13.疑惑
先日の夜会の二人を見ていた周囲から、とある噂が立っていた。
仲の良かったキリアンとリリーだが、別行動していただけでなく、キリアンは令嬢と親しくしていたからだ。
「おかしいと思ったのよね。キリアン様はルイナ様と仲睦まじかったのに、急に人が変わられたようになって」
「まるで魔法みたいね」
「私、こんな書物を読んだ事がありますの。『魅了』という禁忌の魔法なのですが」
その噂はキリアンに口説かれた令嬢たちの間から始まり、王宮の侍女たちに伝播し、拡散されている。
キリアンは令嬢たちに問われても、曖昧に濁していた。
この頃には感情も少し落ち着き、冷静に考える事もできるようになっていた。
それでもリリーに対する醜い感情は尽きなかったが、噂が確定しそうになると「私が心変わりしたからだよ」と魅了を否定した。
「また心変わりしてしまうかもしれないね」
そう言って憂いを帯びたように言えば、令嬢たちはぜひ自分に心変わりを、とアプローチする。
次第にリリーへの反感が強くなり、キリアンが心変わりしたのは魅了でも使ったに違いないという風潮に変わっていった。
それに危機感を抱いたのは、リリーの父親ケインだった。
これまで目に掛けていなかったが、かと言って好き勝手にされては困る。
ましてや魅了魔法など、冤罪であれば侮辱も甚だしいし実際に使用したのであれば切り捨てる事も考えなければならないと王宮に与えられたリリーの私室へ出向いた。
「久しぶりだな」
侍女に通され、ソファに腰掛けたケインは、出されたお茶に口を付けながら娘を見ていた。
彼にとって、リリーは死の象徴だった。
後継者が一人では心許ないと、家門の総意で後妻を娶らされた。
初めは後妻を愛していたわけではない。ただ、義務だけの間柄だった。
男児が生まれればそれで終わり、後は仕事に邁進すれば良かった。
後妻はケインの思惑と外れ、前妻の子であるライオスとカレンデュラが懐いていた。
母恋しい時期に母を亡くし、寂しがっていた二人にとって後妻の明るい性格はとっつきやすかったのだろう、とケインは推測する。
子どもたちも懐いているならば、とケインも少しずつ後妻に歩み寄り、やがて子を授かった。
そうして生まれたのがリリーだった。
だが後妻は産後の肥立ちが悪く、他界してしまった。
ケインは二人の妻を亡くし、一部では妻殺しの公爵と噂されたものだった。
だから、後妻の死因となったリリーを恨んでしまった。
その後冷静になり、リリーが原因ではないと心が理解する頃には──ようやく懐いた継母の死とケインの影響を受けたライオスがリリーに辛く当たり、公爵家の当主と後継者がそうならば、と使用人までリリーに辛く当たっていた。
そもそも当主がそうだからと使用人まで冷遇する事は職務違反なのだが、だからといって正す事もしなかった。
彼は逃げたのだ。幼い娘から。
それでもなけなしの愛情の欠片のようなものでリリーに家庭教師を付け、陰ながら見守る父親のつもりだった。
「どちら様かと思えば、ストラベル公爵閣下でございますね。ごきげんよう」
リリーの他人行儀な態度に、ケインは唖然としてしまった。
生まれて数える程しか会っていない娘だ。
愛情の示し方も中途半端で伝わっていない。
そもそも会わないのだから顔すら忘れられていても不思議ではないが、リリーの態度に怒りをおぼえた。
「随分と他人行儀なのだな」
「父と娘と言える程接してきておりませんので」
痛いところを突かれ、ケインは既に逃げ出したくなった。
彼は面倒事があればすぐに逃げる癖がある。
そのくせ好事の際はしゃしゃり出たがるからライオスにも煙たがられていた。
「まあいい。要件は一つだ。お前が魅了を使用したとの噂があるが、本当か?」
「それがどうかなさいましたか?」
「魅了魔法は禁忌だ。精神を操る魔法の使用者は処刑も検討される。もしもお前が使用したのであれば、ストラベル公爵家はお前を庇えない」
