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第四十一話 動き出した「鉄の聖女」


 王宮の最深部、かつてレオネルが禁書を手にした地下書庫のさらに下。そこには、魔導科学の粋を集めた巨大な「繭」が鎮座していた。壁一面を埋め尽くす術式の彫刻、天井から垂れ下がる無数の魔力導線、そして床に広がる記録用の水晶盤。人が持つ「感情」などというものを一切必要としない、純粋な機能美だけで設計されたその空間は、叔父ジョンの愛した人形店の暖かさとは、正反対の場所だった。

「……出力安定。結衣から抽出した琥珀色の魔力、定着率九十八パーセントを確認」

 白衣を着た魔導技師たちの報告を受け、玉座に座る国王が冷酷に口角を上げた。彼らにとって、聖針職人はもはや「人間」である必要はなかった。必要なのは、世界を都合よく縫い直し、国の繁栄を固定する「機能」だけだ。感情があるから迷う。迷うから思い通りにならない。ならば感情を取り除けば良い。それだけのことだ、と国王は考えていた。

「起動せよ。不完全なユイに代わり、真に完璧な救世主を」

 ドクン、と。

 繭が脈打ち、中から這い出してきたのは、鈍い銀色に輝く金属の肌を持つ少女だった。顔立ちは結衣に生き写し。けれどその瞳には光がなく、背中からは数条の魔力導線が、巨大な糸巻きのように伸びている。自律型魔法兵器、「鉄の聖女アイアン・ドール」。その名を授けたのは国王だ。彼にとっては「兵器」でしかないその存在が、どれだけの「重さ」を背負わされているかなど、知りもしないのだろう。

 人形が虚空に向けて右手をかざすと、指先から鋼のように硬い光の糸が放たれた。それは王宮の壁を貫き、外の世界へと伸びていく。一本、二本、百本、千本。感情を持たない者が放つ糸は、止まる理由を知らない。

 技師の一人が、怯えた顔で計測値を読み上げた。「出力が設計値の三倍を超えています。このままでは王都全域が……」しかし国王は手を振って制した。「問題ない。余分な部分は後から整理すればよい。まず、この国に反旗を翻す者たちを縫い止めることが先だ」。その言葉に、何人かの技師が目を伏せた。しかし誰も、声を上げなかった。

「――修復オペレーション、開始」

 無機質な声と共に、王都の街並みに異変が起きた。道を歩いていた市民の足が、突如地面から生えた光の糸によって石畳に縫い付けられる。荷馬車は車輪を道路に固定され、飛んでいた鳥は空中に縫い留められた。笑い声も、怒声も、子どもの泣き声も、全部が糸に絡め取られ、静止していく。

「な、なんだこれは!? 動けないぞ!」

「助けてくれ! 身体が勝手に石壁と繋がっていく……!」

 それは結衣がかつて無意識に放った「拒絶」の力を、より効率的に、より無慈悲に増幅させたものだった。鉄の聖女にとって、世界は「正しく配置されるべきパーツ」に過ぎない。人々の叫びも、生活の音も、すべては「ノイズ」として沈黙させられていく。完璧な静寂。誰も泣かず、誰も笑わず、誰も怒らない。それが、国王の描く「理想の世界」だった。

 ジョンの人形店。ようやく意識がはっきりとしてきた私は、窓の外を見て息を呑んだ。空が、銀色の糸で網の目のように覆われている。魔力が回復しきっていない私には、あんな強大な力はない。けれど、あの空を舞う糸が奏でる「悲鳴」のような振動が、私の鼓動と嫌なほど共鳴していた。同じ根を持つ魔力だから。私の「写し身」が、私の代わりにあれを放っているから。

「……私の、魔力……?」

 自分の指先を見つめる。白く透き通った皮膚の下に、かすかに脈打つ橙色の光がある。神の全能は失われた。けれど、この体の奥に刻まれたウルとアルと私の共有ステッチは、まだ温かく生きている。それが今、あの銀色の糸に怯えるように震えていた。

「主様、外の様子が変です。街中の時間が、無理やり止められているみたいだ……」

 ウルが窓の外を警戒しながら、私の前に立った。彼の髪はまだ乱れているが、その瞳には私を守るという決意が、以前よりもずっと澄んだ形で宿っている。記憶の一部を失っても、彼の覚悟は消えていなかった。むしろ、執着という名の重さが取れた分、その光は純粋になっていた。

「あれは……王宮の秘密兵器だな。まさか、結衣殿の代わりを作るとは」

 レオネルが剣を手に取り、苦々しく吐き捨てた。地下書庫で禁書を読んだ時から、こういう展開を恐れていた。国にとって聖針職人は「資源」だ。一つが使い物にならなくなれば、別のものを用意する。その冷酷さを、彼は誰よりも近くで見てきた。

 私は震える手で、叔父が遺してくれた古い裁縫箱を抱きしめた。蓋の木目を指でなぞる。叔父がこれを握りしめた時間の重さが、掌から伝わってくる気がした。叔父は私をこの世界に呼んで、ブラック工房で折れかけた心を修復しようとした。その叔父が一番恐れていた事態が、今、目の前で起きている。だからこそ、私が行かなければならない。

 私の模倣にせものが、世界を壊してしまう前に。不完全な人間としての、最初の戦いが幕を開けた。


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