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第九十六話 感情の墓場が「見せる幻」


首領との交渉は、翌朝に行われた。

広場の中央で向き合った首領は、想像していたより小柄な老人だった。白い髪を丁寧に整え、仕立ての良い黒い外套を羽織っている。目が静かだった。憎しみでも狂気でもなく、ただ深く疲れた目だ。長い時間をかけて、何かを信じ続けてきた人の目だった。

交渉の内容は単純だった。私たちは廃都市から去るつもりはない、首領の術式を止めるつもりだ、ただし話し合いで解決できるなら戦いたくない、という三点だ。首領は静かに聞いて、静かに答えた。「話し合いで解決できるとは思わない。だが、話を聞くことは拒まない」。

それで交渉は終わった。

首領が広場を去った後、ほどき屋の術式が動き始めた。廃都市の建物の壁に染み込んでいた感情の光が、ゆっくりと集まり始める。中央の装置に向かって、光が流れていく。それに合わせて、廃都市全体の空気が変わった。

重くなった。さっきまでより、ずっと重い。

「……なんか、変な感じ」

ウルが私の腕を掴んだ。掴むというより、縋るような握り方だった。

「主様、僕……なんか、おかしい」

彼の声が、震えていた。ウルらしくない震え方だ。恐怖ではなく、混乱している。

私が振り返ると、ウルの目が虚ろになっていた。視点が定まっていない。感情の幻を見ている目だ。

「ウル、私の声聞こえる?」

「……聞こえる。でも、なんか、変なのが見える。昔の、主様を閉じ込めてた頃の僕が、見える。あの頃の僕が、また主様の部屋のカーテンを縫い付けてる」

ウルの幻が始まっていた。感情の墓場が、彼の中の一番痛い記憶を引き出している。

私はウルの手を、両手でしっかりと握った。

「ウル、今の私の手の感触は分かる?」

「……分かる。温かい」

「これが今だよ。あの頃じゃなくて、今。今の私はここにいる。今のウルと一緒に」

ウルが少しずつ焦点を取り戻した。目が私を捉えた。蜂蜜色の瞳が、揺れながら私を見た。

「主様……ごめん」

「謝らなくていい」

「ごめん。あの頃のこと、まだ引きずってたんだ。全部終わったと思ってたのに」

「引きずっていていい。全部終わったことにしなくていい。あったことは、あったんだから」

ウルが、私の手を握り返した。今度は縋る握り方ではなく、確かめる握り方だった。

同じ頃、アルも幻を見ていた。彼は立ち止まって、眼鏡の奥の目を細めていた。私が声をかけると、彼は静かに答えた。

「……主様を檻の中に入れていた頃の、私の術式の設計図が見えています。自分でも忘れていた細部まで、完璧に再現されている」

「怖い?」

「怖いというより……恥ずかしい。あれほど緻密に、あれほど丁寧に、閉じ込めることを設計していた。その精巧さが、今見ると、ひどく恥ずかしい」

アルが眼鏡を外した。目を閉じた。それから深く息を吸って、目を開けた。

「……見ました。認めました。これで、少し楽になった気がします」

ノアが私の隣に来た。

「俺は地下室が見えた。一人でいた時間。でも今回は、それほど引きずられなかった。……廃工房の夜に、結衣と話しといてよかった」

ぼそりと言って、ノアは私の肩に一瞬だけ頭を預けた。本当に一瞬だけ、そしてすぐに離れた。でも確かに、そこにあった。

レオネルは幻を見た後、剣の柄を握りしめて立っていた。何を見たかは言わなかった。でも、「大丈夫だ」とだけ言った。その声が、これまでで一番人間らしい声に聞こえた。

ルカだけが、幻を見ていなかった。

「俺はもう、自分の一番痛いところを、崖の上で全部出したから」

彼はあっさりと言った。それが本当なのか、それとも意地を張っているのか、今の私には分からなかった。でも、ルカが私たちの隣に立っていることが、今は十分だった。

感情の墓場が、全員の綻びを一度ずつ見せた。見せられた上で、それでも全員が立っていた。


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