第四章2
第四章 恐るべき敵との死闘2
次の日の日曜日、俺は朝からミス研の部室にいた。部室から見えるグラウンドでは日曜日にもかかわらずサッカー部が必死に練習をしている。
その日常の風景が、俺の心を和ませる。あと、学校にはレファナートも来ていて、今頃、図書室で本を読んでいるはずだ。
一方、俺はというと部長と一緒に新聞作りに励んでいた。
異世界のことについては色々と部長が調べてくれたので、後はそれを記事として纏めるだけで良い。
俺は紅茶を飲みながら、ノートパソコンに文字を打ち込んでいく。すると部長がその合間に話を振ってきた。
「何か、蒸し暑くなってきたな。部費を貯めて、部室に冷蔵庫を設置したいところだ。そうすればいつでもキンキンに冷えたコーラが飲めるし、暑い夏も乗り切れるぞ」
部長はパソコンのモニターから視線を上げると、手を上に掲げて大きく伸びをする。
「その前に電子レンジを買うべきですよ。そうすれば部室で食べられる料理の幅も広がりますし、面倒くさい学食や購買を利用する必要もなくなります」
電子レンジさえあれば、いつでも温かい料理が食べられるし、冷蔵庫よりは重宝するはずだ。
「それもそうだな。カップ類はさすがに飽き飽きしてるし、カレーやリゾットなんかが食べられるのはありがたい。それに電子レンジなら五十ポンド以内でも十分、買えるからな」
なら、さっそく来月の部費で電子レンジは買って貰いたい。
「冷蔵庫だとどんなに安いやつでも、何百ポンドもしますからね。ついでに電気代も相当、掛かりますし、生徒会だってさすがに冷蔵庫の設置は認めてくれないでしょ」
ついでに冷蔵庫だと置き場所にも困る。
「だとすると、やっぱり買うのは電子レンジしかないか」
部長は徐に眼鏡を外すと、ティッシュでレンズを拭き始める。
「まあ、電気代はしっかりと払うと言えば生徒会だって冷蔵庫を置くことは許してくれるかもしれんが、ウチの部にそんな経済的な余裕はないからな」
部長は悩ましげな顔で言った。
「ええ」
「とにかく、もう少し部員が増えてくれれば、生徒会に部費を増やしてくれるよう掛け合うこともできるんだが、今の状況ではそれも難しいだろうな」
やっぱり月に五十ポンドは少なすぎるよな。かといって、百ポンド以上も貰える活動をしているとは言えないし。
「新しい部員ですか。確かに、ここ最近の活動には俺も退屈さを感じていましたし、それを払拭するためにも、新しい部員は必要かもしれませんね」
俺は思案するように言った。
「ああ。誰かミス研に入ってくれるような奇特な人間はいないものか。できれば紅一点とも言えるような女子が好ましいんだが、いくら何でもそれは高望みしすぎか」
部長は天井を見上げると、どこか哀愁を感じさせるような声で言った。
「そうですよ。俺だって女子部員は欲しいですけど、奇特とか言っている時点で駄目なんじゃないんですか?それって、つまるところ普通の人間はお断りってことでしょ」
「そんなところだ。やっぱり、本気でこの世界の謎や不思議を追いかけられるような人間でなければ部員としては認められん。だからといって、必ずしも変人である必要はないが」
部長は腕を組むと黙想するように目を瞑った。
「ふーん。でも、そういう拘りが、ハードルを高くしているんじゃないんですか?もっと、緩く活動できるサークルみたいにすれば人だって集まると思うのに」
部長もあまり頑固にならずに、もう少し融通を利かせて欲しい。
「そうなんだろうが、それはミス研の部長としてのプライドが許さない。やはり、志を共にできるような人物でなければ部員としては認められんよ。そういう意味では何だかんだ言っても、お前は理想的な部員だよな」
部長は湯気の立ち上る紅茶の入ったマグカップを手にすると、口元を綻ばせる。
「どうしてですか?」
ろくなことを言われないだろうなという確信があった。一方、部長は間を置くように紅茶に口を付けてから、言葉を発する。
「どんなに荒唐無稽で突拍子もないような話しでも馬鹿にせずに真剣に聞いてくれるからだよ。ひょっとしたら、お前は俺よりもこの世界の謎を知っているのかもしれん」
