第三章3
第三章 迷宮への挑戦3
俺は王都の真っ直中にあった無機質な建物の中にいた。
そこには何人かの冒険者や戦士たちがいて、五人ほどの兵士が警備をしている地下へと続く階段の前に屯している。
こんな町の中にモンスターが蔓延る迷宮があるなんてぞっとする。いや、元々、この場所には迷宮しかなく、その上に後から町が立てられたのかもしれない。
その辺は想像の域を出ないけど。
「私はここで待っているわ。十五階までなら、三時間もあれば行って戻ってこれるし、何かあったらガステュークが助けてくれるわ。でも、気は抜かないでよ。あのギルドの受付嬢が言った通り、迷宮を甘く見て命を落とした人間はたくさんいるんだから」
レファナートは俺を叱咤するように言った。どうやらレファナートは迷宮には何度も潜ったことがあるみたいだ。
「分かったよ。でも、それが分かっていながら、俺に迷宮に潜れとか言うなんて、人が悪いにも程かあるな」
こうなったら、腹を括るしかないな。モンスターでも何でも出て来いってんだ。
「何とでも言いなさいよ。とにかく、何が起こるか分からないところだから気を引き締めて行くことね」
レファナートはそう念を押すように言い聞かせつつ、言葉を続ける。
「あと、帰ってきたら、あんな屋台の串焼きじゃなくて、私の行きつけの高級レストランで夕食を食べさせてあげるから。そうすればきっと生きて返って来れて良かったと思えるわよ」
レファナートは活を入れるように俺の肩をパンと叩いた。
「楽しみにしてるよ」
「その意気ね。ガステュークもしっかりとフォローしなさいよ。こういう時じゃなきゃ、あんたは役に立ってくれないんだから、普段、食べている分くらいは働きなさい」
そう言って、レファナートはガステュークの頭を軽く撫でる。現在、ガステュークは俺の肩に乗っているが別に重たくはない。
「分かってるよ。俺だってタダ飯食らいにはなりたくないからな。でも、俺がいちいち手を貸していたら、こいつの修行にはならないと思うが?」
ガステュークはまるで緊張感のない声で言った。
「そうね。なら、あんたはどうしてもという時になったら戦いなさい。それくらいの判断は私がいなくてもできるはずでしょ?」
ガステュークは戦えるのか?こんなに小さいのに。
「了解」
突然、背中からニョキッと羽を生やしたガステュークは鷹揚に頷く。それから、俺は兵士にレオナさんから貰った許可証を見せる。
するとすんなり通してくれた。
「じゃあ、行ってくるぞ」
俺は臆しながらも迷宮へと続く階段に足を踏み出した。こんな時だけにっこり可愛らしく笑っているレファナートを残して。
俺が背中から冷たい汗を流しながら階段を下りていくと、そこは横幅が広い通路になっていた。
何というかいかにもダンジョンって感じだな。
壁には神殿と同じように光る石が取り付けられているので視界は確保できている。これなら松明を持つ必要もなさそうだ。
ま、レファナートの言った通り。ある程度の深さまでは人の手が行き届いているのだろう。
俺は何が出て来ても良いように剣の柄に手を置きながら、慎重に歩を進める。
「どう見ても自然にできたようなところじゃないし、この迷宮はどういう目的で作られたんだろうな?」
俺は油断なく周囲に気を配りながら、ガステュークに尋ねる。話していれば、気も紛れるだろう。
暗い夜道を歩く時に小さい子供が歌をうたうようなものだ。
「さあな。この王都ができる前には既に迷宮はあったからな。ま、モンスターが際限なく出で来るのを考えると人間が作った物じゃないかもしれないが」
そう言って、ガステュークはふぁーっと欠伸をした。ビクビクしている俺とは違って、実に暢気なものだ。
そんなに自分の力に自信があるというのか。
「そうなんだ」
「だが、一説には、かつてこの迷宮の最下層には《善神レヴァナート》がいたらしい。それでモンスターたちを退けて、迷宮の最下層にまで辿り着いた強者には力を貸してくれたとも言われているな」
かつてというと、今はいないってことか。ますます、迷宮が地獄の釜のように思えてくる。
「だとしたら、この迷宮は一種の試練のようなものか。いちいち条件をつけなきゃ力を貸してくれない神様って言うのは嫌だよな」
