
「同族経営の会社ですから、主人の実弟の哲也くんがなると思います」
山岸はペンを止める。
「そうですか……分かりました。ありがとうございます。何かあればご連絡ください」
そう言って立ち上がる。
中島もそれに続く。
真理はその場で軽く頭を下げた。
山岸と中島はそのまま応接室を出る。
廊下に出た瞬間、先ほどまでとは違う静けさが二人を包んだ。
山岸は歩きながら小さく息を吐いた。
話は整っている。
整いすぎているほどに。
だが、それが何を意味するのかは、まだ分からない。




