第59話 アイルランド国 1502年 帰省
【管理官の空間】
「おかえり、イザベル。この十年間、本当にいろいろなことがありすぎましたが……この惑星に来てから、あなたはよく頑張りましたね。アイルランドの民も、あなたに感謝していますよ」
管理官の言葉を聞いて、私は思わず目を見開いた。
「えっ、今、褒めた? ……初めてかもしれない」
「ここ数年で、あなたは大きく成長したと思います。必死に走り続けていたから、自分では気づく余裕もなかったのでしょうけれど。……それで、今日は何を聞きたいのですか?」
管理官の問いに、私は少し考えてから首を振った。
「特に、これといって聞きたいことはないんです。ただ、なんとなく会いたくなって。……たぶん私はもう、惑星ムンドには完全には帰国しないと思う。それを伝えたくて」
「それは、あなたが思うようにしなさい。……ああ、そうだ。一つ、バレリアに関して教えておきましょう」
管理官は静かな声で続けた。
「彼女はあの大戦中、あなたをかばって死にました。その際、彼女の魂はこちらの世界で待機していたのです。今のバレリアは完璧なアンドロイドですが、以前の彼女が持っていたような『感情』はありません。……実は、バレリアの魂は今、あなたの長女であるオリヴィアの中に宿っています」
「……っ!」
「話しかければ、きっと答えてくれますよ。彼女も、あなたに受け入れてもらえるか不安に思っています。あなたの素直な気持ちをぶつけてあげなさい」
沈黙が流れた。ここ数年で最大の衝撃だった。
「……教えてくれてありがとう。早速、話してみるわ」
「最後にもう一点。ダニエルは、あなたの息子であるフリオを我ら管理官と繋げたいと願っているようですが……。生身の人間が、生きたまま我らと繋がることはありません。そのことは、息子さんとダニエルに優しく伝えてあげてください。では、また十年後に」
* * *
私は教会を後にすると、まっすぐオリヴィアの元へ向かった。かつて何度も私の命を救ってくれた、バレリアの魂が眠る場所へ。
今年三歳になったオリヴィアは、今ごろ王宮の保育室で英才教育を受けているはずだ。部屋の前で一度深く深呼吸をし、警備のアンドロイドに合図を送ってドアを開けさせた。
室内にいたオリヴィアを見つけると、私はにじり寄って、彼女を優しく抱きしめた。
「守ってくれてありがとう、バレリア。あなたのおかげで、私はあの時、悪魔を倒すことができたの。本当にありがとう」
腕の中の小さな体が、びくりと震えた。
「お母様……胸のあたりが、変な感じ。内側から外に向かって、不思議な『気』が溢れていくの」
オリヴィアは顔を赤くし、その大きな瞳から涙をこぼしていた。
「人はね、そうやって感情を表現するのよ。大丈夫、それが普通なの。……これからは、私がバレリア、いいえ、オリヴィアを命がけで守るわ」
私が宣言すると、オリヴィアは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「よろしくお願いいたします。……今の私は小さな人間ですから、とてもか弱いのだと自覚しております」
少し言葉を交わして分かったことだが、彼女には前世の記憶がはっきりと残っていた。私を命がけで守ったことへの「ご褒美」としての転生らしい。本来なら別の惑星で生を受けるのが理なのだが、特別な配慮がなされたのだという。
これからは彼女への英才教育はやめにしよう。人としての体験を一つずつ積み重ねていけばいい。「つまずいて転んだら痛い」といった当たり前のことを学んでいくのだ。データとしてではなく、泣いて、笑って、怒って、恥じらって。感情豊かな、素敵な女性に成長してほしい。そして、いつか素敵な恋をしてほしい。
……あわよくば、孫の顔も見られたら。これは私の勝手な願望だけれど。
翌日、私は近親者たちにオリヴィアの秘密を打ち明けた。
マシューは「イザベルの思う通りにすればいい」と言ってくれた。かつての戦友が娘になったことに複雑な心境のようだが、オリヴィアの容姿はマシューの血を色濃く引き継いでいる。
「でも、バレリアがマシューをあの原野で見つけ、命を救ったからこそ、こうしてオリヴィアの誕生に繋がった……。不思議な縁よね」
私が言うと、エラがふんぞり返って偉そうに口を挟んだ。
「世の中、そういうものよ。命は巡っているのさ」
