第九十八話 首領との対峙「あなたの傷を、縫わせて」
翌朝、首領と二度目の対話をした。
今度は広場ではなく、首領の執務室のような場所に通された。廃都市の中央の建物の、一番奥の部屋だ。窓が一つだけあって、そこから廃都市の全景が見下ろせる。かつては美しかったのだろう街が、今は感情の光を染み込ませて静かに眠っている。
首領は椅子に座って私たちを待っていた。昨日と同じ、静かな疲れた目をしていた。
部屋には私とアルとレオネルが入った。他の面々は外で待機している。ルカだけは、首領の顔を見た瞬間に「俺は外にいる」と言って出ていった。理由は言わなかったが、私には少し分かった。ルカが感じる罪悪感の問題だ。自分が知らずに加担してきた計画の首謀者と、対面することへの、複雑な感情がある。
「話を聞く、と言った。聞こう」
首領が言った。
私は直接言った。遠回しにする時間も理由もなかった。
「あなたが感情を取り除こうとしているのは、愛する人を感情によって失ったからだと聞きました。その痛みは本物だと思います。だから、この話が届くかどうか分からない。でも、言わなければいけない」
首領が静かに私を見た。
「あなたが取り除こうとしているのは、感情全体です。でも、あなたが本当に取り除きたかったのは、感情そのものではなく、大切な人を失った時のあの痛みだったんじゃないですか。その二つは、別のものです」
首領の目が、微かに揺れた。
「……同じことだ。感情があるから愛する。愛するから失う。失うから傷つく。感情が源だ。源を取り除けば、傷もなくなる」
「源を取り除けば、愛することもできなくなります」
「それでいい」
「本当に?」
首領が黙った。
私は続けた。
「あなたは今も、その人のことを想っていると思います。感情を取り除こうとしながら、その人への気持ちだけはまだ消えていない。だからこそ、これだけの年月をかけて、これだけのことをしてきた。消したいのに消えない気持ちが、あなたをここまで動かした」
首領の手が、椅子の肘掛けを強く握った。
「……黙れ」
「あなたの傷を、縫わせてほしい」
首領が顔を上げた。
「縫う?」
「私は裁縫師です。壊れた人形を直す時、傷を消すのではなく、傷を閉じます。傷があったことは残ります。でも、傷が開いたままでなくなります。……あなたの傷も、同じようにできると思っています。消すのではなく、閉じる。失った痛みは残っても、それがあなたを動かし続けることがなくなる」
長い沈黙が落ちた。
窓の外で、廃都市の光がゆっくりと揺れていた。
「……お前は、何者だ」
「野中結衣です。叔父から受け継いだ店で、人形を直しています」
「なぜ、見ず知らずの私の傷を閉じようとする」
「職人だからです。壊れているものが目の前にあれば、直したくなる。それだけです」
首領が、長い間私を見ていた。その目の奥に、何かが揺れていた。疲れの奥に、何十年も前に封じてきた何かが。
「……少し、考えさせてくれ」
首領が言った。それは拒絶ではなかった。
部屋を出ると、廊下でアルが私の隣に並んだ。彼は何も言わなかった。ただ、私の肩に指先でそっと触れて、それから離れた。アルなりの、よくやったという伝え方だと分かった。
外でウルが飛びついてきた。
「どうだった!? うまくいった?」
「まだ分からない。でも、話は聞いてもらえた」
「主様、緊張してたでしょ。手、冷たい」
ウルが私の両手を包んで、息を吹きかけた。温かかった。こういうことを、何も考えずにやってくれる子だ。緊張していたことに、ウルに言われて初めて気づいた。
「ありがとう」
「いつでも」
ウルが笑った。今日一番、普通の顔だった。




