第九十九話 首領の核心にある「人形」
首領が答えを出したのは、その日の夕方だった。
使いの者が来て、「術者が会いたいと言っている。一人で来い」と言った。一人で、という条件に、レオネルが即座に反対したが、私は行くと言った。
「一人でも大丈夫」
「大丈夫かどうかの問題ではない。万が一の時に――」
「万が一の時は、あなたたちがいる。外で待っていてください」
レオネルが不服そうな顔をしたが、最終的には頷いた。アルが「五分以上連絡がなければ踏み込みます」と静かに言った。ノアが「何かあったら叫べ」と言った。ウルが私の手を一度だけ強く握って、離した。
ルカが、外壁にもたれたまま言った。
「気をつけろよ。首領は危険じゃないが、あの部屋の感情の密度は高い。飲み込まれるな」
「うん」
一人で首領の部屋に入った。
首領は立っていた。昨日と今朝は椅子に座っていたのに、今は窓の前に立って、廃都市を見下ろしていた。夕陽が窓から差し込んで、首領の影を長く伸ばしている。
「見せたいものがある」
首領が言った。振り返らずに、窓の外を見たまま言った。
部屋の奥に、小さな棚があった。その上に、一つだけ物が置いてあった。
人形だった。
手のひらに乗るくらいの大きさの、布製の人形だ。古い。かなり古い。生地が褪せて、縫い目のいくつかが解けている。でも、丁寧に作られたことは分かった。一針一針が、愛情を持って縫われている。職人の目には、それが伝わる。
「あの人が作った」
首領が言った。
「私が医師として働き始めた頃に、お守りだと言って渡してくれた。忙しい夜に眺めると、頑張れた。……あの夜、その人が逝った後、この人形だけが残った」
首領がゆっくりと振り返った。その目に、今日初めて、疲れとは別の光が宿っていた。
「縫えるか。この人形の、解けた縫い目を」
私は人形を手に取った。布の感触が、指先に伝わった。古い布の柔らかさの中に、作った人の手の温度が染み込んでいた。縫った時の気持ちが残っていた。誰かのために作るという、純粋な愛情が。
銀の針が、静かに光った。
(この人の気持ちは、ちゃんとここにある)
私は針を構えた。解けた縫い目を一目ずつ確かめながら、丁寧に縫い直す。急がない。一針ごとに、この人形に込められた気持ちを確かめながら、元の場所へ送り返す。ブラック工房で「重い」と言われ続けた私のやり方が、今この瞬間、この人形のためにある。
十分ほどかけて、縫い目が全部閉じた。
人形を首領に返した。首領は両手でそれを受け取り、長い間見ていた。その目から、静かに涙が一粒だけ落ちた。
「……まだ、温かい」
掠れた声だった。
「あの人が縫った時の気持ちが、まだここにある。何十年も経ったのに、まだ温かい」
「作った人の気持ちは、時間では消えません。縫い目が解けても、布の中に残っています。私はそれを、縫い直しただけです」
首領が目を閉じた。長い間、目を閉じていた。
やがて目を開けて、私を見た。その目から、何十年分の疲れが、少しだけ抜けていた。
「……術式を止める。この廃都市に集めた感情を、解放する」
首領が言った。
「条件はあります。解放した感情が世界に戻る時に、傷つく人間が出ないよう、あなたに縫い合わせてほしい。私一人では、その制御ができない」
「やります」
即座に言った。これが私の仕事だ。




