5.心変わり
「キリアン、最近一緒にいてくれないのね」
ルイナに問われ、キリアンは瞳を揺らした。
ここ最近頭の中が霞がかったようで上手く思考が回らない。
以前は愛しいと感じていたルイナの声も、最近では不協和音のように聞こえていた。
「そんな事ないよ」
何とか声を振り絞り、キリアンは張り付いた笑みを浮かべた。ルイナに対して自然な笑みさえ浮かべられない。
「どうしたの? 最近何だか変よ。そんなんじゃ王太子になれないわ。しっかりしてちょうだい」
「キリアン様」
ルイナの言葉に息が詰まりそうになった時、清涼剤のように声が響く。
振り返ると、最近何故か惹かれているリリーの姿があった。
「お顔の色が優れないようですが、どうされましたか?」
「……いや、何でもないよ。リリー嬢はどうしてここに?」
「お忘れですか? 勉強を教えていただくお約束ですよ?」
リリーは上目遣いにキリアンを見つめる。
私だけを見て、と念を込めながら。
キリアンは目が反らせず、リリーと見つめ合った。思考が蝕まれ、彼女以外がどうでもよくなっていく感覚に襲われた。
「ああ、そうだったね。すまない、ルイナ。今日はリリー嬢と先約があるんだ。また今度でいいかな」
「そんな……」
「申し訳ございません。少しばかり殿下をお借りいたします」
淑女として感情を表に出さないと教育を受けたにも関わらず、ルイナの表情が歪んだ。
それを見てキリアンは一瞬抱き締めたい衝動に駆られた。だが先程のルイナの言葉が引っ掛かり、身体が動かない。
「アウムフォビア公爵令嬢、少しいいかな」
そこへフィリベルトがやって来た。彼は合図を送るようにキリアンらをちらりと見る。
「辺境伯令息、今は……」
「辺境の守りについて議論したい。手が空いているなら、付き合ってくれないか」
躊躇するルイナに、フィリベルトは強引にも連れて行こうとした。彼にとって今の状況はチャンスだった。
「行っておいで、ルイナ。また後で落ち合おう」
納得がいかないまま、ルイナはフィリベルトについて行ってしまった。
その後ろ姿を見て、キリアンは「お似合いだね」と呟く。それはリリーにとって、つけ入る機会でしかなかった。
「キリアン様、私たちも行きましょう」
「そうだね」
この機会に二人を引き裂き、キリアンの深いところまで行きたかった。
そうする事でキリアンを守れるとリリーは信じている。
「それで、どこが分からないのかい?」
図書室に来た二人は、向かい合って勉強をしていた。
一つ年下のリリーは、今まで満足に家庭教師をつけてもらえていないため、勉強不足だ。
この作戦が失敗した時のためにも、リリーは知識を付けておきたかった。
真面目なキリアンに近付く口実に一番効果的なのは、勤勉さをアピールする事。
リリーは確実に成功する道を選びながらも、失敗した時の事も頭の片隅に置いていた。
「ここの……理論がよく分からなくて」
伏し目がちな目線を上に向けると、自然にキリアンと目が合った。
その度魅了の魔法を使用し着実に浸透させていく。
最初は王族という事で警戒していたが、キリアン好みの仕草や雰囲気を意識的に出す事で、自然な心変わりを演出した。
一週間が過ぎる頃には、愛し合っていたはずの二人の間にあった熱は無くなりギクシャクし始めた。
「ねえ、キリアン。あなた最近本当におかしいわ。どうしちゃったのよ。何故あの女を優先するの?」
「ただ勉強を教えているだけだろう? むしろ何故そんなに気にするんだ?」
「あなたは将来王太子になるのよ? 皆の手本になるの。婚約者でもない年頃の男女が二人きりでいたら怪しまれるわ。相応しくないって言われる」
「それは私が王位に相応しくないという事かい?」
「っそんな事は言っていないわ。でも何も文官派の女と親しくしなくてもいいじゃない! 今のままだと王位が遠のくわよ」
ルイナの言葉に、キリアンの喉奥がぐっと詰まった。