部長の言葉に俺の胸も騒ぐ。ここで全てを話してしまえれば、俺も肩の荷が下りるんだろうが、それはできない相談か。
「なわけないでしょ。逆立ちしたって部長には勝てませんって。でも、新しい部員なら一人、宛がいますよ」
俺は何食わぬ顔でそう切り出す。
「ほう、誰だ?」
「転校生のレファナートですよ。俺は彼女の知り合いだし、彼女なら絶対に部長の話を馬鹿にしたりはしませんよ。それどころか、進んで話しに加わってくれると思います」
もちろん、レファナートが異世界から来たなんて言う話は部長にはできないけど。
「お前が転校生と付き合っているっていう噂は本当だったか。お前はああいう女は苦手だと思っていたが、俺の見立て違いか。やっぱり、恋なんてもんは理屈じゃないし、俺の頭じゃ理解できんな」
やはりその噂は部長の耳にも入っていたか。何だか悪い感じで噂が一人歩きしているような気がする。
「別に付き合ってなんかないですよ。訳あって彼女と一緒に暮らしているだけです。部長まで、くだらない噂に踊らされないでくださいよ」
「そんなつもりはないが、一緒に暮らしているだと?」
これには部長も目を剥いた。
「はい。ホームステイみたいなものです。だから、変な想像はしないでくださいね。それでなくても、友達からはそのことで散々、冷やかされたんですから」
「別に冷やかしなんてしやせんよ。お前が女といかがわしい関係になれるなんて、十年経っても無理そうだからな」
部長は眼鏡をかけ直すと言葉を続ける。
「もっとも、女の方から言い寄ってくるのなら話は別かもしれんが、そういうのには気を付けた方が良いぞ。お前は騙されやすいタイプだからな」
部長は小馬鹿にしたように言った。
「その言葉は心外ですね。騙されやすいのは否定しませんけど俺だってやる時はやる男ですよ。なーんて、言って置きながら、土壇場になると動けなくなっちゃうのが俺なんでしょうけど」
とはいえ、その小心さが悪いとは思わない。
「だろうな。まあ、他の生徒が何を言おうと、俺はお前の味方だ。だが、俺は彼女のことが気に食わないから、その提案は却下だ。それならまだあのレスティーを誘った方が良い」
「それは残念ですね」
いずれにせよ、この分だと部長とレファナートが顔を合わせても打ち解けられるようなことはなさそうだ。
むしろ、啀み合いになるだけだろう。
ちなみにレスティーは料理研究部に所属しているし、部活を掛け持ちする余裕なんてないので、新入部員にはなれない。
「ああ。とにかく、当分はお前と二人で乗り切ってやるさ」
部長は掌をパンッと合わせると、またパソコンに文字を打ち込み始める。
それから、数時間が経過して新聞が書き終わると、部長は学校の近くにある定食屋に行くと言って部室から出て行ってしまった。
俺も溜まった疲労を発散するように肩をグルグルと回す。すると図書室にいるはずのレファナートが部室の扉を開けた。
「もうお昼だし、どうするの、テッド?」
その言葉を聞いて、レファナートが部長と鉢合わせしなくて良かったなと思った。
「どうするって言われても、新聞も書き終わったことだし家に帰るよ。部長も当分、帰ってきそうにないし、もう部室に用はないから」
家に帰ったら、冷凍食品のピラフでも食べよう。
「なら、ちょっと面倒だけど王都に行きましょうよ。そしたら、この前とは違う私のお勧めの店に連れてってあげるから。もちろん、私の奢りよ」
またあのレストランのような店で食事ができるのか。だとしたら、高い料理をたくさん注文してやろう。
この機会を逃す手はない。
「そうだな。どうせ暇だし、それも良いかもしれないな。お昼にお金を使わなくても良いのはありがたいし、俺としても、もっと色んなアグナスティア王国の料理を食べたい」
ま、急ぐような用事も今のところないからな。
「なら決まりね」
レファナートがそう言うと、俺は魔方陣の前でゲートを開く呪文を唱えた。すると予想だにしないことが起きる。
何といきなり部室の中が吹き飛んだのだ。何が起こったのか把握する間もなく、その衝撃で俺は部室の壁に叩きつけられる。
「な、何だ?」
俺は背中が酷く痛むのを感じながら言うと、煙が充満している部室の中で目を凝らす。この全身が発汗しそうな圧迫感は何だ?
