第5話 1月 触れ合いとマフラー
一月になって寒さが本格化してきた日、珊瑚とタマさんの関係は大きく進歩した。
僕とタマさんが、何気なく会話をしているとタマさんの足元に珊瑚がすり寄ってきた。こちらがアクションを起こす前に、珊瑚が近づいてくるのは、初めてのことだ。
タマさんは、声を出すのをグッとこらえて珊瑚を驚かさないよう慎重に動く。机の下をのぞき込んだタマさんは、言葉を小さく発する。僕にはなんと言っているのか聞こえなかったが、タマさんのことだ珊瑚に話しかけているのだろう。
コミュニケーションができたのか、タマさんが顔を上げると珊瑚も一緒に机の下から出てきて、ソファに飛び乗ってタマさんのとなりに座った。
珊瑚は、タマさんを見つめると耳を畳んで、タマさんの次の行動を待つ。
タマさんが何かを乞うように僕のことを見てき。僕は珊瑚が逃げるのを避けたかったので、ただ黙って頷いた。
タマさんはゆっくりと珊瑚の頭に手を伸ばす。わずかに震えながら伸ばされた手を、受け入れるように珊瑚は目を細める。
珊瑚の頭にタマさんの手が触れた。
触れた手があまりにも優しく、じれったく感じたらしい珊瑚は自分の頭を押し付けるようにタマさんの手に頭突きをした。
タマさんは声が漏れ出ないように、珊瑚の頭に乗せされた手とは反対の手で自らの口をふさいだ。そして、ようやく珊瑚の頭を撫で始めた。
気持ちよく目を細めながら、喉を鳴らす珊瑚と、興奮を押し殺すようにしながら、珊瑚のことを優しく撫でるタマさんの姿を見ながら、僕はホットコーヒーを飲もうとマグカップを持ち上げた。
マグカップに注がれた吸い込まれそうな程の黒い液体には、得意と失意がないまぜになった男の顔が揺れていた。
それから数分、いや数十分の時間が経ったと思う。タマさんに撫でられることに満足した珊瑚は、その場で少しだけ毛づくろいをするとソファーから飛び降りてカウンターの方へと去って行った。
タマさんは、珊瑚の背中を軽く撫でると僕の方へと向き直る。
「見ました?見ましたか?」
タマさんは興奮冷めやらぬといった様子で、捲し立てる。
「これって夢じゃないですよね。私、珊瑚ちゃんと触れ合ってましたよね。はぁ毛がふわふわで柔らかくて温かったな。それに撫でてるときに目を細めて、幸せそうな表情が可愛かったな。幸せをもらってるのは、私の方なのに。きっと私も同じような顔をしてましたよね。それにそれに聞きました?喉を鳴らして、ゴロゴロ、ゴロゴロって。知ってますか猫の喉の音って治癒効果があるんですよ。後ですね……」
タマさんは身振り手振りを交えて話し続ける。
僕は合いの手を入れたり、適当に相槌をうったりしながらタマさんの話を聞いた。
「それでですね……。ってごめんなさい。私ばっかり喋ってしまって」
「全然大丈夫ですよ。でも、改めてよかったですね珊瑚と触れ合うことができて」
「はい!これで……」
「これで?」
「あ、なんでもないです」
タマさんは、誤魔化すようにホットコーヒーを飲んだ。
猫舌はすっかり改善したようで、熱さを気にせず飲んでいた。
タマさんが誤魔化すなら、僕はそれ以上は言及しないでおく。
タイミング的には、話を変えるのにちょうどいいと思ったので、僕は持ってきた紙袋をタマさんに差し出した。
「タマさん、これどうぞ」
「なんですかこれ?」
タマさんは、紙袋から折り畳まれている紺色の布を取り出した。
「マフラーですか?」
「はい。先月のお返しと、あと偶然ですけど珊瑚と触れ合うことができた記念にと思いまして」
「ありがとうございます!」
折り畳まれたマフラーを広げたタマさんは、それをまじまじと見つめた。
「猫ちゃんの刺繍が入ってるんですね。可愛いです。それにこの猫ちゃん少しだけ珊瑚ちゃんに似てますね」
「……確かに似てますね」
僕もマフラーの刺繡を見て答える。
確かにマフラーの猫の刺繍は珊瑚に似ていた。
猫好きなタマさんなら、どんな形でも猫に関するなにかがあれば喜んでくれると思って選んだだけで、猫の刺繍が珊瑚に似ているのは偶然だった。もしくは、無意識に珊瑚に似た猫の刺繡を僕が選んだのかもしれない。
「巻いてみてもいいですか?」
タマさんは僕に訊くも答えを待たずに、マフラーを首に巻き始める。
慣れた手つきでタマさんは、するするとマフラーを首に巻くと僕の方を見て、小首を傾げて微笑んだ。
どうですか?という意味だろう。
僕は思ったままを口にする。
「似合ってますよ」
「……嬉しいです」
タマさんは、口元をマフラーに埋めて目を伏せた。
恥ずかしそうにしているタマさんを見るのは初めてで、こっちまで恥ずかしくなってきた。お互いに少しだけ伏し目がちになりながら、時間はゆっくりと流れていった。




