第七話 職人の手つき、奇跡の糸
「ウル、アル。道具の準備を。……この子の『心』、繋ぎ直すよ」
私の言葉に応えるように、二人が素早く動いた。アルはどこからか、磨き抜かれた白磁のトレイと洗浄用の特別な香油を持ってくる。ウルは私の作業台のランプに魔力を灯し、手元を影ひとつない柔らかな光で満たした。
「おじょうちゃん。ここにお座り。特製のカモミールティー、淹れてあげたから。主様の魔法、特等席で見てていいよ」
ウルに促され、女の子は不安げながらも、カウンターの隅で目を丸くして私を見つめた。
私は、預かったボロボロのウサギをトレイの上にそっと横たえた。まずは、泥と涙で固まった表面を、アルが用意した香油で清めていく。毛足の長いファーの一本一本を特製のブラシで梳かしていくと、汚れの下から淡い、くすんだピンク色の生地が顔を出した。
「……ひどい。馬車に轢かれた時に、中の芯糸まで断ち切られちゃってる」
私は銀の針を取り出した。意識を集中させると、ウサギの体の中から、無数の魔力の糸がほつれた毛糸のように溢れ出して見えた。普通の人なら、ただのボロ布にしか見えないだろう。けれど私には聞こえる。この子が、自分を形作っていた愛が失われていくことに、絶望して泣いている声が。
「大丈夫。今、結び直してあげるからね」
私は、店にある最高級のシルク糸を針に通した。そこからは、自分でも驚くほど指が勝手に動いた。
――シュッ。
一針。まずは最も深い場所、魂の核となる部分を縫い止める。この糸が解れると、記憶が零れ落ちてしまうから。
――シュッ、シュッ。
現実世界では「遅すぎる」と罵られた、私の丁寧すぎる針運び。けれどここでは、その一針ごとに黄金の光が宿り、断ち切られた魔力の回路が火花を散らして再結合していく。
「……すごい」
後ろで見ていたアルが、感嘆の吐息を漏らした。女の子も、持っていたカップを忘れたように、私の手元を凝視している。
(ここだ……。お母さんの、最後の祈りが残ってる場所)
ウサギの胸の奥。そこには小さな、けれど温かい光の塊があった。長い時間、ずっとこの子を内側から照らし続けていたんだろう。汚れても、千切れても、消えなかった光だ。
「ただ直すだけなら誰でもできる。けれど、この子の『心』を繋ぎ止めるのは私にしかできない」
私は自分の指先を針先で軽く突き、一滴の魔力を糸に乗せた。私の心と、お母さんの祈りを、一針で縫い合わせる。
その瞬間、店中にサァーッと清涼な風が吹き抜けた。ボロボロだったウサギのぬいぐるみが、眩い光に包まれる。
光が収まったとき、そこにあったのは――。
「……うそ。……ふわふわだぁ」
女の子が、震える声で呟いた。カウンターの上に座っていたのは、泥汚れひとつない、新品よりも瑞々しい輝きを放つウサギだった。しかも、ただ直っただけじゃない。ウサギの鼻先が、ぴくりと動いたのだ。
『……おなかすいた、かな?』
小さな、鈴の鳴るような声。ぬいぐるみがゆっくりと首を傾げて、女の子を見上げた。
「しゃ、しゃべったぁ!?」
ウルが驚愕して飛び退く。アルが眼鏡をわずかにずらして絶句した。
「……結衣様。貴女は一体、何を。ただの修復ではなく、概念的な生命の定着まで成し遂げられたのですか?」
私自身、少し驚いていた。叔父の針と、私の重いこだわりが合わさると、こんな奇跡が起きるなんて。
「……はい、どうぞ。もう、どこも痛くないって」
私がウサギを差し出すと、女の子はそれをひったくるように抱きしめた。ウサギは短い手で、ぎゅっと女の子の頬を撫でる。
「ありがとう、おねえちゃん! ありがとう……!」
女の子は泣きながら、何度も何度も頭を下げて店を出て行った。その背中を見送りながら、私は心地よい疲労感に包まれる。
「……ふふ。おじさん、私、間違ってなかったみたい」
けれど感動に浸る間もなく、アルが険しい顔で外の通りを見つめた。
女の子が抱えた奇跡のウサギを見た街の人々が、ざわざわとこちらを見始めている。
「主様、覚悟してください。……今の光景、街中の人が見ていましたよ」
次の瞬間、店の扉が勢いよく開いた。
「おい! 今のを見せろ! 伝説の『聖針職人』が帰ってきたってのは本当か!?」
私の静かな異世界生活は、どうやら今日で終わってしまったらしい。