「痛ったー。何が起こったって言うのよ?」
レファナートも俺の横で尻餅をついていた。
「こ、この怪物は?」
俺は驚きのあまり顔を強張らせた。
なぜなら、部室に開いた大穴から煙が吸い込まれるようにして出て行くと、見たこともないような怪物の姿が露わになったからだ。
これには俺もパニックに陥りそうになる。
「げ、ゲリュディオンじゃないの。どうしてこんなところに?」
そう引き攣った声を上げた、レファナートの視線の先には爬虫類と鳥を足して二で割ったような形容しがたい顔をした獣がいた。
その獣の背中からは羽も生えているし、体長は十メートル以上もある。
グリフォンにも似ているが、その凶暴そうな姿から放たれるプレッシャーはグリフォンの比ではない。
大きな体も部室に収まりきらないといった感じだし。
目の前に突然、現れた化け物を見て、俺はそのあまりの恐ろしさに竦み上がった。
「こいつが《ゲリュディオン》だって?」
俺は滅茶苦茶になってしまった部室の中で鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。
ゲリュディオンのことについてはアグナスから少しだけ聞いていたが、なぜそんな奴がいきなり部室の中に現れたんだ?
するとゲリュディオンはいきなり口から大量の炎を吐き出す。
「うわー」
そう叫ぶと、俺は逃げることもできずに掌で顔を覆う。あんな炎を食らったら、すぐに黒焦げだ。
と、思ったら、その瞬間、俺を庇うようにレファナートが立つ。
そして、迫り来る炎はレファナートの前に現れた光りの膜によって遮られる。まるでバリアを張っているようだ。
だが、助かったことに喜ぶ暇もなく、レファナートは俺を鬼気迫ったような顔で一瞥した。
「とにかく、ここじゃ戦えないし逃げるわよ、テッド!」
レファナートは急き立てるような声で言った。それを聞き、俺も一も二もなく頷く。
「ああ」
炎の勢いが衰えると、レファナートは俺の腕を掴んで立ち上がらせる。それから、そのまま俺の手を引いて一目散に部室から逃げ出した。
俺も思考が、こんがらがった頭で走り続ける。するとゲリュディオンが猛然と背後から迫ってきた。
そのスピードは凄まじい。
「お、追いかけてくるぞ」
俺はあまりの怖さにガクガクと震える。
あのマッド・ドレイクにさえ敢然と立ち向かえたのに、ゲリュディオンの恐ろしさにはただ尻尾を巻いて逃げることしかできない。
つまり、それだけ理屈を超えた恐怖をあの化け物から感じてしまったのだ。
「追いつかれたら殺されるわよ。死ぬ気で走りなさい」
レファナートも余裕が全く感じられない顔で言う。こいつがここまで焦っているような表情を見せたのは初めてだと思う。
そして、俺たちは全力で部室棟の廊下を駆け抜け、階段を上っていく。最終的には部室棟の屋上へと辿り着いた。
澄み渡る青空を見て、俺も何とか落ち着きを取り戻す。
「屋上まで来ちゃったけどどうするんだよ?」
下の階に逃げるべきだったのでは言いたくなる。でも、そうしていたら追いつかれていたことだろう。
「ここなら私も戦えるわ。今回ばかりはあんたじゃ荷が重いし、隠れて私の戦うところを見ていることね。余計な手出しは無用よ」
レファナートは頬から汗を滴らせながらも、豪胆に言い放つ。あんな化け物と一人で対決するつもりか?
