新た代
温かみのある、やわらかな篠笛の音が、窓の外に粉雪のちらつく冷えた室内を包み込む。
斎藤は開け放ったままの窓枠に頬杖をつきながら、白く色づいた息を小さく吐いた。
「……また、お疲れが見えはりますなぁ」
途端、それまで優しく耳をくすぐっていた笛の音が止み、代わりにたおやかな都訛りがかけられる。
室内を振り返れば、先ほどまで斎藤が箸を付けていた膳の傍らにずっと控えていた遊女の垂れ気味の双眸と視線が重なった。
島原は輪違屋の天神、月夜。おおよそ一年ほど前から斎藤の馴染みとなった女である。
斎藤よりいくつかの年嵩らしいが、その分、落ち着きがあって物静かだ。垂れ気味の目と口元の小さなほくろに色気を感じる面立ちをしているが、あまり自らは離さず、常に穏やかな笑みを湛えて傍らに控えている、そういった性分。甘え上手とは言い難い、という点では置屋において損な質なのかもしれないが、だからこそ斎藤のような寡黙な人間には相性がいい。年嵩ながら輪違屋という大店の天神をしていられるのも、また年期上げが近いらしいというのも、遊女としての申し分なさを物語っている。
――当然、彼女は斎藤の事情もある程度把握し、隠れ蓑として不足なく務めてくれるほどに口も堅い。
斎藤は障子窓を閉め、一度腰を上げてから改めて月夜の傍らに身を据え直した。
「……疲れもする」
誰が聞いても覇気が欠けているであろう抑揚のない声で、斎藤は答えた。
「夏に先の将軍、家茂公がご逝去あそばされて以降、次代将軍がなかなか決まらずにいたが……この師走の初めに、ようやく一橋慶喜公が正式に十五代将軍に就任されたことは知っているか」
「へえ。随分遅れてのご就任やったそうですけど、ようよう色々落ち着かはるんちゃうかて、期待してはる旦那さん達も多おすえ」
「だが、その期待を抱く声と同じくらい、なかなかに荒れた声も多いのが実情だ」
斎藤が溜息交じりに告げれば、月夜は困惑したように眉尻を下げ、続きを聞かんとする様子でそっと小首をかしげた。
それを横目で見やりながら、斎藤は膳の上に残っていた酒を軽くあおった。
「……元々、以前から慶喜公が将軍になられることに、賛否が分かれていたんだ。十四代将軍の候補にも挙がっておられた方だから、適任であることに間違いはないのだが……如何せん、就任まで半年かかったことで、元々反対派だった人間の声が大きくなっている」
「なんで今の将軍様は、半年も将軍様に就かれんでいはったんやろ?」
「……それこそ、賛否が大きく分かれていたからだ」
家茂公のご存命の頃から変わらず、今も幕府は異国への対応が煮え切らず、それにより佐幕だ攘夷だ、あるいは今こそ開国だと、諸国の目指すところは統率が取れずのままだ。そんな落ち着かぬ幕府の長になど、本当ならばなりたくない、というのが、恐らく慶喜の本音だったのだろう。
が、あの、常に飄々と気ままな振る舞いを見せていた彼の人が実質、何をどう思って今になり将軍職を引き受けたのかなど、斎藤には実質知る由もない。山口として、会津の手足として、慶喜には幾度か見えたこともあるが、完全に推し量ることなどできるわけもない相手なのだ。
だからこそ、そんな中で新選組として狼藉者を払うばかりの日々が果たして今後どう移ろっていくのか、他と同じく先が見えずに疲弊が募ってしまう。
池田屋だなんだとあった三年近く前は、言っても、このまま動いていればいつか変化が訪れるに違いない、という無意識の楽観と希望が誰しもの胸の内に灯っていた。しかし、それも三年続けば、次第に先が何も見えなくなってくる。このまま延々と変わらぬのではないか、それはいつか最悪、変わらぬままに終わるのではないか、という不安へと移ろっていく。
「……慶喜公は、元来幕政の改革だの思想だの、一貫した方ではおられるのだが……」
何しろ、賛否が思い切り別れるほどに口が悪い。
口に出せるものではないが、慶喜のそういった一面も、結局は安心できる要素に欠けていて、気が重くなる。




