親心のような何か
「次は立ち絵を読み込ませて……いや、その前に画像の調整か。これをベースにモーションキャプチャーのソフトを設定して……くっそ、これどうやるんだよ」
深夜二時。
パソコンの画面には、見慣れない設定項目と解説サイトのタブがずらりと並んでいた。
俺はそのひとつひとつと睨み合いながら、キーボードを叩いては手を止め、また別のページを開く。そんな作業を、もう何時間も繰り返していた。
「すー……すー……」
ふと視線を横に向ける。
俺の布団をすっかり占領したミサが、小さな寝息を立てていた。
「……気持ちよさそうに寝やがって」
『うむ、任せたぞ』
神様に任せてもらった手前、今さら投げ出すわけにもいかない。
(……とはいえ)
完全に舐めてた。
VTuberの初期設定は俺の専門外もいいところだった。
動画編集の仕事をしているからといって、何でもかんでも分かるわけじゃない。普段扱っているソフトとは勝手が違うし、そもそもキャラクターを自分の動きに合わせて動かすなんて、これまでの仕事では縁のない技術だ。
調べれば調べるほど、知らない言葉が出てくる。
画像の形式、モデルの設定、トラッキング、ソフト同士の連携……
「……なんで一個設定したら、別のところがおかしくなるんだよ」
画面の中では、ミサの立ち絵が妙な角度に傾いていた。
ほんの少し顔の向きを変えただけなのに、前髪が頬にめり込み、輪郭が不自然に歪んでいる。
「お前、そんな顔じゃなかっただろ……」
画面に向かって思わず呟いた。
もちろん、絵が悪いわけじゃない。ミサが念写した立ち絵は、本人の雰囲気をよく捉えた素晴らしいデザインだと思う。
問題は、それをどうやって動かすかだ。
一枚の絵をそのまま読み込ませただけでは、思い描いたとおりには動いてくれない。どこをどう動かすのか、どの部分を連動させるのか。ソフトに合わせてデータを整え、ひとつずつ設定していく必要がある。
(……いや、待てよ)
そもそも、ここまで細かく調整する必要があるのか?
初心者向けのソフトを使えば、もっと簡単に始められる。スマホひとつで動きを読み取ってくれるものだってあるし、最初の配信なら、それで十分かもしれない。
そう思って、いくつかの方法を調べてみた。
「……なるほどな」
確かに、手軽だった。
必要な設定も少ないし、なんなら今からでもすぐに始められる。
「…………」
別に、最初から完璧なものを用意しなければいけないわけじゃない。そもそも今日はテスト配信だ。動作確認さえできれば、それで十分なはずだった。
でも……ミサが顔を傾けたときに髪が自然に揺れたら。笑ったときに表情が柔らかく変わったら。手を振ったときに、画面の向こうにいる誰かへ本当に挨拶しているように見えたら。
(きっと……もっと楽しいだろうな)
ミサが初めて自分の配信画面を見たとき、どんな顔をするだろう。
画面の中で自分が動いていることに驚いて、目を輝かせるだろうか。それとも、あの大げさな口調で「これぞ神の御業!」なんて騒ぎ出すのだろうか。
……どっちにしても、喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「はぁ……」
気づけば、俺は簡単な方法の設定画面を閉じていた。
(もう少しだけ、試してみるか)
そんな言い訳を自分にしながら、別の解説ページを開く。
ひとつ設定を変える。
動かしてみる。
失敗する。
元に戻す。
また調整する。
失敗する。
また調整する。
「……今度こそ」
画面の中で、ミサの顔がゆっくりと傾いた。
前髪がわずかに揺れ、輪郭も先ほどより自然に動いている。
「おお……!」
思わず身を乗り出した。
ほんの少しの違いだ。知らない人が見れば、何が変わったのか分からないかもしれない。
それでも、四時間はこの顔を見てる俺には分かる。明らかに動作が良くなっている。
「もう少し……」
そうやって、俺は何度目かも分からない「もう少し」を繰り返した。
「……んん」
不意に、背後から小さな声が聞こえてきた。
振り返ると、ミサが寝返りを打っていた。掛け布団を抱きしめ、こちらに背を向けると、再び静かな寝息を立て始める。
「……ったく」
思わず笑みがこぼれた。
今思えば、神様をVtuberにするために徹夜しているなんて、こんな非現実的な状況はそうそう無い。
「ほんと、何やってんだか」
口ではそう言いながら、手は止まらなかった。
別に、俺がここまで頑張る必要はないのかもしれない。
最低限の設定を済ませて、動作を確認して、それで終わりにしたって誰も文句は言わないだろう。
それでも、どうせやるならどうせミサが夢中になるのなら。少しでも良いものを用意してやりたい。
自分でも、いつの間にそんなことを考えるようになったのか分からなかった。
「……もう一踏ん張り頑張るか」
そうして試行錯誤を繰り返した俺がキーボードから指を離したのは、朝の五時だった。