「わ、分かった」
ここはレファナートの力を信じるしかない。
それに、おそらくこの戦いでレファナートにどれだけの力があるかは確かめられるだろう。
と、同時にザナルカダスの力の一端も垣間見れるはずだ。
「そういうことだから来なさい、ゲリュディオン。八百年前のように、完膚なきまでに叩きのめしてあげるわ」
屋上にある扉を粉砕して現れたゲリュディオンとレファナートが数メートルほどの距離を置いて対峙する。
一体、どんな戦いが始まるというんだ?
「グォー」
ゲリュディオンは歓喜に震えたような声を上げると、口から巨大な火の玉を吐き出した。
それはレファナートの横を通り過ぎ、屋上のフェンスを突き破って、遠くに見えるマンションへとぶつかる。
するとマンションは大爆発して、まるで爆弾テロのでもあったかのように倒壊した。
これには俺もただ、ただ唖然とするしかない。悪い夢なら冷めてくれと、心の中で念じたくなる。
「やってくれたわね。でも、これ以上の好き勝手はさせないわよ」
そう言って、レファナートは掌から激しくスパークする光りの球を打ち出す。
それはゲリュディオンの巨体に衝突すると、光りを巻き散らせながら大爆発した。屋上の床に大きな亀裂が走り、それは俺の所にまで押し寄せてくる。
ゲリュディオンのいた地点の床も陥没して足場がなくなったし、下の階にあった部室は瓦礫で押し潰されているだろう。
そこに生徒たちがいなければ良いが。
ついでに、その後方にあった貯水塔も跡形もなく消し飛んでいたので、これには俺も青い顔をする。
どうやら光りの球には凄まじいエネルギーが込められていたようだ。あんな爆発が何度も起こったら部室棟そのものが崩れ落ちるぞ。
爆発によって生じた煙が風に流れて完全に消えると、そこには羽をはばたかせて宙に浮いている無傷のゲリュディオンがいた。
あの爆発を食らってもダメージがないなんて。
それを受け、レファナートが続けて、今度はもっと大きな光りの球を放とうとするとゲリュディオンはいきなり空へと舞い上がる。
そして、上空から火の玉をレファナートに向かって吐き出した。
一方、レファナートは火の玉が屋上にぶつかれば俺の命はないと思ったのか、光りの球で迫り来る火の球を迎え撃つ。
二つの球は空中で激突してまたしても大気を揺るがすような大爆発を引き起こした。その衝撃の余波を受けて、俺は転倒しそうになる。
何とか相殺できたようだが、はっきり言って、ここで戦うのは危険すぎるな。
するとレファナートの体がいきなり宙に浮かび、一気に空へと上昇した。レファナートは空も飛べるってわけか。
さすが魔法使いと言ったところだが、空を飛ぶのに箒は必要ないようだな。
俺はハラハラしながら空に浮かんで、ゲリュディオンと向き合っているレファナートの姿を見詰める。
これからどんな攻防が始まるのかと思うと手に汗握る物を感じる。
そして、先に動いたのはゲリュディオンの方だった。更に上空へと飛ぶと、口から連続して巨大な火の玉を吐き出したのだ。
レファナートはそれを危なげに避けたが、下にあった町には次々と火の玉が降り注ぐ。住宅街にあった家には火の玉がぶつかり、並んで立っていた三軒もの家が地獄の業火に包まれた。
他にも駅前にあったビルにも衝突して、ビルは真ん中からへし折れるように横倒しになる。
たくさんの人や車が、倒れたビルの下敷きになった。
