第三章 交差する情報
村井真理の依頼を受けて三日後の朝。事務所の空気はいつもと変わらず静かだったが、その静けさを破るように扉が開いた。
新宿東警察署、刑事部強行犯捜査第一係長、山岸警部が姿を見せる。
「東大久保公園で遺体が発見された。協力してくれ」
挨拶もそこそこに、山岸は田所の机へ歩み寄り、持参してきた捜査資料を広げた。現場写真、簡単な見取り図、発見時の状況報告。紙の上に並ぶ情報はまだ断片的だが、現場の空気だけは十分に伝わってくる。
田所は椅子に座ったまま身を乗り出し、写真に視線を落とした。
仰向けに倒れた遺体。周囲には目立った争いの痕跡は見当たらない。
その中で、ひとつだけ目に留まる点があった。
「服が湿ってるように見えるな」
山岸は軽く鼻で笑う。
「夜露のせいだろう」
確かに、公園という場所を考えれば不自然ではない。夜の間に露が降り、草地に倒れていれば衣服が湿ることもある。
だが田所はそれ以上は言わず、視線を写真から外した。
「身元と死因は?」
「今調べてる」
山岸は腕を組み、田所を見る。
「今の段階で分かる事は?」
田所はわずかに間を置いた。
「これだけじゃ可能性が多すぎて何とも言えないな」
現場写真と初期情報だけでは絞り込みは難しい。事故、急死、事件――どれも否定しきれない状態だった。
その時、山岸の携帯が鳴った。
山岸は画面を一瞥し、そのまま通話に出る。
「山岸だ。何か分かったか?……ああ……ああ……分かった。また何か分かったら連絡してくれ」
短いやり取りを終え、通話を切る。
そして顔を上げた。
「死因が分かった。エチレングリコールだ」
その言葉に、室内の空気がわずかに変わる。
田所は即座に反応した。
「不凍液か」
山岸が目を細める。
「良く知ってるな。引きこもりだったのに」
田所は肩をすくめた。
「確かにこの仕事を始める前は引きこもりだったが、ただ引きこもってたわけじゃない。何か分からない事があると直ぐに調べて、その結果また分からない事が出てくると直ぐに調べる」
少しだけ視線を宙に向ける。
「例えば、“死因”という言葉を調べる。すると日本人の死因の第一位は“悪性新生物”とでる。そしたら今度は“悪性新生物”を調べる。そこからまた“癌”を調べ、そうやって続けていくと、ハダカデバネズミは癌にはならないという事が分かる」
夏野が軽く笑みを浮かべる。
「おかげで先生は学歴のわりに博学なんですよ」
山岸は呆れたように息を吐いた。
「その裸何とか鼠が癌にならないっていう知識は何か役に立つのか?」
田所は即答する。
「たった今、役に立っただろ」
山岸は一瞬言葉を失った。
「……」
夏野が話題を戻す。
「毒殺なら女性の可能性が高いですよね」
田所は小さく頷く。
「そうだな。殺人犯の数は男性の方が圧倒的に多いから、男性の毒殺犯と女性の毒殺犯の数を比べれば男性の毒殺犯の数の方が断然多い。だが、女性の殺人犯の内の毒殺犯の締める割合は男性の毒殺犯の割合より圧倒的に高い」
夏野は納得したように頷いた。
「そうなんですね。数の上では男性の毒殺犯の方が多いとなると男性の犯人という可能性も捨てきれませんね」
「ああ」
田所は短く応じる。
再び、山岸の携帯が鳴った。
今度はすぐに通話に出る。
「山岸だ。ああ。メモするからちょっと待ってくれ……いいぞ。……分かった。また何か分かったらすぐに連絡してくれ」
通話を終え、資料の端に走り書きをする。
「被害者の身元が分かった。村井勝也四十五歳、村井運輸の社長だ。死亡推定時刻は昨日の二十三時から今日の深夜一時頃だという事だ」
その報告に、夏野がわずかに息を呑む。
田所は静かに目を細めた。
「今更なんだが念の為、深部体温を測ってもらってくれ」
山岸が眉をひそめる。
「分かった」
すぐに携帯を取り出し、指示を伝える。
短い通話を終え、顔を上げる。
田所は一瞬だけ間を置いた。
そして、淡々と続ける。
ところで、その被害者、実は……」




