第九十三話 アルが「計算できないこと」を認める
廃都市の中央広場に近づくにつれ、感情の密度がさらに上がった。
歩くだけで、知らない誰かの記憶の断片が浮かんでくる。知らない子どもが笑っている場面。知らない老人が泣いている場面。自分の記憶ではないと分かっているのに、胸に刺さってくる。
アルが足を止めた。眼鏡を外して、目を閉じた。
しばらくして目を開けた。
「……今、誰かが怒っている場面が見えました。でも、その怒りの感触が、私が以前主様に向けていた感情に、少し似ていた」
「あの頃の私の感情は、愛情と怒りと怖れが全部混ざっていた。愛しているから失いたくない、失いたくないから縛る、縛れなくなるかもしれないという怖れが、全部一緒になっていた。……混ざっていることには気づけるようになった。それだけでも、以前とは違います」
ウルが静かに言った。「アルって、こういうことを声に出して言うようになったよね」
「……機織りの島での経験が大きかった。この廃都市の中は計算できないことだらけです。でも今の私には、それが以前ほど怖くない。分からないまま進む、という選択が、できるようになっています」
「それは、大きな変化だよ」
「結衣様に言われると、素直に受け取れます」
アルが珍しく、口の端を上げた。
ウルが私の耳元にこっそり寄ってきた。
「アルって、すごく素直になったよね。前は褒めても照れて誤魔化してたのに」
「声が聞こえますよ、ウル」
「あっ」
「言いたいことがあるなら、直接言ってください」
ウルが少し考えてから言った。「アル、この旅でかっこよくなったと思う」
アルが止まった。眼鏡を押し上げた。
「……ウルに言われるのは、少し複雑ですが」
「なんで?」
「比較対象として信頼性が低いので」
「ひどい!」
レオネルが前から「騒ぐな」と言った。ルカが小さく「うるさい」と言った。ノアが壁に手を当てたまま「集中しろ」と言った。
全員にたしなめられながら、ウルが「でも本当のことだから」と言ってすぐに黙った。そのやり取りが普段通りすぎて、廃都市の重い空気が少しだけ軽くなった。
広場が見えてきた。ルカが前に出た。「ここから先は、俺が交渉する」
誰も反論しなかった。