レファナートもそれを見て臍を噛むような顔をすると、迸るような光を発するエネルギーの球を放ったが、かろやかに宙を舞うゲリュディオンには命中しなかった。
はっきり言って、こんな戦いが続いたら、この町は壊滅するぞ。
俺は見晴らしの良い屋上から、被害に遭った町の様子を眺めて戦慄する。
だが、そんなことはお構いなしといった感じで、レファナートとゲリュディオンは激しい戦いを繰り広げる。
そして、運が悪いことにグラウンドにいて驚いたように空を見上げていたサッカー部の連中のいる場所にも、火の玉は降り注いだ。
その瞬間、サッカー部の連中は膨れあがった爆発に飲み込まれる。それはまるで冗談のような光景だった。
だが、今やグラウンド全体は火の海と化しているし、そこにいたサッカー部の連中は間違いなく死んでしまっただろう。
目を塞ぎたくなるように、火だるまになった生徒も倒れているし。
なのに、俺は心が麻痺したかのように、その現実を受け入れることができなかった。逆に、こんなことがあり得るわけがないと必死に思い込もうとする。
それは何とも情けない現実逃避だった。
一方、止むを得ないとはいえ、多くの犠牲者を出してしまったレファナートは慚愧の念を感じさせるような顔をしていた。
が、すぐに闘志を漲らせるような目をして光りの槍を作り出すと、それをゲリュディオンに投擲する。
光りの槍はすぐにかわされてしまったが、レファナートは頓着することなく数え切れないほどの光りの槍をゲリュディオンに向けて放ち続けた。
それを見た、俺もどうか当たってくれと心の中で祈る。ただ見守ることしかできない自分に歯がゆさを感じながら。
そして、俺の祈りが通じたのか、一本の光りの槍がゲリュディオンの翼に突き刺さる。ゲリュディオンがグォーッと大きな雄叫びを上げる。
その苦痛に歪んだ顔を見る限り、手応えはあったようだ。
レファナートはゲリュディオンの動きが鈍ったのを見て、今までで一番、大きな光りの球を放った。
それは見事にゲリュディオンの片腕をもぎ取り、その遙か後ろにあった山へと衝突する。
しかも、信じがたいことに光りの球が衝突した部分は、虫が食ったような大きな穴が開いていた。
山に穴が開くなんて、これではまるでバトル漫画の世界だ。その気になればレファナートは地球すら、壊せるんじゃないのか。
まあ、何にせよ、レファナートの力はあまりにも強大すぎると言えるだろう。話しで聞くのと、実際にその力を見るのとでは、受ける印象は天と地ほどの差があるし。
この力を持ってしても倒すことができないザナルカダスはどれほど恐ろしい存在なのか、想像するだけで身の毛がよだつ。
対するゲリュディオンの方も負けておらず、失った腕が見る見る内に再生されていく。
もちろん、レファナートもそれを待つようなことはせずに一瀉千里のごとき早さで、ゲリュディオンの真上まで移動する。
それも、ゲリュディオンから矢継ぎ早に放たれる炎の球を縫うようにしてかわしながら。
するとゲリュディオンの体がいきなりハンマーで殴られたかのように勢いよく地面へと落下する。
その際、ギェッと蛙が踏みつけられたような声が聞こえてきた。
そして、道路に叩きつけられたゲリュディオンはすぐに立ち上がろうとしたが、見えない力に押し潰されているかのように身動きが取れない。
レファナートは重力の魔法でも使っているのだろうか?
