第55話 アイルランド国 1486年 爺
私達一行は、精神病棟にある鉄格子の嵌まった部屋の前に立っていた。
「この貴族は呪いによって精神を病んでしまったのです。自我はどこか別の場所に閉じ込められているようでして」
案内役の先生がそう解説すると、同行していたイーサン先生が進み出た。
「儂にやらせてくれ。彼は親友だったんだ。頼む」
私は頷き、先生が呪文を唱え、魔法を発動するのを見守った。しかし、わずかな変化は見られたものの、事態を好転させるまでには至らなかった。
代わって私が、少し出力を強めて魔法を発動した。
イーサン先生の時よりも強く眩い光と熱が溢れ出し、部屋を満たす。すると、それまで虚空を見つめていた貴族が、急にがっくりと膝をついた。
「……ここは何処だ? 私や先生を見て、お前達は誰だ……? それに、お前。どこかで見覚えのある爺さんだな……」
「アルフィー、儂だ。イーサンだ。……お前だって、もう立派な爺さんだぞ」
「なんだと。そんなはずはない。恋人の聖女マリアと共に悪魔退治をしてから、まだ数日しか経っていないはずだ!」
「アルフィー。お前はあの戦いで悪魔を倒したが、呪いを受けて五十年もの歳月が経過したんだよ。自分の老いた手を見てみろ。それが二十代の若者の手に見えるか?」
イーサンに言われ、アルフィーは呆然と自分の手を凝視した。
「鏡を見せてくれ、鏡を!」
叫ぶ彼に、イーサンは「現実を受け入れろ」と諭すように語りかけた。アルフィーは急に気落ちした様子で、近くにあった椅子を探し、力なく腰を下ろした。
「……マリアはどうしている? 元気でいるか?」
絞り出すようなその問いに、案内役のダニエルが答えた。
「三か月前、ダブリンに向かう途中にここへ立ち寄られましたが、その後は行方不明です。未確認の情報ですが……悪魔の依代になっている可能性が高いかと」
「「なんと!」」
アルフィーとイーサンの声が重なった。
「目覚めて早々、愛する者のそんな残酷な話を聞かされるとは。お前は悪魔か!」
「イザベル、君の調査ではどうなんだ?」
話を振られた私は、冷静に答える。
「まだ未確認です。ですから、武器を強化して現場に向かうつもりですよ」
すると、アルフィーは「私はマリアが生きていると信じている。最悪の状況だとしても、命を懸けて戦う」と、先ほどまでの落胆が嘘のようにやる気を見せ始めた。
一方、イーサンの方を見ると、「お前の杖作りを見たい、連れて行け」と、こちらは別の方向に興味のベクトルが振り切れている。
私はふーっと大きく溜息をついた。エラとバレリアを見ると、二人とも「諦めなさい」と顔に書いてあった。
老人二人に二度目の回復魔法をかけて落ち着かせた後、私達は感染病棟に向かった。
ある部屋の前で、ダニエルが足を止める。
「ここです。この者は腕の立つ剣士なのですが、いかんせん女癖が悪く……。南部の特定の性病にかかり、現在は体を動かすこともできません。今は己の行為を懺悔し、神に祈る毎日です」
それを聞いたエラが、露骨に嫌な顔をした。
「げー、気持ち悪い。男ってのは嫌いじゃ。ただのケダモノじゃないか。イザベル、やめとけ。治ったところでまた病気になるんだから、放っておけばいい。男は性欲の病人なんだよ」
ダニエルは深々と頭を下げた。
「……何とかお願いします。強力な魔法を。これでも、私の末の弟なのです」
何度も頭を下げる彼に対し、エラは「ケッ」と毒づいて明後日の方を向いた。
「……では、始めますね」
私が呪文を唱えると、強く、それでいて暖かく心地よい熱が彼を包み込んだ。
治療は成功だ。だがその直後、突然エラが激昂して、患者の頭を杖で小突いた。
「この馬鹿垂れが!」
見れば、寝かされている患者の下半身が、まるでテントを張ったかのように「ナニ」を屹立させていたのだ。
私はダニエルをきつく睨み、そのテントを指差した。
「すいません、なんとかします……!」
ダニエルが慌てて弟を説教し始めたので、私達は部屋を後にした。
廊下を歩いていると、バレリアが淡々と提案してきた。
「……イザベル、『去勢プログラム』を発動しますか?」
「性犯罪者じゃないんだから、放っておけばいいんじゃない?」
私が苦笑して返すと、バレリアは真剣な表情で食い下がった。
