第五章1
第五章 受け継がれし王の魂1
月曜日になると俺とレファナートは朝の爽やかな空気が漂うミス研の部室にいた。ここから異世界に行ったら、次に戻ってくる時は全ての決着がついた後だ。
つまり、逆を返せば決着が付くまでは自分の世界には戻って来れないということになる。でも、それだけの覚悟を持って、俺は異世界に行こうとしているのだ。
果たして、俺は生きて自分の世界に戻って来れるか。それはきっと俺の頑張り次第だろう。
まあ、例えどんな結末が待っているにせよ後悔だけはしたくない。
これから異世界に行くのは誰に強制されたわけでもないんだし。とにかく、自分がやり遂げると決めたことだから、もう後ろは振り返らない。
俺はレファナートの方に視線を向けると小さく頷いた。するとレファナートもその双眸に意思の光りを宿らせて、ゲートを開く呪文を朗々と唱える。
そして、ゲートが開くと俺は何も出で来ないことを確認してから、心を奮い立たせて魔方陣の中に足を踏み入れた。
「何もいないみたいだな。てっきりゲリュディオンみたいな化け物が待ち構えていると思ったんだけど、ちょっと拍子抜けだよ。それともこれは嵐の前の静けさというやつなのか?」
俺は神殿の中を見回すと、腰に下げられた剣の柄に用心深く手を置く。辺りは静寂に包まれているし、何かが潜んでいるような気配はない。
「そうね。でも、ああいう形でゲリュディオンを送り込んできたってことは、私たちがこのゲートを使って異なる世界を行き来しているのは知られているはずだけど」
レファナートは冷静に分析するように言った。それから、俺の憂患な心を吹き飛ばすように口を開く。
「まっ、ゲリュディオンを倒したのは昨日の今日だし、向こうだって私たちが、こんなに早くレヴァナーグの剣を盗み出そうとしているとは思ってないはずよ。だから、あんたも必要以上にビクビクするのは止しなさい」
それを聞き、だと良いんだが、と俺は心の中で呟いた。
「そうだな。いずれにせよ、ゲリュディオン以上の化け物はいないんだろ?なら、そいつを打ち倒すことができたお前がいれば何が出て来ても怖いものはないさ」
俺は山に空いた大穴を思い出しながら言葉を続ける。
「もちろん、俺だってお前の力に頼り切るつもりはない。化け物、相手に率先して戦うことは無理だがフォローくらいはできるはずだからな。ま、レヴァナーグの剣を手に入れるまでの辛抱だ」
俺はニカッと笑った。
「ええ。でも、油断は禁物だし、気を引き締めて王都にあるホテルにまで行きましょう。全てはそれからだわ」
そう言うと、レファナートは張り詰めたような顔をして、神殿の出口へと向かう。俺もどうか何も出て来ませんようにと祈るような気持ちで歩いて行った。
そして、王都を見渡すことができる丘の上に立つと、レファナートは寂寥感を感じさせる表情を浮かべて立ち止まった。
俺はそんなレファナートに気安く声をかけることはできず、無言で彼女の横に並ぶ。
こいつが戦いを前にして心細くなったとは思えないが、でも、何か思うところはあるのだろう。
しばらくするとレファナートも複雑な感情を持て余すような顔をして、丘を下り始めた。
その後、俺たちは何事もなく防壁の門を通り抜けて、いつものように活気に満ちた大通りを歩いて行く。
目指すのはレファナートが住まいにしているホテルだ。
どうやらそのホテルは王宮の目と鼻の先にあるらしく、ここからだと、かなりの距離を歩かなければならない。
なので、とても邪神が支配を企んでいるようには思えない平和な町の様子を眺めながら、ひたすら歩を進めた。
「ここがお前の住んでいるホテルか。何というか凄く大きいし、外国のリゾート地にあるホテルみたいだな。ひょっとして室内プールとかあったりするのか?」