「そうだな。まあ、どこの世界でも神様なんていうのはそんなもんだよ。いつだって自分の姿を出し惜しみして威厳を保とうとするんだからな」
ガステュークは厭世家を気取るように言った。
「だよな。でも、それだと、もう誰かがレヴァナートと接触したってことだよな。アグナスはレヴァナートの力を借りてザナルカダスと戦ったんだから。ひょっとして最下層まで辿り着けたのはアグナスか?」
俺の推測混じりの質問にガステュークは首を振る。
「違うな。アグナスがザナルカダスと戦う前には、もう善神レヴァナートは迷宮の外にいて、この国の守り神として崇められていた。ゲートがある神殿もレヴァナートを奉ったものだからな」
「なるほどね」
そいつは初めて知ったよ。
「だが、レヴァナートと初めて接触した奴は、まだ誰にも知られていない。聞くところによれば、そいつは遙か昔にこの島の外に出て行ってしまったらしいな。おそらく、もう生きてはいまい」
「へー、でも、島ってどういうこと?」
俺は言葉尻を捕まえるように言った。
「そういえば、お前は知らなかったな。実は、このアグナスティア王国は島の中にあるんだよ。海を越えた向こうには大きな大陸がある」
「こんな立派な王都があるんだし、てっきり、俺はこのアグナスティア王国が世界の中心だと思っていたんだが」
まあ、俺も小さい頃はイギリスを中心にして世界が回っていると思い込んでいたからな。
「そう思えてしまうのも無理はないな。でも、お前の住んでいるイギリスだって島国とか言われてるし、そんなに驚くようなことじゃないだろ」
丘の上にある神殿からは海が見えたし、その反対側には森や山があった。
とにかく、景色を見る限りではイギリスには及ばなくても比較的、大きな島であることには違いないだろう。
「そうだな。なら、その大陸にはたくさんの国があるってことか。いつか俺もそういう国々を見て回れる日が来るのかな」
この国にはテレビもないから大陸にある他の国がどんなところなのかは分からない。まさに冒険でもしなきゃ、色んな国を見て回ることはできないってわけか。
何だか、ロマンを感じるし、このアグナスティア王国より栄えている国があるのなら見てみたい。
「それはお前の頑張り次第だろ。だが、大陸まで行くのは大変だぜ。何せ船でも三週間は掛かるし、その上、この辺りの海は気候も不安定で、嵐も頻繁にやって来るからな。だからこそ、王宮が作っている船よりも早く、しかも、安全に大陸まで行ける飛行船に期待が高まっているんだが」
飛行船という言葉をガステュークは苦味のある顔で口にした。
「飛行船なんてあるんだ?」
「まあな。でも、飛行船を作る技術はザナルカダスから、持たらされたものだ。だから、いざ飛行船が完成したら、どんな結果になるのか想像も付かないな」
ガステュークは懸念を感じさせる声で言った。
「ふーん。戦争の道具とかに利用されなきゃ良いけど。俺の世界でも機械が使われ出した頃に未だかつてない大きな戦争が起きたからな」
戦争は発明の父とかいう言葉がなかったっけ。
「そうか。なら、アグナスティア王国がお前の世界と同じ道を辿らないことを祈ろう」
そう言うと、ガステュークは顎をしゃくって言葉を続ける。
「さてと、世間話はここまでだ。来やがったぜ、モンスターたちが。言っておくが勝てない相手じゃないし、尻尾を巻いて逃げることはこの俺が許さないからな」
俺の視線の先にはトカゲのような顔をした人間に似た化け物がいた。その手には無骨な感じの武器が握られている。
どう考えても、友好的な相手ではないようだ。
「でも、あれはリザードマンじゃないか。しかも、五匹もいるし、武器まで持ってるぞ。なのに、正面切って戦わなきゃならないのか?」
俺はリザードマンから発せられる物々しい雰囲気を感じて、萎縮する。相手は町の不良じゃないし、本気で殺しに掛かってくるだろう。
「慌てるな。アグナスの力を借りれば問題なく倒せる。少なくともグリフォンよりは手強い相手じゃないから安心しろ」
ガステュークは慌てずに言ったが、俺にはそんな言葉は気休めにもならない。
「そんなことを言われても」
