第二十九話 レオネルの強襲、あるいは「冷たい再会」
ドォォン、と腹に響くような衝撃音が店内に轟いた。
ルカが切り刻んだ結界の綻びを突き、正面の重厚な扉が、外側からの凄まじい圧力で弾け飛んだのだ。蝶番が千切れる金属音。木材が裂ける乾いた破裂音。叔父が大切にしていた、あの重たい樫の木の扉が、まるで紙のように内側へ折れ込む。長い時間をかけてじっくりと磨かれてきたその扉が、一瞬で瓦礫になった。
「……結衣殿ッ!!」
舞い上がる埃と光の向こう側から、銀の甲冑を軋ませて一人の男が踏み込んでくる。近衛騎士団長、レオネル。かつての威風堂々とした姿は影を潜め、その頬は痩け、目の下には深い隈がある。甲冑の胸元には、修繕の跡が生々しく残っている。いくつもの戦場を潜り抜けてきた傷跡だ。瞳には狂気にも似た執念が宿っていた。どれほどの夜を、この男は眠れずに過ごしたのだろうか。その問いの答えを、今の私は知らなかった。
「レオネル……! 貴様、死に損ないが。どの面下げてここへ来た」
アルが殺意も露わに、指先から絶対零度の魔力を収束させる。だが、レオネルはそれを避けることすらせず、真っ直ぐに私――「琥珀色の瞳の人形」を見つめた。避ける必要など感じていないのだ。この人の目は、私だけを見ている。それだけは、今の私にもわかった。
「結衣殿……無事だったのか。このクマ公どもに、何をされた……?」
私は、ルカに手を引かれたまま、立ち止まっていた。目の前に立つ、銀色の人。その人が叫んでいる名前が、自分のことであることは理解できる。けれど、彼の瞳に溜まっている熱い涙の意味が、今の私には「色彩」としてしか認識できない。感情の名前が、わからない。それが悲しいのかどうかも、わからない。
「……あなたは、どなたですか?」
私の唇から零れたのは、凍てつくような無垢な問いだった。
レオネルの動きが、一瞬で凍りついた。彼は信じられないものを見るように目を見開き、その場に膝をつきそうになる。甲冑の隙間から、かすかな震えが伝わってきた。大きな男が、子どものように動けなくなっている。
「……嘘だ。私の名も、あの夜の約束も……すべて忘れたというのか? 君がアイギスを救い、世界を縫い直したその代償が、これなのか……! こんなことのために、君は自分を削ったのか……!」
「あはは! 見てよこの顔。最高に絶望してるね、おじさん」
ルカが私の肩に顎を乗せ、レオネルを嘲笑う。その声には、笑いながらも、どこか痛みを気遣うような素振りが混じっていた。揶揄しながら、見守っている。不思議な距離の取り方だと思った。
「今の結衣は、君のことなんて一ミリも覚えてないよ。君がどれだけ愛を叫んでも、今の彼女には『ノイズ』でしかないんだ。……でも、ノイズが届いてるってことは、まだ完全に消えてないってことだよね。音が聞こえるってことは、耳がまだあるってこと」
「黙れ、端切れの妖精め……!」
レオネルが剣を抜き放ち、その切っ先を私と、私を囲む男たちに向けた。手が震えている。怒りではなく、悲しみで。握る力が安定しない。それを彼自身も知っているようで、唇を噛みながら剣を持ち直した。
「結衣殿、例え君が私を忘れていても、私は君をこんな場所に置いてはおけない。君を……人間に戻す。例えそれが、君の意思に反することであってもだ!」
「……人間に、戻す?」
私はその言葉を反芻した。人間に戻るということは、この心地よい黄金の霧を捨て、またあの痛くて重い「綻び」を縫い続ける日々に戻るということなのだろうか。涙が出るほど悲しいことを、また感じなければならないということなのだろうか。
「させない。主様は、ここで僕たちと永遠を過ごすんだ!」
ウルが咆哮し、店内のぬいぐるみが一斉に異形の影を纏ってレオネルに襲いかかる。レオネルは剣を振るって影を裂くが、一体倒すごとに二体が湧いてくる。まるで夜が明けることなく続く戦のようだ。
騎士の誇りと、人形の執着。そして、それを楽しそうに切り裂く小悪魔。三つの「愛」が激突し、かつての平穏な人形店は、色彩と魔力が狂い咲く戦場へと変わった。私は、その中心に、ただ立っていた。全員が私のために戦っている。全員が私を見ている。なのに私は、自分が何者なのかを、誰に教えてもらえばいいのかを、知らなかった。




