怒る後輩
「おはようございます……」
俺は眠い目を擦って、鈍い痛みがする腰をさすりながら出社の挨拶をした。
(眠い……)
視界がぼんやりしているし、足元もふらつく。
なんとか睡眠時間を確保したかったが、配信の初期設定が終わった後は、会社への身支度もあって一時間の仮眠しか取れていない。
「おはようございます」
俺より先に自分のデスクに座っている桜田さんに挨拶をする。いつも桜田さんは笑顔で挨拶を返してくれる。……はずなんだけど、
「おはようござっ……せ〜ん〜ぱ〜い〜?」
今日はそうはいかないみたいだ。
「……どうした?」
「なんで昨日よりクマが酷くなってるんですか〜?」
……分かってた。
出社したら桜田さんに問い詰められることなんて、分かりきっていたことだ。
「えっと…………」
回らない頭で精一杯言い訳を考える。
「……その」
でも、当たり前のように何も言葉が出てこない。
ひたすら気まずい沈黙が生まれて、俺は冷や汗をかき始めた。もうちょっと頑張れ……! 俺の脳みそ……!
「実は……」
「私の目を見て話してもらっていいですか〜?」
「はいっ!」
(怖えええええ……!!)
しどろもどろな俺とは違って、桜田さんの口調と表情はいつも通り朗らかだ。ただ、目が笑ってない。というか目に光が無い。マジ怖い。
……いや、桜田さんが怒るのも無理はない。桜田さんは昨日も俺を本気で心配してくれていた。それなのに、俺はその気持ちを無碍にしてしまったんだ。
「桐生さん」
「っ……!」
桜田さんが俺のことを先輩ではなく、さん付けで呼ぶ時……それは桜田さんが本気で怒っている時だ。
「な、なんでしょう」
「仏の顔も三度までって……知ってます? 今日はよく寝れるといいですね〜」
桜田さんはそう言ってにっこりとした。
コピペしたような満面の笑み。桜田さんの言葉には、なんというか……凄みがあった。
明日さらにクマを深くして会社に来ようものなら、多分殺される。……そんな凄みだ。
「ぜ……善処します」
「はい???」
「寝ます」
「よろしいです」
どこから出したんだろうと思うくらい、過去一エッジの効いた声を出した桜田さんに、俺は素直に頷くしかなかった。
「そんな良い子の先輩にはキャラメルあげますね」
「あ、ありがと」
差し出されたキャラメルを反射的に受け取る。……怒られてるはずなのにお菓子をもらうのは、なんだか妙な気分だった。
「…………その、私はいじわるで先輩に強く言ってるわけじゃないですからね?」
さっきまでの朗らかな声が、ほんの少しだけ弱まった。そして、桜田さんは俺の顔を見て、どこか言いにくそうに続ける。
「この前も言いましたけど……私、心配なんです。私の目が届かないところで、もし先輩が倒れたりなんかしたら……」
「っ……ごめん」
俺は先輩失格だ。
桜田さんが怒っている理由なんて、最初から分かっていたはずだ。
俺の体調が悪くなったところで、困るのは俺自身。仕事に支障が出れば、周りにも迷惑をかける。桜田さんは、俺がそうなることをずっと心配してくれているんだ。
「謝らないでください」
頭を下げた俺に、桜田さんは少し困ったように笑った。
「その代わり、明日は元気な顔で出勤してくださいね。そして、明日こそ飲みに行きますからね! だから……今日はゆっくりしてくださいね」
そういえば食事に行く約束もしていた。俺が持ちかけた約束のはずなのに、何度も後回しにしてしまって申し訳ない。
「桜田さん……ありがとう」
ただ、今度は謝ることより桜田さんに感謝の言葉を伝えるようにした。
「っ! い、いえ! 分かってくれたなら、それでいいんです」
俺からの感謝が不意打ちだったのか、桜田さんは一瞬だけ目を丸くすると、すぐにいつもの笑顔に戻った。
その笑顔を見て、俺はようやく肩の力を抜いた。
もしかしたら、今日はぐっすり寝れるかもしれない。桜田さんの笑顔を見てると、そんな淡い期待を持ってしまう。