「グダグダ考えるな。とにかく、今は目の前の戦いに集中しろ」
ガステュークの言葉に促される形で、俺は鞘から剣を引き抜く。買ったばかりの剣にもう血を吸わせることになろうとは。
俺は剣を構えると、途端に体の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じた。この感じはグリフォンの時と同じだな。
たちまち、ガチガチに堅くなった体の筋肉が、ほぐされていく。
俺はリザードマンと対峙すると、攻撃の隙を窺う。相手は五匹だし、果たして倒せるか。
そんなことを考えていると一触即発の空気を切り裂くようにリザードマンは一斉に俺へと襲いかかってきた。
その目には殺気が漲っている。
俺はどうにでもなれと捨て鉢のような気持ちで、剣を振るう。
すると、自分でも驚くほど鮮やかに繰り出された斬撃は一匹のリザードマンの首をいとも簡単に切り飛ばした。
その瞬間、まるで刺身に包丁を入れたような手応えが伝わってくる。これは実に良い切れ味の剣だ。
あの店主の武器を見る目は確かだったか。
一方、リザードマンは仲間を殺されて、激高したように剣や棍棒で攻撃してくる。だが、今の俺なら慌てる必要はない。
俺は流れるような動作で、それをかわしていくと武器を持ったリザードマンの腕を的確に切り落とした。
これには知能の低そうなリザードマンも慌てふためく。
それを受け、リザードマンはさすがに闇雲に攻撃をするのを止めて、俺を取り囲みながら襲いかかって来る。
その動きは拙いながらも連携が取れていた。
だが、今の俺にはリザードマンの動きが手に取るように読める。まるで背中にも目が付いているみたいだ。
迫り来る武器をことごとく見切ったようにかわしていきながら、俺はリザードマンを一匹ずつ的確に屠っていく。
リザードマンは逃げることすら叶わずに、次々と倒れていった。
そして、三分も経たない内に全てのリザードマンが地に這いつくばることになる。確かにあのグリフォンに比べればたいした敵ではなかった。
それにしても剣を振るうって言うのは、こんなにも爽快な物だったんだな。死んでしまったリザードマンには悪いけど、何だか癖になりそうだ。
「何かたいしたことなかったな。もっとも、リザードマンを倒せたのは自分の力じゃないことは分かっているが、それでも歯ごたえのない敵には感じられたよ」
俺は戦いの高揚感に浸りながら言った。
「だから言っただろ。お前にはアグナスが付いてるから大丈夫だって。ま、こいつらはただの雑魚だし、勝っても自慢にはならないけどな」
そう言って、ガステュークは背中の羽を揺らす。
「そうか。なら、引き続き気を緩めずに行こう。相手がどんな奴であれ一瞬の隙が、自分の命を奪いかねないし」
俺は倒れているリザードマンたちから視線を逸らして、先を急ごうとした。するといきなりギャーという声が聞こえてくる。
すぐに振り返ると、いつの間にか立ち上がって鋭い爪を振り翳していたリザードマンの喉から短剣の切っ先が突き出ていた。
これには俺も思わずびっくりする。一瞬の隙が命を奪いかねないと言っておきながら、こんな襲われ方をするなんて我ながら迂闊だった。
「モンスターの生死をろくに確かめずに背を向けるなんて、油断大敵よ、あなた」
聞こえてきたのは涼やかな声だった。レファナートと口調は似ているけど、伝わってくる響きは別物だ。
「君は?」
ショートカットの栗色の髪を揺らしながら現れたのは、俺よりも少し年上に見える女の子だった。
何というか、スタイルも良いし、活発そうな顔をしている。
「私はセレナ・アースティン。ギルドに所属している冒険者よ。こう見えてもギルドじゃ、それなりに名が通った冒険者だし、あなたも私のことは聞いたことがあるでしょ?」
女の子、いやセレナは胸に手を当てて、笑いながら言った。
「いや、ないよ。俺はギルドじゃ、まだ新入りだからね。とにかく、助けてくれてありがとう。君がいなかったら、殺されていたかもしれないし」
俺は白目を剥いて倒れているリザードマンの屍を見下ろしながら言った。