歩き疲れてはいたが、俺はホテルに辿り着くと思わず感嘆したような声を上げる。目の前に聳え立っているのは一目でホテルと分かるような立派な建物だった。
その上、この世界の建物にしては近代的な雰囲気を漂わせているし、その大きさはギルドの建物の三倍はあるだろう。
ここまで立派だと、一泊するだけでどれくらいのお金を取られるんだろうな。ま、レファナートはお金持ちみたいだし、俺がいちいち気を揉む必要はないが。
「さすがにプールはないわ。でも、良いところでしょ?王都の中じゃ最高級のホテルなんだから。ついでにカジノもあるからあんたは夜になるまで、そこで遊んでいてちょうだい」
ここはラスベガスかよ、と思わず突っ込みたくなる。でも、入り口から見えるロビーの豪華さはテレビで見たことがあるラスベガスのホテルにだって負けていない。
「というと、その間にお前は何かをするつもりなんだよな?俺に手伝えることがあるなら、遠慮なく言ってくれると嬉しいんだが」
俺はまだレファナートが立てた計画の全容を聞かされていないのだ。
「別にあんたの手を借りるようなことじゃないから大丈夫よ、とにかく、一端、部屋に戻ってローブに着替えたら、私は必要な物を町で買い揃えるわ。今夜の計画を成功させるには作らなきゃならないものがあるし」
レファナートは制服姿だし、いざ戦いになったら魔法の力で防御力を高めてあるという、あのローブを着た方が良いらしい。
「なら、俺も付いていった方が良いんじゃないのか。いくらお前でも一人で行動するとなると不測の事態が起きた時にまずいだろ」
俺はすかさずそう言ったが、レファナートは目を三角に吊り上げて首を振った。
「駄目よ。制服姿のあんたは目立つし、もし、町の中で戦いにでもなったら、私も守りきれる自信はないわ。まあ、そうは言っても大衆の面前でこの私を襲うほど敵だって馬鹿じゃなだろうし、ここは私のやることを信じてよ」
レファナートはぴしゃりと言った。
ちょっと冷淡な感じもするけど、彼女も細心の注意を払っているのだろう。なら、文句は言えたもんじゃないな。
「そうだよな、余計なことを言って悪かった。なら、俺もお前の言う通りホテルで大人しくしてるよ。今日は絶対にお前の足を引っ張らないって決めているからな」
やっぱり、今の俺はお荷物でしかないのだろうか。こんなことではレヴァナーグの剣を手に入れても、満足に戦えるかどうか心配になる。
「それは良い心がけね。ただ、一緒にいるだけがパートナーじゃないし、お互い自分の役割に徹しましょう。あと、何かあった時のために、あんたにはガステュークを付けてあげるから安心しなさい」
その言葉を受け、ガステューク大きく羽を広げると、レファナートの肩から飛び立つ。それから、俺の肩にふわりと舞い降りた。
「そういうことだから、俺たちは俺たちでパアーッと遊ぼうじゃないか。ひょっとしたら、人生を楽しめるのも今日で最後になるかもしれないからな」
ガステュークの言葉に俺は例えようのない悪寒を感じた。
「縁起でもないことを言うなよ。誰がなんと言おうと、俺は必ず生きて自分の世界に戻ってやるからな。もちろん、レファナートやお前だって死なせやしない」
そう言うと、俺はきっと上手くいくという言葉を、心の中で念仏のように繰り返す。いくら並々ならぬ決意を胸に秘めても、怖いものは怖い。
とにかく、今は上手くいくと信じて待つより他ないし、気持ちで負けてしまったら終わりだ。
「これはまた大きく出たな。ちょっと前までは戦いたくないとか言ってた臆病者のガキだったくせに。だが、その心根は悪くないし、やっぱり成長したな」
