6.偽りの婚約
「婚約を解消……って、どうして。……っあなた、キリアンを唆したのね? キリアンがどれだけ周りに期待されているか、知らないでしょう?」
「そうやって、キリアン様を無自覚に追い込んで楽しいですか?」
感情を顕にしたルイナを、リリーはじっと見据えた。
「なにを……」
「ルイナ様はキリアン様を愛しているのでしょう?」
「当然よ!」
「では、キリアン様の苦しみも理解していらっしゃるのですよね」
「苦しみ……?」
先程の話を聞いていたなら言えるはずだ。
王太子になる事への重圧を感じている事。
彼の性格からして、負担になっている事。
「そんな事、些細な事よ。キリアンは武官一派の期待を背負っているの。文官派に負けるわけにはいかないのよ」
「あなたはキリアン様を見ているの? キリアン様の気持ちは?」
「そんなもの、関係無いわ。王族に生まれたなら、個人の感情なんて必要無いもの」
ルイナの言葉に、キリアンは目を細め眉を顰めた。
リリーはそっとキリアンの手に添える。
「キリアン様がそれを望まなくても? 負担に感じていても国王にならなければいけないの ?」
「そうよ。そして私はその隣に立つためにいるの。私たちの婚約はおままごとじゃないのよ」
貴族の結婚は政治が絡む事が多い。国王となる者は必ず後ろ盾を必要とする。
第一王子殿下の後ろ盾がストラベル公爵家ならば、第二王子殿下の後ろ盾はアウムフォビア公爵家というように、必ず政治に絡み国を掌握するための力が必要だ。
「ルイナ、きみの気持ちはどうなんだ? 私を愛しているから推してくれるんじゃないのか?」
「愛しているわ。じゃなきゃ父や騎士たちに便宜を図らないもの」
「では、もし私が王位争いを辞退したいと言っても、きみはついて来てくれるか?」
キリアンの言葉にルイナは即答できなかった。
躊躇してしまった。
ルイナがキリアンと婚約したのは、政略的なものだが、二人でいる時間を大切にしていたしそこには確かに愛があった。
──ただ、彼女が大切にしているのはキリアンとの時間だけではなかった。
騎士団長としての父を誇りに思い、国の有事に備えて訓練を怠らない騎士たちを大切にしていた。
それは時としてキリアンよりも優先されるものだった。
だから、武官一派を背負った彼女は、全てを捨てたキリアンについて行くのを躊躇ってしまった。
「……すまない。やはり私たちの婚約は一時保留した方がいいようだ」
「っキリアン、私……」
「行こう、リリー」
キリアンが他の女性の腰に手を回す。
それを見てルイナの胸が張り裂けんばかりに痛んだ。
「すまない、リリー」
「いえ。大丈夫ですか?」
「ああ。……ルイナが何も持たない僕を愛していないって知りたくなかったなぁ……」
泣きそうなキリアンを見て、リリーの胸がぎゅっと締め付けられる。
キリアンを傷付けてまで愛する人と仲違いをさせなければならないのか、と胸の奥で罪悪感が燻っている。
「リリー、すまないが婚約解消できるまで当面は合う事を控えよう。あくまでもこれは自分の問題であって、 きみを巻き込みたくないんだ」
「それは……」
会わない日が続けば、魅了の効果がどうなるのか分からないが、否とも言えなかった。
「承知いたしました。解決する日をお待ちしております」
魅了をかけたのは自分だが、実際にキリアンが傷つく姿をみてしまうと、リリーはこのまま仲直りしてくれればそれでいいのでは、とも思ってしまう。
だが、そうすると兄がキリアンを狙うだろう。キリアンの命を保障してくれる人がいれば、と自分の無力さに歯嚙みした。
その後も諦めきれないルイナは、キリアンのところへ日参した。
誰にも相談できず、焦りばかりが滲んでいく。
「ねえ、考え直してよキリアン」
「もう沢山だ。何度話してもきみは王太子になる僕しか興味無いじゃないか」