「お礼なんていらないわよ。迷宮に入ったら、どんな人間とも助け合わなければならないのが暗黙のルールだしね。でも、倒したモンスターはちゃんと息の根を止めなきゃ駄目よ。それが迷宮での鉄則なんだから」
セレナは子供を叱りつけるように言った。
「そうだね。君の言う通り油断してたよ。俺もモンスターとは戦い慣れてなかったから、ちゃんと死んでいるかどうかまでは確かめてなかった」
言い訳じみたことを言っているようだけど事実だからな。
「まあ、分かれば良いのよ。だけど、モンスターと戦い慣れてない割には見事な剣捌きだったわよ。何か卓越してるって言うか、私も助けに入るのも忘れてあなたの戦いぶりに見入っちゃったわ」
それを聞き、俺はアグナスに感謝した。
「そうかな?俺はただ夢中で剣を振るっていただけだけど。現に君が見ていることすら気付けなかったわけだし」
戦っていくなら気配を感じ取るような技術も身につけないと。
「そうなんだ。とにかく、例えあなたが襲われなくても、モンスターを生かしておけば別の冒険者が襲われることになるんだから、これからは気を付けてよね」
セレナは俺みたいに迷宮に潜るのは初めてと言うわけじゃなさそうだ。何か、迷宮の事情には精通してそうだし。
「うん。でも、例え相手がモンスターでも殺すという行為にはどうしても抵抗があるんだよ。それが命取りになるとは分かっているし、甘いと言われてしまえばそれまでだけど」
テレビゲームのようにいかないということだ。
「初めは誰だってそうだし、そのことで恥じることはないわ。私だって初めてモンスターの命を絶った時は、罪悪感で胸がいっぱいになったし。ま、そこは慣れよ」
そう言うとセレナは覗き込むように俺の顔を見る。
「にしても、あなた、ちょっと不思議な外見をしてるわね。ひょっとして、この国の人間じゃないの?」
セレナは好奇心が旺盛そうな目で言った。
あまり追求されると、苦しい嘘を吐かなきゃならなくなるし、助けてくれた彼女に対して、それは嫌だな。
「そんなところだよ」
「ふーん。でも、迷宮にいるんなら、ギルドの許可は貰ってるはずだし、新入りと言えども何かしらの実績はあるのよね?」
セレナは顎に手を這わせながら言った。
「いや、俺には実績なんて何もないよ。ただ、少し特別なだけさ。迷宮に潜るのだって、今回が初めてなんだから」
ここは見栄を張っても仕方がないし、正直に言った方が良いな。
「正真正銘のルーキーってわけね。まあ、ギルドのメンバーの情報は大体、把握してる私でもあなたのような人間がいることは聞いたことがないし。もしかして、誰かに推薦状を書いて貰ったのかしら?」
「そうだよ。リード・グラムフォートっていう話の分かる人がいたんだ。おかげで迷宮に潜れるようになった」
リードさんがいなければ俺はここにはいない。
「リードって言うと、あの近衛兵騎士団の副団長さんね。剣の腕はそれほどでもないけど、アカデミーは主席で卒業したって言うし、よく頭の回る人物だとは聞いているわ。そんな人から推薦状を書いて貰えるなんて、どうやら、あなたはただ者じゃなさそうね」
俺が運が良かっただけさ、と心の中で呟くと、セレナは改まったように尋ねてくる。
「ところであなたは何で迷宮に潜ってるわけ?普通、初めて迷宮に潜る時は力のあるパーティーに入れて貰うのが基本なんだけど。もしかして、途中ではぐれちゃったの」
「そうじゃないよ。俺には最初から仲間なんていないし、どうやったらパーティーに入れて貰えるのかも分からない」
確かに仲間は欲しかったが、レファナートはそんなものは必要ないと切って捨てたのだ。仲間との交流によって、得られる経験もあると思うのに。
「幾らルーキーだからって、それはないんじゃないの。はっきり言って、迷宮に初めて潜るのにパーティーを組まないなんて自殺行為も良いところよ。推薦状があったとは言え、良くギルドがそれを許したわね」
「そう言われると困るけど」
俺は面映ゆい感じで言った。
「あなたって、よっぽど腕に自信があるのね。でなきゃ、迷宮に関して下調べすらしてないただの馬鹿としか思えないわ。でも、見た感じあなたは前者かしら」
セレナは俺の戦士としての力を推し量るように言うと、言葉を続ける。