父親とは名ばかりの男に言われ、リリーは持っていたカップをソーサーに置いた。
「閣下が今まで、私に特別に何かして下さった事がありますか?」
「か、家庭教師をつけてやっただろう!」
「それは貴族であれば通常誰もが付けられる事です。それが特別なのは、庶子の場合でしょう。母は閣下の正式な妻ではなかったのですか?」
「い、いや、ちゃんと婚姻した」
「では私は嫡子であるにも関わらず、閣下と兄の影響で使用人からも虐げられていたのですね。それで今更庇えない……? 元より関わるつもりなどありもしないくせに」
娘から諦めたように言われ、ケインは口を開けなかった。
何もしてこなかったくせに、と責められているようでいたたまれなかった。
「お帰り下さい。閣下は今まで通り、私に無関心でいてください。処刑されるときはどうぞ捨て置いて。いてもいなくても困らないでしょう?」
そう言わせてしまう事が、己の良心を刺激する。
結局ケインはこれ以上何も言えず、すごすごと引き下がるしかできなかった。
リリーは魅了を使用した噂が広まっている事に危機感は持たなかった。むしろもういっその事処刑された方がルイナも戻りやすいかもしれない、とも思い始めていた。
「手紙……」
重い腰を上げ、リリーは机に向かう。
ここにある備品類は、あらかじめ用意されていたものばかりだ。
手に馴染まないペンを執り、手紙をしたためる。
何度も読み返し、書き直し、ようやく納得のいく内容が書けた。
インクを乾かし、丁寧に折り畳み封筒に入れる。
これをバルトロメオに渡せば、ルイナはきっと戻って来るだろう。
その後は魅了魔法を使用したとして自首し、処刑を受け入れる。 生まれた時から周りに疎まれ、嫌悪を向けられる生活に疲れてしまった。優しかったキリアンも、自分が変えてしまった。キリアンの命もバルトロメオが保障してくれた。兄も手は出せないだろう。
リリーはこの世に未練などなくなってしまっていた。
公爵家に迷惑はかけられないから除籍が先だろうか、と思案しながら扉へ向かったところで誰かにぶつかった。
「あっ、すみません……」
「心ここにあらずか」
見上げると、そこにいたのはキリアンだった。
相変わらずノックもせずに無断で室内に入っていた。
何も言えずに俯いたが、キリアンはリリーの手に持っているものを見ると奪ってしまった。
「そ、それは!」
「なんだ、これは」
「お返しください。それはバルトロメオ殿下にお渡しする手紙です!」
他の男の名を出され、キリアンは冷たい双眸をリリーへ向けた。
有無を言わさずに封を切り、中身を読み始める。
「……お前、今更戻れと言うのか?」
「愛する方の元へ戻れるのであれば、殿下もその方がよろしいでしょう?」
全て分かりきったような表情をするリリーに、キリアンは苛立った。
バルトロメオの名を呼ぶのに、自分に対しては敬称のみというのも気に入らなかった。
自分はこんなにもリリーの事を考えているのに、とマグマのようにドロドロとした感情が煮え滾っている。
「婚約は解消しないと言っただろう」
「ですが」
「魅了の噂か? あれは私が否定してやった。お前を愛しているのだと、令嬢たちにも言ってやった。それでもお前は逃げるのか?」
壁に縫い止められ、息がかかるくらいの距離で詰められる。
美しいと感じていた碧の瞳が、黒く濁っている。
「元に戻すだけです」
「許さない。私から逃げるなんて許さない」
キリアンはリリーの顎を掴むと上に向けさせ、噛み付くように口付けた。舌を割り入れ、歯列をなぞると脳が震えて歓喜した。
その一方でドロリと翳る執着を含んだ目をしながら、泣きそうな顔をする。
心をかき乱されたキリアンの気が済むまで付き合わなければならない、とリリーは抵抗する力を緩めて受け入れた。
そうして受け入れられた事が、キリアンの絶望を癒やしていく。
だが、リリーを受け入れる事は、絶望を増やす事でもあった。