とにかく、完全に動きを封じ込めたゲリュディオンにレファナートは目まぐるしく大量の光りの球を放つ。
次々と連鎖的に爆発が起こり、道路にあったたくさんの車が玩具のように吹き飛ばされた。
近くにあった鉄橋も崩落する。
それから、ゲリュディオンは爆発から抜け出すように空へと上昇する。
その体はボロボロになっていたが、ゲリュディオンの獰猛さはいささかも衰えることなく、連続して特大の火の玉を口から吐き出した。
だが、レファナートもゲリュディオンが爆発の中から抜け出すのを待ち構えていたようで、まるで舞い踊るように火の玉を避けると、太さを増した光りの槍を神速の勢いで放った。
それは会心の一撃とばかりにゲリュディオンの頭部を串刺しにする。
その結果、ゲリュディオンは耳を劈くような断末魔を上げると、糸が切れた凧のように地面に向かって落ちていった。
だが、その落ちた地点には不運にもスクールバスがあり、ゲリュディオンの体によってグシャグシャに潰れた。
バスの窓に鮮血が飛び散る。
そして、それっきりゲリュディオンもピクリとも動かなくなり、しばらくするとその体は灰色の塵となって消えてしまった。
「終わったのか?」
俺は屋上から見える悲惨な光景を目の当たりにして、茫然自失と言った感じで立ち尽くす。
いくら勝ったとは言え、この現状はあまりにも酷すぎると言える。
一方、レファナートは空を飛びながら、俺のいる場所へと戻ってくる。それから、ふわりと美しい金髪を浮かせて屋上の床に降り立った。
「怪我はなさそうね、テッド」
レファナートはさすがに疲弊しきったような顔で言った。もう少し戦いが長引いていたら、負けていたのはレファナートの方だったかもしれない。
「俺なら大丈夫だ。それよりもこの現状をどうしたら良いんだろう?はっきり言って、悪夢としか言いようがないよ」
俺は大騒ぎになっている学校や町を見て尋ねる。特に甚大な被害を受けた駅の近くは阿鼻叫喚と言ったような状態になっていた。
「これは夢なんかじゃないし、どうにもならないわよ。正直、私たちに他人のことまで気にしている余裕はなかったし、むしろ、自分の命が助かっただけ運が良かったと思いなさい」
レファナートの言葉は何の感情も掴ませなかった。
「とてもじゃないけどそんな風には思えないよ。何の関係も無い人がたくさん死んでしまったんだぞ。よく、お前はそうやって済ました顔をしていられるな」
自分が助かればそれで良いのかと言いたくなるが、それは必死に戦ってくれたレファナートに対する八つ当たりになってしまう。
「そうね。でも、あんたがいくら嘆いても、壊れたものは元には戻らないし、死んだ人も生き返らないわ。それが現実ってもんでしょ?」
「そんな」
その言葉は俺を失意のどん底に叩き込んだ。
「ま、不条理だと感じるのも無理ないけど、今回のことは地震でも起こったと思って諦めなさい。じゃなきゃ、やってられないわ」
神も仏もないような台詞だな。
「そうは言っても、俺が異世界のゲートなんて開かなければこんなことにはならなかっただろうし、やっぱり罪悪感は沸き上がってくるよ」
それを言ったら元も子もないが。
「かもしれないけど、あんたに落ち度がなかったことは私が保証するし、自分を責めるのは止めなさいよね。今回のことで、真に責められるべきはゲリュディオンとそれを送り込んできた奴なんだから」
「そうだな・・・」
とはいえ、本当にこの状況を回避する手立てはなかったのだろうか。もう少し上手く立ち回っていれば、もっと違った結果があったのではないだろうか。
でも、今更それを言って何になる。全てはもう取り返しが付かないのだ。
そんなことを心の中で口にしながら懊悩していると、どこかで聞いたことがあるような声が耳朶を打つ。
「良くもまあ、ここまで私の世界を滅茶苦茶にしてくれたものだな。とはいえ、久しぶりに見事な戦いを見せて貰った」