「イザベル、それはダメです。あれは脳の異常です。軽めの抑制プログラムを施せば、まっとうに社会復帰できます。是非とも施術すべきです」
そのあまりに真面目な提案に、私は少し考え直してみることにした。
バレリアが病室に戻り、ダニエルに「弟さんを治療します」と告げた。彼女が抑制プログラムを作動させて戻ってくると、「かなりの効果が見込めるはずです」と報告を受けた。これで周りの人間も一安心だろう。
彼をウェールズに連れて行くわけにもいかないので、私は教会関係の工房を借り、杖の製作準備を始めた。本格的な工作機械はないが、必要な部品は持参している。あとは私の「チート」で組み立てるだけだ。
数時間に及ぶその作業を、イーサン先生は微動だにせず見学していた。その集中力たるや、狂人の域に匹敵するかもしれない。
全員分の杖を完成させ、翌日、私達はダブリンにある部隊の潜伏地点へと向かった。
道中、老人二人には精神攻撃から身を守るための特製ヘルメットを追加で作り、手渡しておいた。万が一、途中で敵に操られでもしたら面倒なことになるからだ。体力の衰えている二人は、馬車に揺られての移動となった。
数日かけて部隊と合流すると、隊長はイーサン博士の姿を見て驚愕していた。博士は病気で入院中だと思っていたのだろう。
今回の作戦では、博士には後方部隊でのバックアップ、および撤退時の支援を担ってもらう。隊員の中に突入可能な人員が二名いたため、彼らにも精神阻害防止のヘルメットを渡し、待機組の分も支給した。
隊長には「呪いを防ぐ兜です」と説明したが、彼は「これほど素晴らしい魔道具を、本当によろしいのでしょうか」と恐縮しきりだった。
「呪われて敵になられたら困りますから。これは用心のためですよ」
私はさらりと答え、そのまま作戦会議を始めた。
会議の議題は「目標の確認」「能力の把握」「目標の討伐」の三項目だ。
まず目標の確認だが、道中の障害がどの程度かによって所要時間が変わってくる。邪魔者を避けるか排除するか。そして一番の問題は、同行者の安全確保だ。
結局、「爺さん二人を連れていくのは無理だ」という結論ありきで、バレリアが単独で偵察に動くことで納得してもらった。
翌日、日の出と共に活動を開始し、隠密行動に移る。
「バレリア、無事に帰ってきてね」
送り出すと、彼女は光学迷彩を纏い、高速で移動を開始した。エネルギー感知によって目標の位置は既に把握している。あとはどれほどの障害があるかだ。
専用スーツを着用している私達は、バレリアの視覚映像をリアルタイムで共有できる。老人二人のヘルメットにも映像を飛ばすことは可能だが、今は控えておくことにした。
高速で障害物を回避しながら目標に近づいたバレリアが、徐々に減速する。映像がズームされると、そこには一人の若い、青白い顔をした女性が立っていた。彼女はこちらを……いや、正確にはバレリアがいる方向をじっと見つめていた。
まだ気づかれてはいないようだが、何かを感じ取って気になっているのだろう。バレリアは慎重に後退し、距離を取った。
百メートルほど離れると、悪魔はようやく視線を外した。そこからさらに一キロまで距離を置く。遠距離攻撃の限界ギリギリだ。
周囲には生活臭がまるでない。悪魔の周囲には誰もいないようだが、そこから離れるに従って、軍人らしき者たちがゾンビのようにうごめいているのが見えた。まるで操り人形だ。
その地区を抜け、拠点に近づいて徘徊していた民間人らしき個体に干渉を試みた。すると彼らは急に反応を示し、こちらを攻撃し始めた。周りの民間人も同様だ。
危険な相手ではないが、一度拠点の近くまで退避し、追ってきた数人を待ち構えた。私は彼らに対し「聖光治癒」を発動し、その反応を観察する。
光が収まると、彼らはピタリと動きを止めた。そしてそのまま、物言わぬ死体となって転がった。悪魔の呪いから、ようやく解放されたように見えた。
その光景を見ていた老人二人は、驚愕に目を見開いていた。
「……なんだ、あれは」
イーサンが戦慄したように呟き、アルフィーが続いた。
「これほどの広範囲に呪いが届いているというのか……」
さすがに悪魔と戦った経験があるだけあって、察しが良い。どうやら私の聖光治癒は、呪われた「邪魔者」たちを浄化するのには効果があるようだった。




