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櫻雨-ゆすらあめ-  作者: 弓束しげる
◇ 二章十一話 酒盛りの墓 * 慶応元年 六月
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脱兎

「つーか山南さんがいりゃ、藤堂の味方はそりゃするだろうが、当人が俺の横に来てくれるに決まってらァ」

「あー、それはあるかも。山南さんって自己犠牲の精神が強めだったから……」

「おい藤堂、犠牲たァ何だオイ」


 土方は間髪容れず突っ込んだが、そもそもの藤堂があまりに真面目な顔で話していたものだから、今度は斎藤がつい小さく肩を揺らしてしまった。笑う、というほどのことをしたわけでもないが、かと言って笑っていないと言い張ることは難しい程度に「ふ」と息を吐き、それを誤魔化すように口元を覆う。


「ほら土方さん、(はじめ)がうっかり笑っちゃう程度には『その通り』なんだよ」

「斎藤」

「いえ、すみません。状況が想像できてしまったもので」


 斎藤は土方の訴えるような視線を軽く遮るように手を上げた。


 すると行き場のなくなった土方の視線を引き取るように、沖田が酒を嘗めながら挙手をする。


「そうですねぇ。私も今、山南さんがいたら頷きながら笑っていらっしゃるだろうなぁって思いますね」

「違うな。(あめ)ぇんだよ総司。山南さんなら『まあまあ』って言いながら間に入って取り持ってくれんだよ」

「頷いて笑いながら『まあまあ』なんじゃないの? 藤堂さんとしてはどう?」

「そう、松平の言う通りだとオレは思うね!」


 それぞれが飲み食いしながらそんなことをワァワァ言っているのを眺めていると、そんな斎藤の視界の端にふと、影が動く。その違和に何となく目を引かれて墓の入り口のほうへ視線をやれば、途端にこちらを見てぎょっとした様子の住職としっかり目が合ってしまった。


「……まずい」


 猪口とイカ串を持ったままではあるが、思わず即座に立ち上がる。


 それに気付いた他の四人が斎藤を見上げるべく首を上向けたのと同時に、


「こらーっ! あんたら何してはりますのんや!」


 住職の怒号が蝉の声を覆って墓場にこだました。


 瞬間、斎藤以外の面々も、各々目の前にあった焼きそばとイカと酒をかき集めて一斉に立ち上がる。


 光縁寺の墓は通路が二列あり、幸か不幸か山南の墓は左列の奥だった。その道を住職が怒り任せにずんずん進んでくるのと同時に、全員が右列に回って脱兎のごとく走り出す。


はえい(かえり)まーす!」

もえんまはい(ごめんなさい)!」

「お邪魔しました!」


 藤堂と愁介が口に物を入れたまま謝罪し、沖田だけが言葉だけは丁寧に、しかし人様の墓越しに住職へ会釈する。


 斎藤と土方は何も言えず、というより土方の場合は口の中に焼きそばを詰め込んだ直後だった様子でしゃべれもせず、そのまま足の速い三人の後を追う形で住職とすれ違う。


 後ろでまだ怒るような声がしていたが、全員振り返ることなく寺を出て、道を走った。


 ――何とも馬鹿馬鹿しい状況だった。


 が、何故かそれが妙におかしく、むしろ愉快に感じられ、斎藤は走りながらまた小さく肩を揺らしてしまった。


「ほら一、笑ってる場合じゃないよ!」


 口の中の物を飲み下した藤堂が「今度ちゃんと謝るけど、ご住職、今はほんとごめんなさーい!」と叫びながら、空いた手で少し遅れていた斎藤の手を掴み、引っ張る。


「つーかあんな怒ることかよ、考えたら逃げんのも変じゃねぇか?」

「はいはい土方さん、ちょっとお酒回ってきてますね。悪いのはこっちなのでご住職に喧嘩売ろうみたいな顔しないでくださいね」

「よし、お酒没収しまーす」


 同じく少し遅れていた土方の元へ沖田と愁介が足をゆるめて近づき、愁介が土方の手から酒とつまみを取り上げ、沖田が同じく土方の腕を掴んで再び速度を上げる。


 沖田の言った通り、屁理屈で喧嘩でも売ろうとしていたらしく振り返りかけていた土方は、軽くつんのめった様子で続け様に言おうとしていた文句を口から出し損ねていた。


 それにまた、斎藤は己の口の端が上がるのを感じる。同じくそれなりに酒が回っているのかもしれないと考えて――……笑えるような酒は、もしかしたら初めてかもしれないとふと思う。


 飲んだ直後に走っているせいか、大して飲んでいないはずなのに周りも早い気がする。それがやはり変わらず妙に愉快で、いつになく気分がいい。


 ――もしも叶うなら、再燃も同じような景色が見られたら、と。


 柄でもないことが、ふわふわと取り留めなく脳裏をめぐっていく。


 この時は、今の、今後の世の情勢など、斎藤の頭の中にはなかった。


 だからこそ、恐らく純粋に、この馬鹿馬鹿しい状況が、とてもおかしかった。

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