第三十三話 双子の焦燥と、ルカの「遊びの提案」
店を包囲する王宮魔導兵たちの詠唱が、結界越しに低い地鳴りのように響いている。
かつて「聖針職人」を救世主と崇めた国は、今や彼女を意志を持たぬ「国の心臓」として幽閉しようとしていた。街の人々は固く閉ざされた雨戸の隙間から、ジョンの人形店を遠巻きに見守っている。誰も近づかない。誰も助けに来ない。石畳に降りる雨の音だけが、この静かな包囲戦の伴奏になっていた。
「くそっ、これじゃあ前と変わらないじゃないか! 主様をまた道具にするつもりか!」
詠唱の声が輪を絞るように大きくなっていく。壁の染みが、まるで滲んで広がっていくようだ。店内には、結衣が繕い途中のぬいぐるみがいくつも並んでいる。誰も抱きしめにこない子たちが、静かにウルとアルの争いを見ている。
ウルが苛立ちを隠せず、鋭い爪で窓枠を削り取った。彼の琥珀色の瞳は、かつての愛らしいテディベアの面影を失い、追い詰められた獣の光を宿している。床に落ちた木屑が、魔導兵の詠唱に震えてかすかに揺れた。
「……僕たちの結界が、主様の魔力に弾かれている。今の彼女にとって、僕たちは『修復すべき綻び』の一つに過ぎないんだ」
アルは冷静に、けれど絶望に震える指先で眼鏡のブリッジを押し上げた。結衣が放つ琥珀色のプレッシャーは、自分たちが編み上げたどんな防御術式よりも強固で、そして何より「孤独」だった。完璧すぎて、何も近づけない。誰のことも必要としていない。あれほど「重い愛」を持っていた彼女が、今は自分たちを「ノイズ」として処理している。その事実を認識するたびに、アルの胸の奥で何かが軋んだ。
「ねえ、お通夜は終わり? 湿っぽすぎて僕のハサミが錆びちゃうよ」
カウンターの上に座り、足をぶらつかせていたルカが、退屈そうにあくびを漏らした。
「ルカ……! お前のせいだぞ、主様を刺激してこんな……!」
「おっと、逆恨みはやめてよね。僕はただ『きっかけ』をあげただけ。君たちが彼女の心を黄金の糸でぐるぐる巻きにして窒息させてたのが原因でしょ?」
ルカはニシシと笑うと、懐から一本の古びた裁縫箱を取り出した。それは、結衣が日本から持ってきた数少ない遺品の一つ。中には使い古されたピンク色のピンクッションや、色とりどりの手縫い糸が入っている。結衣がブラック工房で三年間、指先を血豆にしながら使い続けた道具たちだ。箱の端は擦り切れ、蓋には小さな傷がたくさんついている。大事にされてきた傷の跡だ。どんな夜にも、これだけは手放さなかった。
「これ、結衣が一番大切にしてたやつ。……これに僕の魔力を通して、彼女の『琥珀色の領域』に直接繋いでみる。名付けて『思い出の強制メンテナンス』。どう、乗る?」
「……正気か。主様の精神に直接干渉すれば、彼女の魂が砕ける可能性がある」
アルの警告に、ルカは肩をすくめた。
「砕けるのが先か、国に『部品』として回収されるのが先か。……ほら、外の兵士たち、そろそろ本気で結界を壊しに来るよ?」
外から、巨大な破城槌のような魔力の塊が結界を叩く音が響いた。棚のぬいぐるみたちが揺れ、ランプの炎が大きく揺らめく。壁にひびが入る音がした。時間がない。
ウルとアルは顔を見合わせる。自分たちの愛が彼女を縛っていたという自覚は、今もじりじりと胸を焼いている。それでも、彼女がただの石になって消えていくことだけは、耐え難い。
「……わかった。やろう」
アルが重い口を開いた。
「ただし、主様に少しでも負荷がかかれば、僕がお前を氷漬けにする」
ルカが肩越しに結衣を一瞥する。彼女は今も、あの一定のリズムで針を動かしている。カチ、リ。カチ、リ。喧嘩の音も詠唱の音も、彼女の耳には届いていない。あるいは届いているが、「修復の優先度が低い」と判断されているだけかもしれない。それが、ルカには何より哀しかった。
「了解、了解。怖~い。じゃあ、楽しい精神旅行を始めようか」
ルカがハサミを裁縫箱の蓋に突き立てる。眩い光と共に、人形店の風景が歪み、溶けていく。男たちは、琥珀色の瞳の奥に広がる、結衣の「本当の心」へと足を踏み入れた。




