第七十八話 第三の術式「紡ぐ」とは何か
石板の周囲をさらに調べると、床に薄い溝が刻まれているのが分かった。
溝は石板を中心に同心円状に広がり、最終的に遺跡の壁まで達している。底には細かな粉が積もっていた。かつてここに何かが流れていた痕跡だ。
「これは魔力の流路です」とアルが言った。「現在という概念に近いものを循環させていた構造です。縫いの術式でも織りの術式でもない、第三の様式で書かれています。今ここにあるものを、そのままの形で固定する力、のように見えます」
ウルが首を傾けた。
「今を固定する? それって何のためになるの」
「消えていくものを、消えないようにできる」
ノアが「人が作ったものの、温もりじゃないか」と言った。物は壊れる。記憶は薄れる。でも、誰かが何かを作った時の気持ちは、本当は消えてほしくない。その気持ちを、ずっとそこに在らせる術式。
レオネルが「だとすれば、危うい術式でもある。固定することは、変化を止めることでもある」と言った。
だから叔父は封印した。完成させれば絶大な力になる。でも使い方を誤れば、世界を「今」という一瞬に縫い止めてしまう。
「今日は、見るだけにします」
私の言葉に、誰も反論しなかった。
遺跡を出て船に戻り、昼食を取った。アルが術式の内容をまとめた手帳を見せてくれながら、説明を続けた。
ウルが手帳を覗き込んで、しばらくして言った。
「……全然分からなかった」
「どの部分ですか」
「全部」
アルが眼鏡を押し上げた。「もう少し具体的に言ってください」
「縫うのが過去で、織るのが未来で、紡ぐのが現在、ってとこまでは分かった。でもそれを全部一人でやるって、どういう感じになるの?」
「……そうですね」アルが少し考えた。「たとえば、ウルが今右手で炎を出しながら、同時に左手で風を読みながら、さらに足で地面の魔力を感知する、というようなことに近いかもしれません」
「それは無理だ」
「そうです。だから叔父様も、長い時間をかけても完成させられなかった」
「主様は?」とウルが私を見た。「できると思う?」
「できると思う。……でも今はまだ」
「いつかできるようになったら教えて。見たい」
「見せる」
ウルが満足そうに頷いた。アルが「見せるものではありませんが」と言った。「見せてもいいじゃないですか」と私が言うと、アルが少し困った顔をした。珍しい顔だ。
レオネルが黙って魚の骨を外していた。食事中も手が正確だ、と思いながら、私はお茶を飲んだ。




