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第三十一話 神の沈黙と、路地裏の密談


 石畳を叩く雨音が、重く響いていた。

 王都の華やかな大通りから一本入った薄暗い路地裏。石造りの壁は雨水を吸い、黒く湿っている。そこには、およそ不釣り合いな三つの影があった。銀の甲冑を雨に濡らし、壁にもたれかかる騎士レオネル。ぬかるんだ地面に膝をつき、絶望に震える双子のウルとアル。そして、建物の軒先に軽々と飛び乗り、退屈そうにハサミを弄んでいる小悪魔ルカ。

 誰も、口を開かなかった。しばらくの間、雨の音だけが三者の沈黙を埋めていた。壁の向こう、通りの先にジョンの人形店がある。今ごろ結衣は一人、あの暗い部屋で針を動かしているのだろう。感情もなく、声もなく、ただ機械のように。その光景が、三者の頭に同じように浮かんでいた。叩き出された手の感覚が、まだ残っている。

 ウルが何度目かの深呼吸をした。泥に膝をつき、甲冑もなく、あるいは甲冑はあっても何の盾にもならない状態で、それぞれが路地の石壁に押し付けられている。あれほど力を誇っていた者たちが、たった一人の少女の「拒絶」の前で、これほど無力だった。

「……信じられない。主様が、あんな冷たい瞳で僕たちを拒絶するなんて」

 ウルの絞り出すような声が、雨に溶けて消える。彼の蜂蜜色の髪は濡れてへたり、いつもの輝きがない。指先が、細かく震えていた。あの一閃で主様に叩き出されたことを、まだ信じたくないのだろう。甲冑の重さに折れるように、肩が落ちていた。

 アルは無言で、自分の震える指先を見つめていた。結衣が放った「概念の鎖」の感触が、まだ肌に残っている。神の領域に達した彼女の魔力は、自分たちが教えた何倍も純粋で、そして残酷だった。眼鏡の奥の瞳が、初めて「答えのない問い」の前で揺れている。こんな顔をするアルを、ウルは見たことがなかった。完璧な人間でいようとするアルが、完璧に傷ついていた。

「当たり前だ。君たちが彼女を『人形』として閉じ込めようとしたからだ」

 レオネルが、憎しみを込めて双子を睨みつける。

「彼女は世界を救った英雄だぞ。それを、記憶を奪い、自分たちだけの箱庭に飼い殺そうとするなど……騎士道にもとる。いや、人間として許されることではない」

「ハッ、人間、ね。おじさんのその正論が、今の結衣に届いた? 届かなかったよね?」

 ルカが軒先からひらりと飛び降り、レオネルの鼻先でハサミをチリンと鳴らした。

「今の結衣は、世界という巨大な布を繕うための『装置』になりかけてる。感情なんていうノイズは、彼女の針を狂わせるだけ。だから彼女は、自分を揺さぶる君たち全員を、まとめて縫い止めて捨てたんだよ。合理的だよねー。怒りも悲しみも愛情も、彼女にとってはぜんぶ解消すべき『綻び』なんだ」

「貴様……!」

 レオネルが剣の柄に手をかけるが、ルカはそれを手で制した。

「喧嘩してる場合? このままじゃ、結衣は本当にただの『石』になっちゃうよ。琥珀色の綺麗な、中身のない飾り石にさ。……あーあ、そうなったら僕、君たちを切る楽しみもなくなっちゃうな」

 ルカの言葉に、路地裏に沈黙が降りる。雨が強くなっていた。石畳の上に水たまりが生まれ、三者の影を歪めて映している。憎み合っていた者たちが、初めて同じ方向を向いている。その奇妙な現実が、ひどく重く感じられた。

 双子の独占欲、騎士の正義、そして小悪魔の好奇心。目的は違えど、見据える先はただ一つ。あの人形店の奥で、一人静かに針を動かし続ける少女の心。

「……どうすればいい。あの方を、人間に連れ戻すには」

 レオネルが屈辱に耐えるように問いかけた。生涯で最も苦い問いかけだったかもしれない。誰かに答えを乞うことを、この男は得意としていない。それでも今夜は、自分一人では届かないと知っていた。

「簡単だよ。彼女の『核』に残ってる、君たちへの想いを無理やり引き摺り出せばいい。そのためには、僕のハサミで結界を切り刻むだけじゃ足りない。……彼女が日本から持ってきた『あの道具』。あれを使って、彼女の精神世界に直接潜り込むんだ」

 ルカが八重歯を覗かせて笑う。

「壊さなきゃ、直せないでしょ? 聖針職人さんなら、よく知ってるはずだけど」

 ルカの挑発的な言葉に、男たちは顔を見合わせた。それは、愛という名の、最も危険な侵略の始まりだった。


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