ガステュークはせせら笑いながらも、俺の心を認めてくれた。これには俺も熱い気持ちに満たされながら胸を張る。
「ああ。お前に言われるまでもなく俺だって変わったんだよ。もう弱音は吐かないように決めているし、きっと全て上手くいくって信じられるようにもなった。だから、大丈夫さ」
「大丈夫、か。何とも頼もしい言葉だし、俺もそうなるように願いたいもんだぜ」
ガステュークは口の端を吊り上げると、レファナートと別れた俺にホテルの中を案内してくれた。
☆
俺は大フロアーのカジノルームでルーレットをやっていた。
他にも色んなゲームがあったし、その内容は俺の世界のカジノとそう大差はなかった。
おかげて、ガステュークにルールを教えて貰うとすぐに楽しめるようになる。でも、さすがにスロットマシンはなかった。
俺は運ばれてくる飲み物のグラスを受け取りながら、チップを狙った数字のある場所に置いていく。
だが、一向に当たらない。
なのに、俺とは別にルーレットをやっていたガステュークは自分のチップを三倍以上にして、俺との差を見せつけてくれた。
まあ、ガステュークはこのカジノの常連だからな。初めての俺とは経験が違う。
とはいえ、レファナートは使っても使い切れないほどのお金を渡してくれたので、幾ら負けようと夜まではこのホテルで遊び倒すことができるだろう。
なら、強気でどんどん賭けていくしかない。ギャンブルなんて、負けた時の事を考えているようでは駄目だからな。
そんなこと思いながら、次こそはと思って俺はチップを賭けていく。すると不意に横合いから声をかけられた。
「誰かなー、と思ったらテッドじゃないの。こんなところで会うなんて奇遇ね。やっぱりあなたとは運命的なものを感じるわ」
体に電流でも流れたかのように振り向くと、そこには忘れることのできない人物がいた。
「君はセレナじゃないか。見ての通り、俺はカジノで時間を潰しているだけだし、君こそ何でここに?」
俺の横にいたのは高そうなドレスを着ていたセレナだった。随分と煌びやかな格好をしているので、迷宮で会った時とはまるで雰囲気が違う。
「私はこのホテルのカジノの常連よ。だから、今日もカジノで思いっきり稼ぎに来たわけ。でも、このカジノは十八歳未満は立ち入り禁止のはずなのに子供のあなたが、どうやって入ったのかしら?」
セレナは手にしていたグラスを軽く持ち上げて言った。
それを聞き、君だって子供じゃないかと言いたくなるが、カジノにいるということは十八歳には達しているのだろう。
そんなことよりも、正直、俺は知っている人とはあまり会いたくなかったんだけどな。何らかの形で、巻き込んでしまったら嫌だし。
でも、こんなことくらいでは計画に支障は出ないだろう。
「確かに俺はまだ十五歳の子供だよ。でも、別に隠れて入り込んだわけじゃないから、そんなに怪しまないでくれないか。俺はただ特別に許可を貰っているだけだし、むしろ、VIP待遇さ」
ガステュークがレファナートの代理人として、カジノの支配人と話を付けてくれた。支配人も、俺にご用の際は何なりとお申し付けくださいとか言ってくれたし。
「へー、それは凄いわね。ひょっとして、あなたって大物なの?ギルドの時だって特別な許可を貰ったって言ってたし、色々とコネを持っているようだけど」
「その辺は何とも言えないね」
俺は曖昧な言葉を返す。大物なのは、こんなホテルを住まいにしているレファナートの方だろう。
「ま、別に良いけどね。ところであなた、随分と負けが込んでいるように見えるけど大丈夫なの?ツイてないと思ったら、迷わず止めた方が賢明よ。ギャンブルなんてものは退き際を見極めるのが肝心だし」
なら、そういうセレナは儲かっているのだろうか?