声を発したのは、俺の背後にいつの間にかいた羽の生えた巨大な蛇だった。その姿には見覚えがある。
「お前はイビルナート」
俺はあまりに突然のことだったので、ぎょっとしたような声を上げる。レファナートもイビルナートの出現を察知できなかったようで、表情を凍り付かせていた。
「ちゃんと覚えていてくれたか。本当はもっと早く、お前の前には現れようと思ったんだが、いかんせ、私も多忙でな」
イビルナートは脂下がるように言うと言葉を続ける。
「それで、日曜日になったからと思って来てみればこの有様だ。ま、何はともあれ、あのゲリュディオンを倒したことは褒めてやろう」
イビルナートは蛇の頭を巡らしながら言った。その軽い口調に、俺も何だか沸々と怒りが込み上げてくる。
それとゲリュディオンを倒したのは俺じゃないし。
「人事のように言ってくれるけど、今回のことはお前にも責任があるんじゃないのか?そもそも、あの化け物が現れる最初のきっかけを作ったのはお前なんだから」
イビルナートを責めるのはお門違いだと言うことは分かっているけど、誰かにこの怒りをぶつけなければ気が済まない。
「かもしれん。だが、邪神である私に正義感ぶった理屈を振りかざしても仕方なかろう。そういう恨み言は、本当の神にでも言うのだな。もっとも、本当の神は私のように律儀に答えてはくれないと思うが」
イビルナートはニヤリと悪魔のように笑った。やっぱり、こいつは得体が知れない。
「そうだけど」
その言葉には俺もぐうの音も出ない。
「まあ、全ては時が解決してくれるし、お前も今回のことはさっさと忘れることだ。それよりも私はお前の願いを叶えに来たんだが、何か思いついたか」
イビルナートは話を仕切り直すように言った。
「願いって?」
俺は頭に疑問符を浮かべるような顔をした。
「おいおい、こんな大切なことをお前は憶えていないというのか。王の魂を引き受けてくれたお礼に願いを叶えてやると言っただろうが。まったく、これだから人間の不完全な脳は嫌なのだ」
「そういえばそんな事も言ってたな。すっかり忘れていたよ。というか、あの状況で、あんなさりげない言葉を憶えていられるはずがないだろ」
今でこそ平然としてられるが、最初にこいつの姿を見た時のショックは相当なものだった。
「それもそうだな。とにかく、思い出したなら、さっさと願い事を言え。どんな願いでも一つだけ叶えてやる。ちなみに、叶えてくれる願いを増やしてくれとか言うのは駄目だからな」
イビルナートは茶目っ気のある顔で笑った。
「そんな子供染みたことを言うわけがないだろ。でも、どんな願いでもか・・・」
俺はあからさまに胡乱な目でイビルナートを見る。悪魔が叶えてくれる願いなんて危ういものしか感じないけど。
「私の力を疑っているようだが、その気になればお前を不老不死にすることもできるぞ。むろん、お前が望むならこの国の首相にしてやっても良い。あとは世界一の大金持ち、なんて言うのも悪くはないな」
「そいつは迷うところだな」
不老不死まで叶えられるのは凄い。
「ああ。とにかく、悔いのない願い事を口にするんだな。一度、叶えてしまった願いはいくら後悔しても取り消すことはできないし」
イビルナートは念を押すように言葉を続ける
「ちなみに私の経験から言わせて貰うと願いを叶えてもらった人間のほとんどがろくな人生を送れなかった」
願いを叶えたのは俺だけじゃないってわけか。
「だから、お前にはそうなって欲しくない」
ここだけはイビルナートも真剣味を帯びた声で言った。
「脅かすようなことを言うなよ。じゃあ、壊れたものを直したり、死んでしまった人を生き返らせることもできるのか?」
俺は縋り付くような気持ちで尋ねた。
「もちろんだ。アグナスから私は世界の事象すら、思いのままに操作できる力があると聞かなかったか?」
イビルナートは自信たっぷりに言うと、細い舌をシュルシュルと出す。
