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第九話 素材の秘密、魔力の綿


 店が繁盛するのは喜ばしいことだったけれど、すぐに大きな問題にぶつかった。素材が、足りないのだ。

「……あの子の腕を直すには、もっと弾力があって、魔力の馴染みがいい綿が必要なのに」

 作業台の上で、私は溜息をついた。叔父が遺した最高級の綿は、ここ数日の奇跡の修復でほとんど使い切ってしまった。市販の綿では、私の針が紡ぐ魔力の密度に耐えきれず、すぐに千切れてしまう。

「主様、それなら裏庭の奥へ取りに行きましょう。……あそこには、世界で一番純粋な綿が実っていますから」

 小さなクマの姿のウルが、私の肩に飛び乗って耳元で囁いた。

「奥……? まだ行ったことがない場所だよね」

「ええ。ジョンの旦那様も、本当に必要な時以外は足を踏み入れなかった聖域の深部です。準備をしましょう」

 人間姿のアルが、私の背中にそっと上着を掛けた。

 私たちは、あの巨大なテディベアが座る梨の木のさらに先へと進んだ。

 そこは、表の庭とは空気が違っていた。湿り気を帯びた静寂と、銀色の霧が立ち込める幻想的な森。光が届いているはずなのに、どこか薄暗い。鳥の声さえ聞こえない。ただ、風が枝を揺らす音だけが、古い物語を朗読しているかのように響いている。

「……きれい。でも、なんだか胸がざわざわする」

 地面には、クリスタルのように透き通る青い花が絨毯のように広がっている。その中心に、一本の奇妙な木が立っていた。枝の先には花ではなく、握り拳ほどの大きさの、雪のように白い綿の繭がいくつも実っている。

「あれが『魔力の綿』です。この世界の記憶と、祈りを吸い上げて実る果実。……摘む際は、ほしい分だけ。貪欲になると、この森が応えてしまいますから」

 アルが静かに告げた。その声には、珍しく緊張の色があった。

 私は吸い寄せられるようにその木に近づき、ひとつの綿の繭に手を触れた。

 その瞬間。

 ――冷たい。

 指先から伝わってきたのは、凍てつくような孤独と、それ以上に深い慈愛の記憶だった。一瞬だけ、視界が歪む。どこか遠い場所で、誰かが一針ずつ、泣きながら人形を縫っている姿が見えた気がした。それは叔父のようでもあり、現実世界で独りぼっちだった私のようでもあった。

「主様! 飲み込まれないで!」

 ウルの鋭い声で、私は我に返った。気づけば、私の手元から淡い黄金色の光が漏れ出し、綿の繭に吸い込まれていた。

 ウルが私の手首を掴み、アルが背後から肩を抱く。二人の体温が、冷え切った感覚を押し流してくれた。

「……今の、何?」

「この綿は、職人の想いを喰らって育つんです。……主様、何かを創るということは、自分の一部を世界に差し出すということ。叔父様がこの庭を大切にしていたのは、その喪失の重さを知っていたからですよ」

 アルの言葉が、重く心に沈む。ただ楽しく直しているだけだと思っていた。けれど、私の針が奇跡を起こすたびに、私は何かをこの世界に手渡しているのだ。

「……大丈夫。覚悟はできてる。この子たちを救うためなら、私は私の魔法を惜しまないよ」

 私は慎重に、必要最小限の綿だけを摘み取った。摘み取った後の枝からは、ポツリと透明な雫が零れ落ちた。それはまるで、木が流した涙のようだった。

 袋いっぱいの綿を抱えて店に戻る途中、私は何度も後ろを振り返った。銀色の霧の向こうに、誰かが立っていたような気がしたからだ。

「主様、どうしました?」

「ううん、なんでもない……。気のせいかな」

 叔父・ジョンがこの裏庭で、一体何を失い、何を守ろうとしていたのか。その秘密の断片に触れたような気がして、私は抱えた綿をぎゅっと抱きしめた。

 手の中の綿は、驚くほど温かくて、けれど少しだけ、切ない匂いがした。



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