「ま、それは良いにしても、あなただってギルドの仕事の依頼を受けたから、迷宮にいるのよね?そうじゃなきゃ、お宝でも探しているのかしら?」
「違うよ。俺はお宝なんて見つけられるとは思ってない」
レファナートが言うにはお宝は五十階よりも下の階に行かないとまず見つけられないのだそうだ。
その階まで行くとなると、本当の意味で命がけになるらしいが。
「そうよね。迷宮のお宝は探し尽くされてるし、ギルドの仕事の依頼がなきゃ迷宮になんて潜る価値なんてないものね。中には理由もなくモンスターと戦いに明け暮れる物好きな奴もいるけど」
セレナは豊富な経験からか、そう決めつけるように言った。
「そうなんだ。俺もその辺の事情はよく分からないけど」
レファナートは本当に最低限のことしか教えてくれなかったようだな。
「ちなみに私は最近、迷宮の浅い階にまで出没して冒険者たちを襲ってるマッド・ドレイクを退治しに来たの。あなたは?」
マッド・ドレイクなら俺も知っている。ギルドの掲示板に退治したら八千ディオールという高額な報酬が支払われるという紙が貼り出されていたからな。
「迷宮にいる一角獣とかいうモンスターの角を取りに来たんだよ。あとは腕試しに、とりあえず地下十五階にまで行こうとしてる」
俺もレファナートに勧められる形で、とりあえず仕事の依頼を受けた。ちなみに一角獣の角は磨り潰せば薬にもなるらしく、報酬は三百ディオールだそうだ。
「腕試しね。もっとも、あなたくらいの剣の技量があれば十五階くらいまでなら、簡単に辿り着けるんでしょうけど。なんなら、途中までで良いから、私と一緒に行かない?ここで会ったのも何かの縁だし」
セレナはさばさばした感じで笑った。こんな場所で、誰かと一緒にいられるなら願ったり叶ったりだ。
「別に構わないよ。でも、君には仲間はいないのか?」
「いたけど三日前にマッド・ドレイクに襲われて、みんな大怪我をしたの。だから、私はそのリベンジをしに来たってわけ。もちろん、賞金も手に入れるつもりでね。ま、あなたには色々言ったけど私も一人で来たから、本音を言うと少し心細かったのよ」
セレナの口調からはマッド・ドレイクに対する憎しみのようなものは感じ取れなかった。
「それは大変だったね。でも、そういうことなら君にはマッド・ドレイクを一人で倒す力があるってことなの?」
「まあね。仲間がやられた時は私も油断していたけど、今度はそうはいかないわ。マッド・ドレイクは必ず私の手で討ち取って、病院にいる仲間たちには良い報告をしてあげたいし」
そう言うとセレナは気を取り直したように口を開く。
「何にせよ、あなたも迷宮に潜るのは初めてなんだから、不測の事態が起きた時のために誰かが一緒についていた方が良いわ」
こうして俺はセレナの言葉に押される形で、彼女と一緒に迷宮を潜ることになった。旅は道連れ世は情けという言葉はこういう時に使うのかな?
けど、セレナのおかげで何だか面白くなってきた。
その後、俺とセレナは頻繁に現れるリザードマンたちを倒しながら、迷宮を下へと潜っていく。
途中、リザードマンだけではなくコブリンや、イノシシのようなモンスターも現れたが、はっきり言って、俺の敵ではなかった。
でも、下の階に行くほどモンスターの数も多くなるし、俺もこれには焦燥を感じる。
とはいえ、モンスターとの戦いで、セレナの剣の腕前も相当なものだと言うことが分かったし、油断しなければ何とかなるだろう。
あと、セレナだけではなく他の冒険者とも顔を合わせることができた。
みんな、様々な仕事の依頼を受けて、迷宮に潜っているらしい。レファナートの言った通り、この迷宮が冒険者たちの生活を支えているのは本当のようだ。
俺も運良く現れた一角獣を倒して、その角を手に入れることができたし、これで特別に迷宮に入る許可をくれたギルドからも文句を言われることはないだろう。
あのレファナートの対面も保たれるというものだ。
そして、俺たちは思ったよりも呆気なく十五階にまで辿り着く。
十五階はちょうど広いフロアーのようになっていた。何となく、この場所からは丘の上にある神殿と同じような空気が感じ取れた。