まるで自分が王位に就きたいがためにそんな事を言っているのではないかとの疑念が浮かぶ。
「文官派も武官派も、争わずに済むならそれでいいじゃないか」
「そんな甘い考えじゃお兄様に負けてしまうわよ?」
「私は……!」
「キリアン様」
ルイナの言葉に逆撫でされた気持ちは、リリーの瞳を見れば霧散した。
キンキンと響くルイナの声に比べ、落ち着いた柔らかな声がキリアンの頭の中の霧を晴らしていく。
「ここでは悪目立ちしますわ。よろしければあちらでお話されてはいかがでしょうか」
辺りを見渡せば、数名の生徒がチラチラと様子を伺っていた。
確かにケンカしていては噂の元になる。
キリアンは気持ちを落ち着けるために息を吐いた。
「私の事は放っておいてくれないか」
「キリアン……」
頭の中のモヤが消えないうちは、ルイナと関わらない方がいいとキリアンの勘が告げていた。
これ以上話せば取り返しがつかない事になりそうだ、とも。
「行こう」
「待って」
キリアンはリリーの肩を抱き、その場を後にした。それを見たルイナがどう思うかなど構わなかった。
「見苦しいところを見せたね」
「いえ。……ルイナ様は心配されているのだと思います」
泣きそうなルイナの表情を思い出し、リリーの胸がつきんと痛んだ。少し前の自分と同じだった。
いや、自分は片思いだっただけだ。ルイナは愛し合っていたはずの婚約者から冷たくされている。
信頼していた人が裏切っている。その辛さを彼女に味わわせているのは自分なのだと思うと少し息苦しくなった。
「キリアン様は、王太子になりたいのですか?」
リリーは先程ルイナとの言い合いの最中、一瞬キリアンが窒息しそうな気がしたから声を掛けた。問い掛けに対し、キリアンは静かに自嘲した。
「私は王位には向いていないんだ。例えば誰かが罪を犯したとしても、情状酌量してしまう。生かしておけば取り返しのつかない事になるのではと言われても、更生の余地を探ってしまう。それはおそらく国王としては甘いと言われるだろう。だが、私を国王にと言ってくれる人の期待に応えなければならない」
それは王族として生まれた者の重圧だった。
文官派の第一王子、武官派の第二王子。
それぞれ友好の証としての政略結婚だが、婚約者の生家の派閥が敵対していたために王位争いに発展してしまった。
この現状が、争うつもりのないキリアンにとって窮屈になっている。
「お辛くないですか?」
キリアンは基本的には平和主義者だ。
好戦的な武官派のルイナと婚約している事がキリアンにとって本当に良い事なのか、リリーには分からなかった。
そんな事を聞かれた事もなかったキリアンは、リリーを見つめた。
己を映す瞳を見つめれば、そこには何かが限界を迎えた男の姿があった。
「正直、苦しい。時折重圧に押し潰されそうになる。剣の腕を鍛えるより本を読んでいたい」
ルイナに勧められ、毎朝鍛錬を続けているが中々身に付かなかった。それもまた、キリアンを苦しめていた。
「じゃあ、辞めちゃえばいい……のでは? 」
リリーの言葉に、口だけが動く。
「辛いなら 王位は第一王子殿下にお譲りして、キリアン様は臣籍降下して、補佐役としていればいいのでは?」
「だが……」
「国王陛下となる者は、弱いよりも強い方がいいです。今のままキリアン様が王様になったら、心が壊れちゃいそうです」
リリーの言葉は、今まで誰も言わなかった事だ。
それを聞いた瞬間、キリアンの中で視界が晴れた気がした。
「ルイナ様と話し合って、王太子にならないって言ってみてはいかがでしょうか?」
「……そう、だね。……うん、話してみるよ」
リリーはキリアンに目を合わせて微笑む。
キリアンもそれにつられて表情を和らげた。
「どういう……事?」
そこへフィリベルトと話し終わったルイナが現れた。
先程の話を聞いていたのだろう。彼女の表情は青褪めている。
「聞いていたなら話は早いね。……ルイナ、私たちの婚約を解消しよう」
キリアンは静かに告げた。




