第五十二話:狙われた「未完成の心」
謎の「動く手紙」が届いてから数日。人形店の周囲には、春の陽だまりとは不釣り合いな、粘りつくような視線が漂うようになっていた。
「……主様、下がってください」
店の裏庭で薬草を摘んでいた私の前に、アルが音もなく割り込んだ。その手には、いつも持っている在庫目録ではなく、蒼い魔力を帯びた護身用の短針が握られている。
生垣の影から現れたのは、顔を灰色の仮面で覆った三人組の魔導師だった。彼らが纏う法衣には、王国の紋章ではなく、絡み合う鎖と天秤を模した見慣れぬ意匠が刻まれている。
「『黄金の針』は不要だ。我々が求めているのは、ジョンの最高傑作――『心を持つ人形』の核のみ」
中央の男が低く冷酷な声を放つ。その指先が、私の背後にいるノアを指した。
「ノアを……!? ふざけないで、この子たちは私の家族よ!」
叫ぶ私を制するように、ノアが私の前に一歩踏み出した。以前の彼なら、私の背中に隠れて怯えていたか、あるいは絶望に身を任せていたはずだ。けれど、今の彼の赤い瞳には、静かな拒絶の火が灯っていた。
「……僕を、『核』って呼んだね。……中身が空っぽのゴミ箱扱いされるのは、もう慣れてるけど」
ノアの周囲に、どろりとした漆黒の魔力が渦巻き始める。それはかつて結衣の「痛み」を吸い取っていた時の、制御不能な闇ではない。彼自身の意志で編み上げた、鋭い拒絶の術式だ。
「でも、今の僕は、甘いジャムの味も、結衣が縫ってくれたパジャマの柔らかさも知ってる。……それを奪おうとする奴には、相応の『痛み』を返してあげるよ」
男たちが一斉に鎖の魔法を放つ。空間を縛り、人形を拘束するための術式。
だが、ノアは逃げなかった。
「――深淵の刺」
ノアが地面を叩くと、黒い影が針のような形状となって噴出し、襲いかかる鎖を次々と粉砕した。かつて結衣から引き受けた「負の感情」を、彼は今、自分と家族を守るための「力」へと昇華させていた。
「……っ、馬鹿な! 自律型の人形が、これほど高密度の指向性魔力を放つなど……!」
仮面の男たちが後退する。そこへ、屋根から飛び降りてきたウルが、黄金の炎を纏った拳で地面を砕いた。
「あーあ、聞こえなかった? 帰れって言ってるんだよ。……僕たちはもう、誰かの『完成品』になるつもりはないんだ」
圧倒的な気圧に押され、男たちは煙のように姿を消した。
静寂が戻った裏庭で、ノアは少し肩で息をしながら、自分の手を見つめていた。その指先は微かに震えていたけれど、瞳はかつてないほど澄んでいた。
「……結衣。僕、守れたかな」
「ええ……。凄かったわ、ノア」
私は彼を抱きしめた。その温もりは、魔法で作られた「核」などではなく、確かにここで生きている一人の少年のものだった。
刺客が去り際に残した言葉が、耳の奥でリフレインする。
『お前たちはまだ、本当の「完成形」を知らない』
叔父ジョンが彼らに託した「未完成」という名の希望。それが今、より大きな世界の謎へと私たちを誘おうとしていた。