が、十五階まで辿り着いた俺は達成感に浸る暇もなく、身を強張らせる。
そこには巨大な羽のないドラゴンのようなモンスターがいて、一人の屈強そうな戦士のような格好をした男と戦っていたからだ。
それを見て、セレナも綺麗な瞳に殺意のようなものを宿す。
「もしかして、あの怪物がマッド・ドレイクなの?なんて言うかとんでもなく、恐ろしいんだけど、君はあれを倒せるって言うのか?」
あのモンスターはグリフォンよりも迫力がある。
体長は八メートルくらいはありそうだし、口から覗いている鋭い牙なんて、どんなものでも食い千切れそうだ。
「その通りよ。あそこで戦っているのはディロン・ランバートルね。どうやら、苦戦しているようだし、私たちも加勢するわよ」
セレナは剣を構えながら放たれた矢のように駆け出す。そして、息を荒げているディロンという戦士の横に並んだ。
俺も二人の後ろに立つと、マッド・ドレイクのおぞましさを感じさせる顔を睨み付ける。どうやらリザードマンやコブリンとは桁が違う相手のようだ。
「誰かと思ったら、セレナ・アースティンか。助太刀してくれて感謝するが、命が惜しいなら逃げた方が良いぞ。女のお前に手に負えるような相手じゃない」
ディロンは大剣の切っ先をマッド・ドレイクに向けながら言った。
「女であることは関係ないでしょうが。それにこの私ともあろうものが獲物を前にして逃げるわけがないでしょ」
セレナは果敢に言うと言葉を続ける。
「そういうあなたこそ、ギルドでも五本の指に入る戦士と言われている割には随分と手を焼いているようね。しばらく見ない内に腕が鈍ったんじゃないの?」
セレナは皮肉混じりに言った。
「言ってくれるな。だが、見ての通りだ。噂に聞いていたよりも奴はずっと手強い。お前たちも心して掛からないと、殺されるぞ。奴にかけられている八千ディオールの賞金は伊達じゃないみたいだからな」
ディロンは大剣を握る手に力を込める。
「そんなの見れば分かるわよ。あいつには、私の仲間も手酷くやられたしね。とにかく、マッド・ドレイクを倒したら報酬は山分けにして貰うわよ」
セレナの提案にディロンは痛快だとでも言いたげな顔をする。
「良いだろう。その代わり、この俺の足を引っ張るなよ。奴が相手では、とてもお前たちを助ける余裕はないからな」
そう言うと、話は終わったとばかりにディロンはマッド・ドレイクに向かって大剣の切っ先を突きつける。
「誰に向かって言っているつもり?ディロン。余計な心配をしなくても、あのマッド・ドレイクは私が討ち取ってやるわ。あんたこそ、私の手柄を横取りしないでよ。マッド・ドレイクを倒して名を馳せるのはこの私なんだから」
そう言って、セレナは不敵に笑うと疾走する。
ディロンも負けまいとセレナの後に続いた。それから、マッド・ドレイクと俺たちの激しい戦いが始まる。
セレナは細身の剣を構えると、間合いを取りながら円を描くように足を運ぶ。慎重にマッド・ドレイクの死角を探し出そうとしているのだろう。
対する、ディロンは自分の身長と同じくらいの長さがある大剣を軽々と扱うと、マッド・ドレイクに斬りかかったが、マッド・ドレイクの方も巨体に似合わぬ動きで、それを避ける。
セレナもディロンの攻撃に合わせるように風のようにマッド・ドレイクに迫り、剣を突き出した。
が、マッド・ドレイクはそれを俊敏に避けると、セレナの体を巨大な尻尾で薙ぎ払う。
後ろに飛び退く暇もなく、凄まじい衝撃を食らったかのように横に吹き飛んだセレナは、軽業師のように空中で一回転すると地面に着地する。
この辺の動きはさすがだ。
ディロンは後れを取っているセレナを見て舌打ちすると、何度もマッド・ドレイクに剣で斬りかかった。
だが、マッド・ドレイクは巧みな動きでそれを避け続ける。
セレナもいつの間にかマッド・ドレイクの背後に回り込んでいて閃光のごとき突きを放ったが、振り回される尻尾に遮られて、思うように間合いを詰められない。
するとマッド・ドレイクは唐突に口から煙の立ち上る液体をディロンに向かって吐き出した。
ディロンは瞬時に体を斜めにして、それを避ける。
液体は床にかかると、ジューッと音を立てた。