「そうは言っても、どうせ俺はカジノで儲けようなんて思ってないから。そもそも、カジノに入ったのだって今日が初めてだし、今は純粋にゲームを楽しみたい」
この言葉にはセレナも面食らったような顔をする。
「カジノに来てゲームを純粋に楽しみたいか。マッド・ドレイクの時も思ったけど、あなたってつくづく欲がないのね。それにそんな台詞を吐けるのは、やっぱり大物の証拠だわ」
セレナは手放しで褒めるように言うと言葉を続ける。
「でも、私はあなたと違って勝つ気、満々よ。いっぱいお金を稼いで飛行船に乗りたいし、それには今日の勝負で三倍は勝たないと」
「飛行船だって?」
俺はおかしなトーンの声を上げていた。
「あら、知らないの?もうすぐ飛行船が完成するのよ。そしたらテスト飛行が始まるし、それが終われば、民間人にも乗れるようにしてくれるんですって」
「へー」
飛行船が登場するようになれば、本格的に機械が使われるようになる日も近いかもしれないな。
「もしかして、初めて聞いたの?まあ、あなたはこの国の人間じゃないし、飛行船のことを知らないのも無理ないかもしれないけど。でも、いざ飛行船が飛ぶようになれば、アグナスティア王国の名前は世界中に広がるでしょうね」
「それは凄いな。あと、俺は飛行船のことはちゃんと知ってたよ。ただ、もうすぐ完成するとまでは思ってなかっただけで。ま、機会があったら、俺もこの国の飛行船には乗ってみようかな」
飛行船のことはガステュークからも、少しだけ聞いていたからな。
「それが良いわね。もっとも、飛行船に乗るにはとんでもない金額を取られるみたいだから、私ももっとお金が欲しくて」
「なるほど。だけど、カジノなんかでお金を稼ぐのは無理なんじゃないのか?逆にお金を巻き上げられちゃうと思うし、本当にお金を貯めたければ、ギャンブルなんて禁物だと思うけど」
カジノに初めて入った俺が偉そうなことを言うのも何だけど。
「私をそこらのギャンブラーと一緒にするんじゃないわよ。今日だって、もう八百ディオールも稼いだし、この調子でいけばあと千五百ディオールは稼げるわね。あたなとも会えたことだし、やっぱり今日はツイてるわ」
セレナは血気を感じさせるような声で言った。
「そうなんだ。でも、それだけのお金があっても、飛行船には乗れないんだよな」
「当たり前でしょ。まあ、飛行船に乗ったら、私もギャンブルからは手を引こうと思っているけどね。やっぱり私は冒険者だし、冒険を通じて富や名声を手に入れたいから」
セレナは冒険者としての立派な志があるみたいだな。
「それはそうと、良かったら今夜はこのホテルのレストランで一緒に食事でもしない?あなたとはもっと落ち着いた場所で話がしたいし」
セレナは艶然とした笑みを浮かべながら言った。それはまさしく大人の色気と言っても良いだろう。
「夜は予定があるから駄目なんだ。せっかく誘ってくれたのに悪いけど。でも、それってデートのお誘いだと思って良いのか?」
夜になったら、レファナートが計画を実行に移すと言っていたし、暢気にレストランで夕食を食べている場合じゃない。
「まあね。だけど、夜のデートだからって、私は男の子が期待しているようなことをするつもりはないわよ。あんまり安く見て貰っちゃ困るわ」
「分かってるよ」
俺も女の子と大人の付き合いができるとは思っていない。
「とにかく、予定があるのは残念だし、機会があったら今度はもっと別の場所で会いましょう。その時こそ食事に付き合って貰うわよ」
セレナは特に未練を感じている様子もなく言った。
「ああ。俺もその時が来るのを楽しみにしてるよ」
俺は快諾するように返事をした。
「じゃあ、私はそろそろ行かせて貰うわ。あなたも熱くなって、あんまりギャンブルにのめり込まないようにね。このカジノで破産した人間は多いから」
ウインクしながら、そう言うとセレナは軽やかな足取りで、俺の前から去って行った。これには俺もちょっとだけ名残惜しい気分になる。
「あいつは冒険者のセレナ・アースティンだな。随分と綺麗な格好をしていたが、カジノで言い寄って来る女には気を付けた方が良いぜ。特にお前のような世間知らずのガキはな」
その声を聞き、俺はビクッと震える。気が付くと、俺のすぐ傍のルーレット台にはガステュークがいた。
「そうなのか?」
まあ、その言葉は分からなくもないけど、相手はあのセレナだったし、そんな風には言われたくない。
「ああ。カジノ好きにろくな女はいないって相場は決まってるからな。俺も昔はよく嫌な女に引っかかったもんさ。それで何度もレファナートに怒られたのは、良い思い出だな」
ガステュークは鼻を高くして笑った。でも、こんな小さなドラゴンを相手にしてくれる奇特な女性がいたのだろうか。
「初恋すら知らないような俺をお前と一緒にしないでくれよ。ま、その言葉は肝に銘じておくことにするけど」
俺は少しだけげんなりしたような顔をすると、今度はトランプの台に移動した。




