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第四十二話 ジョンの人形店、最後の出陣


 店の外では、銀色の「鉄の聖女」が放つ光の糸が、無慈悲に街の息吹を縫い止めている。かつて私がこの手で救ったはずの王都が、今度は私の模倣品によって、音のない墓場へと変えられようとしていた。

 私は作業台の上に、叔父の遺した裁縫箱を広げた。使い古されたピンク色のピンクッション。色とりどりの手縫い糸。ブラック工房で三年間、指先を血豆にしながら使い続けた道具たち。神の力は失われた。でも、これだけは残っている。これだけが、私に残された本当の「力」だ。

「……準備はいい、結衣?」

 声をかけてきたのはノアだった。彼は私の背後に立ち、その赤い瞳で外の惨状を冷ややかに、けれど鋭く見据えている。第八章での儀式以来、彼は私の「痛み」を半分背負ったまま、こうして傍にいてくれている。トゲのある言い方だが、今の私にはそのトゲがむしろ心強かった。痛みを知っている者の言葉は、ちゃんと体に届く。

「ええ。……行かなきゃ。私があの場所で学んだ技術を、あんな風に誰かを縛るために使わせたくない」

 私は、銀の針を一本、裁縫箱から取り出した。神の魔力はもう宿っていない。けれど、この針には、私がこれまで縫い合わせてきた人々の温もりが染み込んでいる。ウルたちが代償を払って返してくれた色とりどりの想いが、針の芯に絡みついている。それで十分だ。

「主様。僕が前を守ります。あの光の糸、僕の黄金の炎で焼き切って、道を作りますから」

 ウルが、以前よりも逞しくなった背中で私の前に立った。その瞳にはもう、私を閉じ込めようとする暗い影はない。ただ、真っ直ぐに明日を見据える強さだけがある。かつて私の膝の上で甘えていた時の愛らしさと、今の凛々しさが、同じ子の中に共存していた。それが嬉しくて、少し寂しくて、でも何より誇らしかった。守護者として生まれた子が、自分の意志で守ることを選んでいる。その違いが、全然違う輝きを生んでいた。

「転送の術式は僕が維持します。王宮の結界を逆手に取って、最短距離で鉄の聖女の懐まで潜り込ませる。……主様、僕を信じてください」

 アルが眼鏡のブリッジを押し上げ、床に複雑な魔方陣を描き出す。その緻密な計算に基づいた術式は、かつて私を閉じ込めるための檻だった。けれど今は、私を戦場へと運ぶ翼になろうとしている。彼の手が術式を刻むたびに、私のことを一番長く、一番近くで見てきた眼差しの温度が、その線に重なって見えた。

「近衛騎士団の誇りにかけて、背後は私に任せていただきたい。……結衣殿、君はただ前だけを見て、君の針を振るうがいい」

 レオネルが重厚な剣を抜き放ち、扉の前に陣取った。国を敵に回し、反逆者の汚名を被ったはずの彼の顔には、王宮に仕えていた頃よりもずっと清々しい光が宿っていた。自分の正義のために剣を握る人間は、こんなにも美しいのか、と私は思った。彼がかつて「逃げろ」と言った言葉の重みも、今ならわかる。彼もまた、自分の在り方を問い続けていたのだ。

「アイツが出てきたら、まず足首の術式ラインを切る。そこが一番拠りが粗い」

 ノアが静かに、しかし精確に戦術を告げた。鉄の聖女の弱点を、彼はすでに見抜いていた。私の痛みを背負った存在は、私が作ったものの「粗さ」も、ちゃんと知っている。

「あはは、みんな熱いねー。僕は隙を見て、あのデク人形の関節でも切り刻んであげるよ」

 ルカが天井から逆さまにぶら下がり、楽しげにハサミを鳴らした。欠けた刃が、ランプの光を受けてキラリと光る。どこか無責任なようで、でも彼がいなければここまで来られなかった。私の「未練」を具現化した存在が、今、私を笑わせている。「あとさ、結衣。あいつの術式の基盤、左の鎖骨の下に集中してるから。そこを切ったら魔力の供給が半分になる。ついでに教えておくね」。作戦に興味なさそうな顔をしながら、ちゃんと分析している。それがルカらしかった。

 陽のウル。静のアル。正義のレオネル。悪戯なルカ。そして痛みのノア。かつては私を奪い合い、あるいは壊そうとした五人の男たちが、今、一つの目的のために背中を合わせている。

「……みんな、ありがとう」

 私は深く息を吸い込み、裁縫箱を固く握りしめた。不完全な、ただの人間としての再出発。でも、一人ではない。五人の守護者がいる。それで十分だ。いや、それ以上だ。

「――出陣よ。私たちの家を、私たちの手に取り戻すために」

 その瞬間、外で縫い止められていた鳥が一羽だけ、糸の合間から鳴き声を上げた。誰かが命を吹き込んだわけではない。ただ、生きているから鳴いた。その音が、出発の号砲になった。

 アルの魔方陣が眩い蒼光を放ち、私たちは崩壊した人形店から、銀の糸が渦巻く戦場へと飛び込んだ。最後に私の目に映ったのは、カウンターの上に置かれた叔父の写真の、穏やかな笑顔だった。おじさん、見ていてね。


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