どうやら、液体は強烈な酸のようだ。もし、液体を浴びていたら、ディロンの体は骨まで溶かされていたかもしれない。
一方、何とか間合いを詰めることに成功したセレナはマッド・ドレイクの背後から、その足を切りつけようとする。
もし、足に怪我をさせられれば、あの素早い動きを封じ込めることができる。
だが、マッド・ドレイクはいきなりくるりと旋回して、セレナの方に顔を向けると、あんぐりと口を開けた。
それから、唾液を垂らす口で、勢いよくセレナにかぶりつこうとする。
セレナもそれを身をよじって避けたが、次の瞬間、続けざまにマッド・ドレイクの鋭い爪が振り下ろされて、セレナの剣はバキンと弾き飛ばされた。
それを好機と見たのか、マッド・ドレイクは剣を無くしたセレナに追撃をかけるように、人間の体などいとも簡単にバラバラにできそうな爪を何度も振り下ろす。
セレナはその攻撃を紙一重のところでかわし続けるが、とても落ちている剣を拾いに行く余裕はない。
そして、とうとうセレナはバランスを崩して、膝を突いてしまった。
身を守るものがなくなり、このままでは危ないと思ったのかディロンも間髪入れずにマッド・ドレイクに向かって剣を一閃させたが、それは空を切る。
その上、反対にマッド・ドレイクの尻尾による攻撃で、ディロンの体は大きく跳ね飛ばされて、ドサッと地面に叩きつけられた。
これにはディロンもすぐには身動きが取れなくなる。
はっきり言って、絶体絶命だ。
俺は二人の戦いになかなか加われず、手をこまねいていたが、ここでようやく攻撃に移ることができた。
当のマッド・ドレイクはセレナとディロンに気を取られていたので、俺の接近に気付くのが僅かばかり送れる。
その隙に俺は一陣の風となり、マッド・ドレイクに勢い良く斬りかかった。しかし、マッド・ドレイクはそれを後ろに跳躍することで避けると、今度は俺に狙いを定める。
そんなマッド・ドレイクの殺気に満ちた眼光に射貫かれると、俺も身が縮こまりそうになる。
だが、ここで恐れに体を支配されたら、為す術もなく殺されるだけだ。
しかも、今の俺の肩にはセレナとディロンの命も掛かっている。絶対に負けられない。
そうこうしている内にマッド・ドレイクはまるでバネのように撓る足で、迅速に走り寄ってくると俺に鋭い爪を振り下ろす。
まるで空間ごと切り裂かれそうな一撃だ。
が、俺も無理な動きはせずに見えない力に身を任せるような形で剣を振るう。それは自分で言うのも何だが、かなり良い太刀筋だった。
その結果、マッド・ドレイクの掌はバシュッという音を立てて、真っ二つに裂けた。
夥しい血を迸らせる掌を天に翳して、マッド・ドレイクは絶叫する。傍にいた俺は鼓膜が破れそうになった。
だが、ここで退いてはいけないと思い、俺は恐れを勇気に変えると、更に瞬発力を高めて再びマッド・ドレイクに斬りかかった。
マッド・ドレイクも傷を負っていない方の手で、俺の体を引き裂こうとする。俺とマッド・ドレイクの体が必殺とも言えるタイミングで交錯した。
その瞬間、俺の目にはマッド・ドレイクの動きがまるでスローモーションのように見えた。
故に、どこに剣を打ち込めば良いのかはっきりと分かる。
そして、マッド・ドレイクの手は俺の放った神速とも言える斬撃を受けて、切り飛ばされる。
俺の方も頬の辺りにマッド・ドレイクの爪が掠めた。
間一髪とはこのことか。
クルクルと回転しながら地面に落ちた自分の手を見て、両手を負傷したマッド・ドレイクは完全に怒り心頭に発したように唸り声を上げる。
すると、それに怯んでしまった俺を尻尾で薙ぎ払おうとした。
だが、俺はその攻撃を受け流すようにかわして、逆に尻尾の上に飛び乗った。
それから、尻尾の先からマッド・ドレイクの背中に駆け上がると、そこから思いっきりジャンプする。
俺が足を着いたのはマッド・ドレイクの頭の上だ。
なので、剣を振り上げると渾身の力を込めて、俺を振り落とそうと暴れるマッド・ドレイクの後頭部に剣を突き立てた。
その際、グサッと肉と骨を貫通する嫌な感触が伝わってくる。
マッド・ドレイクも動きを止めたと思ったら、急に力を失ったようにグラッと地面に横倒しになった。
