第58話 アイルランド国 1492年 ダニエル
教会がアイルランドを統一した形にはなったが、現在の教皇は国の統治よりも民の幸せを第一に願う御仁らしい。他国から見れば偽善者と映るかもしれないが、彼は「宗教以外に口は挟まない」と公言している。強い信念ゆえか、あるいは我らの知らぬ掟があるのか、教会の関係者は一切国政に参加しない。それがこの国の現実だった。
忙しい日々を過ごすうちに、あれから半年が過ぎた。
祖国イングランドの王は、皇太子の反対を押し切ってマシューの即位を正式に承認した。血縁関係があることも影響したのだろう、スコットランド王もそれに倣った。ウェールズ国王に至っては、側近であるエラの存在、そして私やバレリアという戦力があることを考慮し、当然のようにマシューを国王と認めている。
真の勇者として、この国の功労者として、あるいは外交の要や王妃として――周囲からは子供の存在云々を含め、喧しく言われている。
そう、私は二人目を身籠っているのだ。長男のフリオは要塞で元気に育っている。まだ赤ん坊だが、ラシーヤは「ぜひ産みましょう」と勧めてくる。……まあ、産むことになるだろう。当面は周囲に悟られないよう、偽装する予定だが。
懸念事項が一つあった。ウェールズに残してきた鍛冶屋の地下施設と、弟子のポピーのことだ。
地下については転移門などで繋げば問題ないが、ポピーにはマシューと一緒に事情を説明した。彼女は物怖じしない性格なのだが、国王となったマシューから直接話を聞かされ、緊張でガチガチになっていた。
「……さま、ぎやせんせいの、したい、でも、いいでずが……」
何を言っているのか聞き取れず、よくよく噛み砕いて確認したところ、「先生の元で勉強を続けたい。いいですか?」ということだったらしい。
私は快諾し、彼女をアイルランドの王宮工房で雇うことに決めた。ウェールズの工房はアンドロイドに任せ、営業を続けながら拠点として残すことにした。
王宮にはマシューの母親の実家から数十名が派遣され、運営を担っている。エラの実家からも身内が数十名ほど送り込まれてきた。他にも、イングランドからマシューを慕って合流した貴族が数名。
対して、生き残ったアイルランドの貴族は騎士爵が最高位で、男爵家より上は全滅状態だった。そこで数百名の騎士爵の中から有望な人材を選び、男爵に陞爵させて土地を管理させることにした。それ以外は王国直轄領として統治する。
メイソンやダニエルにも、教会を辞めて貴族になるよう勧めたが、二人には断られてしまった。ただ、メイソンだけは国の諜報部門の仕事を引き受けることに同意してくれた。
一方、アルフィーとイーサンはもともと貴族の出だったので、爵位を引き受けてくれた。二人とも北アイルランドの小さな男爵家の身内だそうで、将来的に親族を養子に迎えて家督を継がせるという条件付きの着任となった。
王の側近としては、エラを公爵に叙し、魔法省の責任者に据えた。彼女はアンナを養子に迎え入れ、マシューを支える盤石な体制を築いている。アンナの養子縁組については、エラの身内から「すったもんだ」の苦情が出たが、なんとか押し切った形だ。
そしてバレリア。彼女も公爵にして軍務大臣となり、マシューの右腕となった。彼女の家臣はすべてアンドロイドで構成されている。
国庫には、行き場を失った旧貴族たちの莫大な財産が眠っている。
お宝好きなエラには、飽きるまでその整理を担当させている。もっとも、最近のエラは私が作る工芸品以外には興味が薄いようで、大半の整理はアンドロイドがこなしているが。
悪魔の被害に遭ったのは王家や貴族だけではない。都の中心部にあった大店も壊滅的だった。相続人のいない店の資産は国が管理し、国内外の商業ギルドに声をかけて職員を募集した。ダブリンでの勤務経験がある者を優先し、ウェールズの商業ギルドからはチャールズを直接スカウトして、無人となったギルドの再建にあたらせた。
同時に冒険者ギルドの体制も整える。人材不足など課題は山積みだが、「今は国難だから」という合言葉のもと、なんとかまとまっている。道はまだまだ長そうだった。
*
あっという間に数年が過ぎた。
国内は落ち着きを取り戻し、私は四人の子の母親になった。貴族の質も向上し、実力ある若い騎士爵が成果を上げ、伯爵へと昇り詰める例も出てきた。実はメイソンも今では伯爵となり、国家情報長官を務めている。
ワンドや杖の輸出はこの国の産業の柱となり、マシューが国王になってからの国民満足度は、数字の上でも年々上昇している。
家族の話をすれば、長男のフリオは聖属性の能力に特化しており、ダニエルがべったりと張り付いて「おじいちゃん」のような存在になっている。
次男のアーサーはマシューの血を色濃く継いだのか、幼いながらに稀有なカリスマを放っている。彼を見た者は誰もが「次期国王」と確信するほどの存在感だ。
長女のオリヴィアと次女のアメリアは現在英才教育の真っ最中で、まだ公の場には出していない。
あの大戦から六年。宮廷の研究室では、召喚と転送が可能な装置が完成した。
テストには成功しているが、まだ惑星ムンドへの帰還は果たしていない。国内の転移装置は八箇所の主要都市の軍事施設内に設置済みだが、民間への開放は安定を待ってからにする計画だ。
まずは商業ギルドや冒険者ギルドへの設置を検討している。商業ギルド側は前のめりで食いついてきたが、従来の流通雇用の維持や装置の警備問題など、クリアすべき課題は多い。これらが改善されてから設置するという方針で話を進めている。
エラのわがままで、ウェールズにある彼女の店にだけは個人用の転移装置を設置した。エラはたまにそこへ帰省している。大好きなおじい様が建ててくれた店には、相当な愛着があるようだ。大切な思い出なのだと聞き、私も納得した。
それからさらに数年。私は滅多に足を運ばない教会を訪ねた。
ダニエルは私のことを「信仰心のない聖女」だと思っている。そんな私が真剣な面持ちで彼に告げた。
「教会で静かに祈りたいので、数時間ほど貸してください。あと、何があっても大丈夫ですから、決して私に触れないでくださいね」
そう言い残し、私は神に祈りを捧げ始めた。
* * *
【ダニエルの視点】
イザベル様が、これほど厳しい表情で王宮の教会に来られるとは珍しいことだった。
彼女の言葉に従い、私は離れた場所で見守っていたが――祈りが始まって間もなく、私は絶句した。
「おぉ……なんということでしょう。神よ……」
数分だったのか、数時間だったのか。時間の感覚が混濁し、私はただ呆然と、光に包まれる彼女を見つめるしかなかった。
「……ダニエル」
沈黙を破り、彼女の声が響く。
「ダニエル、聞こえていますか。……終わりました。帰りますね」
呼びかけられ、私は思わず問いかけていた。
「今のは、一体……」
「神と、話をしてきました。初めて、私達とこの国の民を褒めてくれましたよ」
その驚愕の告白を聞いた瞬間、私はその場に膝を折り、イザベル様に向けて祈りを捧げた。すぐ近くに神がおられ、私達を見守ってくださっている。その現実を肌で体験したのだ。まさに、猊下がおっしゃった通りだった。
そうだ、フリオ様が啓示を受けられる立派な聖者となれるよう、私も毎日神に祈りを捧げよう。そう心に誓った。




