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第四十六話 祭りの後の静寂、人形店の朝


 王都を覆っていた銀の糸が消え、数日が過ぎた。

 かつて王宮魔導兵団に踏み荒らされた「ジョンの人形店」には、再び静かな朝の光が差し込んでいる。砕けた窓硝子は新しいものに替えられ、壁のひびは漆喰で埋め戻された。まだ補修途中の場所もあるけれど、叔父が丹精込めて建てたこの店は、それでも確かに息をしていた。

「……いたた」

 私はベッドの中で、こわばった指先をゆっくりと曲げ伸ばした。神の力を使い果たし、ただの「人間」に戻った私の身体は、驚くほど重い。以前なら魔法で一瞬にして治っていた指のタコも、今は赤く腫れて、鈍い痛みを訴えている。けれど、この痛みこそが、私が自分の人生を自分の手に取り戻した証のように思えて、少しだけ誇らしかった。

 一階に下りると、香ばしいパンの匂いと、何やら騒がしい議論の音が聞こえてきた。石段を一段降りるたびに、その声が少しずつ大きくなっていく。昨日まで補修で使っていた工具の音じゃない。もっと生活的で、もっと日常的な音だ。

「アル、そこは僕がやるって。主様は今日、まだ休んでなきゃいけないんだから」

「ウルのやり方では効率が悪すぎます。主様が起きてくる前に、この在庫目録を完成させ、店の修復スケジュールを組むのが最優先です」

 カウンターを覗くと、ウルとアルが机を囲んでいた。ウルは手描きの図面らしきものを、アルは整然と数字の並んだ帳簿を広げている。二人の間には、お互いの案を書き直した痕跡が、消しカスとともに積み重なっていた。どれだけ早起きして作業していたのだろう。カウンターの上の蝋燭が、だいぶ短くなっていた。

 驚いたのは、彼らが私に「どうすればいい?」と聞きに来なかったことだ。これまでの彼らなら、私の顔色を伺い、私のために動くことだけが全てだった。でも今の彼らは、自分たちで店をどう立て直すべきか、真剣に、対等な「店員」として話し合っている。

「おはよう、二人とも。朝から熱心ね」

 私が声をかけると、二人は弾かれたようにこちらを向いた。

「主様! あ、おはようございます。……まだ寝ててよかったのに」

 ウルが駆け寄ってくる。以前のような、主人の関心を引こうとする子犬のような甘えではない。今の彼の瞳には、「体調を気遣う一人の男の子」としての、落ち着いた優しさが宿っていた。蜂蜜色の髪がふわりと揺れる。あの子がこんなに凛々しくなるとは、召喚されたばかりの私には想像もできなかった。

「おはようございます、主様。朝食の準備は整っています。あとの雑務は、僕とウルで進めておきますから、ゆっくり召し上がってください」

 アルもまた、淡々と、けれど確かな信頼を込めて私に椅子を引いた。眼鏡のブリッジを押し上げる指が、かつての「監視」ではなく、「任せてほしい」という意志を示していた。

 そこに、二階から眠そうな目を擦りながらノアが下りてくる。

「……うるさい。朝から二人でカリカリしすぎ。……ねえ、結衣。僕、お腹すいた」

 ノアはまだ不器用で、甘え方も少し棘がある。けれど、以前のような「痛みの器」としての暗い影はもうない。彼は自分から、私の隣の席に座った。赤い瞳が、テーブルの上の料理を品定めするように見回す。それがただの食事への期待だと、今の私にはちゃんとわかった。

 神様だった時の「完璧な世界」には、こんなに温かな朝はなかった。あの頃の私には、窓から差し込む光の色が、パンの焦げた匂いが、言い合いをしながらも同じ方向を見ている二人の声が、届いていなかった。

 不完全な私たちは、これから一針ずつ、新しい日常を縫い合わせていくのだ。銀の針を作った叔父ジョンは、こういう朝が来ることを知っていたのだろうか。きっと知っていた。用意周到なあの人が、知らないはずがない。

「……ええ。みんなで食べましょう。それから、これからの『ジョンの人形店』の話をしましょうか」

 裁縫箱の中の銀の針が、朝日に照らされて小さく光った。それは、終わりの始まりを告げる輝きだった。


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