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第三十五話 崩壊する平穏、あるいは「第三の勢力」


 ――ガシャァァァン!!

 精神世界から意識が引き戻された瞬間、鼓膜を震わせたのは、硝子が粉々に砕け散る狂暴な音だった。

「……っ、主様!」

 ウルが真っ先に目を開け、椅子に座ったまま動かない結衣を庇うように抱きしめる。その腕に込めた力は、これまでの「逃がさない」という独占ではなく、「守る」という一点だった。たった今、精神世界で見たものが、自分たちの腕の在り方を変えていた。腕の中の体温が、震えるほど尊かった。精神世界の「痛い」という声が、まだ耳に残っている。

 店の正面、アルが幾重にも塗り固めたはずの結界が、巨大な「魔導杭」によって無残に貫かれていた。そこから溢れ出すのは、夜の闇よりも冷たい、鉄の匂いを纏った兵士たちの足音。整然とした歩調が、石畳を踏み鳴らしながら近づいてくる。

「王宮魔導兵団……! 陛下は、本当に彼女を連れて行くつもりか!」

 レオネルが剣を抜き、砕けた扉の前に立つ。その背中には、先ほどの精神世界で見た「黄金の糸」への悔恨が、鋭い殺気となって宿っていた。地下書庫から這い出した直後のこの男が、誰よりも早く結衣の前に立っているのは、偶然ではなかった。

「聖針職人・ユイを確保せよ。抵抗する者は反逆者として処分して構わん」

 兵士たちの間を割り、冷酷な宣告を下したのは、レオネルの副官だった男だ。彼は無機質な琥珀色の瞳のまま針を動かす結衣を指差し、言葉を継ぐ。

「それはもはや人間ではない。この国を、ひいては世界を維持するための『永久機関』だ。人形店ごときに置いておくには、あまりに過ぎた力だと思わないか?」

「……人形……だと?」

 アルの眼鏡の奥、瞳が蒼い炎を宿したように燃え上がった。

「主様をそう呼ぶな。……彼女を人形に変えてしまったのは、僕たちだ。だが、それを都合よく利用させはしない!」

 アルの指先から放たれた絶対零度の氷が、床を伝って兵士たちの足を凍りつかせる。同時に、ウルが黄金の獣へと姿を変え、その咆哮で店内の空気を震わせた。精神世界で見た罪悪感が、怒りへと変わっている。自分たちが彼女を傷つけた。しかしそれと同じ口で、彼女を「部品」と呼ぶ者には、一寸も譲らない。

「あはは! 面白くなってきたね。国を挙げての『お姫様奪還戦』ってわけ?」

 ルカが天井の梁に飛び乗り、ハサミをシャキシャキと鳴らす。

「ねえ、おじさんもクマ公たちも。今の結衣は、君たちのことも国のことも見てない。……でも、彼女の『心』を縛ってるあの黄金の糸を、今ここで僕たちが『盾』に変えれば、少しは勝機があるんじゃない?」

 三者の間に、一瞬の沈黙が流れた。兵士たちが再び詠唱を始める声が、外から響いてくる。時間がない。どんなに傷つけ合ってきた者たちでも、今だけは同じ方向を向かなければならない。

「……ルカ、貴様。何を言っている」

 レオネルが背後を振り返る。

「僕が彼女の魔力を逆流させる。君たちは、彼女が放つ『拒絶』の力を、外の敵にだけぶつけるように誘導してよ。……愛してるんでしょ? だったら、彼女の代わりに泥を被ってあげなよ」

 レオネル、ウル、アル。決して相容れなかった三つの影が、結衣を背にして円陣を組む。自分たちが彼女を縛っていた「黄金の糸」を、今度は彼女を守るための「絆」へと編み変えるために。

 その時。椅子に座り、機械的に針を動かしていた結衣が、ゆっくりと顔を上げた。

 その琥珀色の瞳には、依然として何の感情も映っていない。けれど、彼女の指先にある銀の針が、今までとは違う、禍々しくも神々しい光を放ち始めた。

「……綻びが、多すぎます」

 結衣の低い声と共に、崩壊した人形店から、無数の「光の糸」が全方位へと射出された。国、騎士、人形、小悪魔。すべてを巻き込む、最大規模の「修復」が始まる。


(第七章 完)


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