私は続けて、「短期間、惑星ムンドへ里帰りをしたい。できれば皆で」と提案した。
「また冒険があるのか?」と期待に満ちた目で聞くエラに、「たぶん無いわよ」と苦笑いで返す。ただ、実家の家族やイバン、イレーネに会いたかった。フリオや、生まれ変わったオリヴィアのことも紹介したかった。
その日のうちにイバンに連絡を取り、明朝に短期帰省することを伝えた。イバンは、私たちがこちらを離れられない状況を察してくれていた。同行者は私、マシュー、エラ、アンドロイドのバレリア、そしてフリオ、アーサー、オリヴィア、赤ん坊のアメリア。家族総出の大移動だ。
翌日早朝、懐かしき鍛冶屋の店先に転送した。
そこには、イバンとイレーネが並んで立っていた。農地担当のアンドロイド二人も控えている。
私はあまりの懐かしさに、思わず周囲の匂いを思い切り吸い込んだ。以前と変わらぬ匂いに、心から安堵する。
イバンに歩み寄り、軽く挨拶をしてハグを交わす。赤ん坊を抱いているイレーネとも、言葉を介さずに固く抱き合った。
ふと気配を感じて足元を見ると、一人の男の子がイレーネのスカートを掴んでこちらを見上げていた。
「……二人目?」
私の問いに、イレーネはこくりと頷いて涙を流した。もう二度と会えないと思っていた私たちに会えた感動が、彼女を包んでいるようだった。
時間をかけて自己紹介を済ませ、イバンに息子フリオを紹介すると、今度はイバンが涙を流してフリオを抱きしめた。
久しぶりに私が腕を振るい、皆で食卓を囲んだ。アントニオの家族も呼び、子供たちはすぐに打ち解けて友達になった。
「明日は実家に挨拶に行くわ」
そう言うと、アントニオから「ポルトガルの商人があなたを訪ねてきた」という報告を受けた。経緯については、同行していたアンドロイドのバレリアが即座に回答した。
「その案件は数年前に完了しています。ポルトガルの貴族による拉致計画はすでに阻止し、現在は工作員を配置して監視下においています。友人のブルーノも、その配下として大人しく生活しております。……現在は、この地方で山賊の女頭と暮らしており、無害です」
(えっ、ブル吉がレッドエルフと……?)
衝撃の事実だったが、平穏に暮らしているならそれでいい。私は関心を別のことに切り替えた。
追加の報告によれば、あの例の農地は現在「村」となっており、アルトゥーロさんの土地や隣接する土地も農地として開拓され、以前の三倍の広さになっているという。現在はイレーネ・マルティネス男爵家から村長として管理者が派遣され、アンドロイド三十名と共に農地の管理や販売を行っているそうだ。そこから得た利益は、この鍛冶屋の収益として積み立てられ、多額の税金を納めることでマルティネス男爵家の経営を支えているとのことだった。
「向こうでも鍛冶屋をしてるの?」とイレーネに聞かれ、そうだと答える。
「マシューは何をしてるの?」
「……ひょんなことから、王様をやってるわ」
私が答えると、イレーネは大笑いした。
「王様! よろしくね!」
彼女が片手を上げて気さくに挨拶すると、マシューも「ああ、よろしく」と笑って応じていた。
翌日、私は生まれ育った村へと飛んだ。
懐かしの我が家を見て、「帰ってきたんだな……」としみじみ思う。家の前では、兄のマルコスが作業をしていた。
「マルコス! イザベルよ! みんな元気?」
声をかけると、兄は呆然とした顔で私を見た。
「……お前、本当にイザベルか? 信じられない! 父さん、イザベルが帰ってきたぞ!」
兄が家の中へ駆け込むと、中から母と父、そして子供と手を繋いだ祖父が出てきた。懐かしい家族の顔。みんなが元気でいてくれたことが嬉しくて、私は母の胸で泣きじゃくった。
家族にマシューたちを紹介し、近況を報告した。頻繁には戻れないけれど、何か用があるときはアントニオ商会に連絡して、と「繋がり」を残した。祖父マリオは膝を悪くしているようだったので、皆が寝静まった夜、こっそりと治癒魔法をかけておいた。
そして早朝、私たちは村を出て王宮へと転移した。
* * *
往復の長距離転送でも体調に支障はなく、問題はなかった。
それから私たちは、再びいつも通りの平穏な生活に戻った。
さらに十年が過ぎた。
私は管理官に、この平穏な日々に感謝を捧げる。
そして、また次の十年を無事に迎えることができるよう、心の中で静かに願うのだった。