「聞いた気がするよ。まあ、それなら考えるまでもないな。ゲリュディオンのせいで被害に遭った人や町を元に戻してくれ。お前ならできるんだろ?」
俺は一辺の迷いもなく言った。
「確かにできるが、そんなことをしてもお前に得はないのではないか?何度も言うようだが、私が願いを叶えるのは一度きりだぞ。それなのに、お前はそのチャンスを赤の他人のために使ってやろうというのか?」
イビルナートは嘲るような顔をする。
「それは承知しているし、俺が言っているのは損得の問題じゃない」
「だが、身内が死んだわけでもなかろう。であれば、さっきも言った通り全ては時が解決してくれる。一時の感傷に流されるな」
イビルナートは言葉を重ねるように言った。
「でも、今回のことでは、どうにも俺は自分を許せそうにないんだ。もし、自分一人の願いなんて叶えたら一生、後悔することになる」
俺は真っ直ぐにイビルナートの顔を見据えた。
「なるほど、そういう考え方もあるか。だが、それだとお前は別の意味で後悔することになると思うぞ?仮にも私は邪神だし、それくらいのことは分かる。だから、悪いことは言わないから叶えるのは自分のことにしておけ」
「それはできない。確かにお前の言う通りになるかもしれないが、今はそれで良いんだ」
少なくとも、今の俺の決断が間違っているとは思えない。もちろん、誰かが俺の選択を褒め称えてくれるわけではないが。
「青いな。が、それも良かろう。そこまで言うのなら、お前の言った通り、全てを元に戻してやる。私の力をよく刮目して見るのだな」
イビルナートがそう言うと、ビデオが巻き戻されるように見る見る内に壊れた建物や道路が修復されていく。
と、同時に燃えさかる炎も急速に消えていった。
まるで、俺以外の時間が逆行しているかのようだ。これがアグナスが言っていたイビルナートの世界の事象を操作する力なのか。
信じがたい光景を目にして、俺は開いた口が塞がらなかった。
ただ、何か、世界の常識を根底から覆してしまうような力が働いていることだけは分かったが。
そして、俺が固唾を呑んで待っていると、三分もしない内に町は完全にゲリュディオンに破壊される前の状態になる。
グラウンドでもサッカー部の連中がかけ声を上げながら何事もなかったように練習しているし。
もちろん、部室棟も綺麗に復元されていて、俺を取り巻く世界はすっかりいつもの日常を取り戻していた。
「凄い。こんな力は私も見たことがないわ」
レファナートは瞠目したように言った。
「お前は一体、何者だ?」
俺は平静を装いつつも、心の中では押さえがたい恐怖を感じながら尋ねた。
「それは言えない。だが、今のところは私がこの世界の支配者の座に着いていることは教えておいてやろう」
イビルナートは気取ったように言った。
「お前がこの世界の支配者だと?」
俺はその事実を噛み砕くように尋ねた。
「その通りだ。まあ、もうじき真の支配者がこの世界に来ようとしているし、そうなったら私は底知れぬ深みに投げ落とされる運命だが」
イビルナートは虚空を見詰めるように言った。
「勿体ぶったような言い回しをしないで、はっきりと正体を明かしたらどうだ。お前の言っていることは意味が分からないことが多すぎるんだよ」
ここにいたのが部長だったら何か分かったかもしれないが。
「今はそれで良いのだ。とにかく、私は義務を果たしたし、これで失礼させて貰うぞ。運命の歯車が噛み合えば、お前とはまた会うこともあるだろう」
イビルナートは高らかな声で言葉を続ける。
「その時まで、私もお前が生き長らえていることを祈るぞ。では、さらばだ」
そう言うと、イビルナートの姿が透けるようにして薄くなっていく。
「ありがとう」
俺は今にも消えようとしているイビルナートにそうお礼を言った。するとイビルナートは蛇のくせにまるで猫のようににんまりと笑って、その姿を消す。
残された俺はレファナートと顔を見合わせると、とりあえずほっとしたように息を吐いた。