ドサッと言う音が静かになったフロアーに響き渡る。
俺はマッド・ドレイクの体から飛び降りると、しばし放心する。
マッド・ドレイクは事切れたように動かないし、これは完全に勝負あったと言うところだろう。
それにしても我ながら、素晴らしい戦いぶりだったと思う。でも、やっぱりこれもアグナスの力なんだよな。
「凄いじゃないの、あなた。私たちがあれほど手こずらさせられていたマッド・ドレイクをこんなにもあっさりと倒しちゃうなんて尋常じゃないわ」
セレナは俺の傍まで走り寄ってくると、興奮したように捲し立ててくる。
俺だって、まるで自分の体じゃないみたいな動きができたことには、驚いているのだ。これだと生前のアグナスがどれくらい強かったのか、想像もつかないな。
「いや、セレナたちが命懸けで隙を作ってくれたおかげだよ。そうじゃなきゃ、俺も手を出せずにいた」
俺は謙遜するように言った。
「でも、私もディロンもあなたには命を助けられたし、正直、感謝しているわ。にしても、あの戦いぶりはそこらの戦士には到底、真似できないし、とても迷宮に初めて潜ったルーキーとは思えないわね。どこで、それほどの力を手に入れたのかしら」
セレナは何だか怪訝そうな目で俺を見る。
そこら辺はあまり詮索して欲しくない。特にセレナとレファナートを引き合わせると、何となく喧嘩になりそうな感じがするし。
「その通りだな。確かにあの動きは神業的なものがあったし、たいしたものだとしか言いようがない。だが、俺も君のような人間は初めて見るし、一体、何者なんだ?」
背後から現れた、ディロンも興味深そうに俺の顔を覗き込む。
ギルドでも指折りの戦士に認められたと言うことは、俺の得た力は相当なものなのかもしれない。
「そう聞かれると、俺も困るんだけど」
俺は頭の後ろを掻きながら、まさか異世界から来ましたなんて言えないよな、と困ったように心の中で呟いた。
そんな俺の心中を察したのか、セレナはあっさりと追求するのを止める。
「まあ、そんなことはどうでも良いじゃないの。とにかく、これだと報酬を受け取る権利はあなたにもありそうね。やっぱり、マッド・ドレイクを倒したのはあなただから、報酬の六割は貰って良いわよ。残りは私とディロンで分ければ良いし」
セレナは腰を手に当てながら息を吐いた。これには俺もちゃっかりしてるなと思った。
「そう言ってくれるのは嬉しいけど俺は報酬なんていらないよ。別にマッド・ドレイクを倒しに迷宮に潜ったわけじゃないし」
お金ならレファナートがたくさん持っているはずだ。なので、ここは金銭に対する執着心はきっぱりと捨てるべきだろう。
「冗談でしょ。マッド・ドレイクには八千ディオールの賞金がかけられてるのよ。それだけあればこの王都で三年間は遊んで暮らせるし、遠慮なんてするような金額じゃないわ」
セレナは目を血走らせる。それが凄い金額だと言うことを証明していた。
「でも、遊んで暮らす気なんてないし」
俺はこの世界の住人になる気はないし、大金なんてあっても使いどころがない。ま、本音を言ってしまえば、セレナの前で良い格好をしたいと言うだけなのだが。
「ふーん、あなたって殊勝なのね。でも、その心根は気に入ったわ。やっぱり、あなたは普通の人間とどこか違う気がするし、案外、国中に名を轟かすような大物になれるかもしれないわね。私も負けていられないわ」
セレナは弾けたような笑顔で言った。
「それはどうも。でも、報酬は本当にいらないから」
ここでそんなものを貰っておくと、後々、面倒なことになりそうな気がするからな。
「そう。じゃあ、もしこれから先、何か困ったことがあったら私に言ってよね。どんなことでも力になるから。あと、私に会いたければギルドのトレーニング・ルームに来てくれれば大丈夫よ。暇なときは大抵はそこにいるし」
セレナは俺の手をギュッと握って言った。これには俺も赤面しそうになる。
レファナートにもこれくらい愛想の良さがあれば、俺とは言わずとも、男には持てると思うんだけどな。
「ありがとう。是非ともそうさせて貰うよ」
そんな機会は来ないとは知りつつも、俺はこそばゆいものを感じながら、何とか微笑んで見せた。