「そんなこと無いわ」
話は平行線のままだった。
愛していると伝えても、キリアンの胸の奥に届かない。
だが、何故こんな仲違いしているのか頭の片隅で納得していない部分もあった。
今までの自分は、弱いところを上手く隠しているはずだった。
誰にも知られない秘密だった。
ルイナにさえ、こんなにみっともない姿は見せなかった。
「リリーに会いたいな……」
ルイナと決着のつかない話し合いに疲弊した彼は、次第にリリーの屈託の無い笑顔を思い出していた。
会わないうちに魅了の効果は薄れている。だが、その残滓が 心の隙間に入り込んだのかは分からないが、キリアンの胸中にリリーの存在がシミのように拡がっているのは確かだった。
己の未来がかかっている。武官派の未来も、ルイナの事も。
なるべく穏便に婚約を解消したかった。
リリーの存在がある以上、これ以上ルイナに対して不誠実な真似はできないと感じていた。
キリアンはアウムフォビア公爵を訪ねた。
「キリアン殿下、どうされましたかな」
「アウムフォビア公爵閣下、折り入ってお話があります」
キリアンの真面目な表情にアウムフォビア公爵は目を細めた。
彼は最近の娘とキリアンの仲違いを聞いている。
娘が何も言ってこないため静観しているが、心配はしていた。
「ルイナとの婚約を解消してほしいのです」
「……理由をお聞かせ願えましょうか」
「一番の理由は、私の気持ちの変化です。今まで王太子となるべく研鑽して参りましたが、自分の力量の限界を悟りました」
目を伏せ拳を握り締めるキリアンを、アウムフォビア公爵はじっと見据える。
彼もまた、派閥の筆頭として推しながらもキリアンの実力が第一王子に及ばないと感じている一人だ。
「そのために娘がおります。二人で協力していけば良い事では?」
「ルイナ嬢とは……やっていける自信がありません。私が何も持たずとも共にいてくれるか、という問いに、彼女は応えてくれませんでした。私が王太子となる事だけを望んでいる。それは家門を大事にしているからでしょう」
娘の家門思いの何がいけない、とアウムフォビア公爵は疑問を持たなかった。
「それでは王太子妃として相応しくないと考えます。 私は、文官、武官共に手を取り合うべきだと」
甘い、と思う。だが、国王となる者、派閥関係無く平等であらねばならないというキリアンの主張も否定できなかった。
どちらか一方に肩入れし、便宜を図っていては不満が溜まる。
「兄上は、俯瞰して物事が見れる御方です。兄上が王太子になったとしても、私がサポートして武官派が不利になるような事はいたしません」
アウムフォビア公爵は長く息を吐いた。
ルイナの家門思いな所が弱点となってしまった。
強い思い入れは時に思わぬ方向へ行ってしまうだろう。平等からかけ離れていけば、確かに王妃として相応しくない。
「それでも……そなた達は仲睦まじくしていたではありませぬか」
ルイナはキリアンを愛している。父から見ても、そう感じていた。
王太子妃となれずとも、王子妃として二人で第一王子を支えればいい、と。
だがキリアンは表情を固くし、目を伏せる。
「私が……もう、ルイナでは駄目なのです。申し訳ございません」
そして深く頭を下げた。
こうしている今でも、これが正しい事なのか分からない。
分からないが、心の中にリリーを棲まわせてしまっている以上、ルイナに不誠実な事はしたくなかった。
キリアンの、実直な性格が、二人を分かってしまったのだ。
そういう彼だからこそ、その心は戻らないとアウムフォビア公爵は理解した。
「分かりました。婚約解消、承りました」
キリアンは更に深く頭を下げた。
こんな時でさえ、浮かぶのは婚約者の姿ではなかった。
その事が、彼の中のナニカを歪めていった。




