280話 ブラッドアイスの正体と真相
歩くこと二時間。
特に他国の人々にも正体がバレることなくブラッドアイスの外壁付近へとやって来たユーラシア。
外壁から三キロほどは更地となっており、人の気配が全くしない。そのためフードをとり、目立つ赤髪を露わにする。
「大丈夫?」
「ああ」
「けど、さっきはどう見ても大丈夫そうじゃなかったよね?」
「とにかく、オレに任せろ」
そう言って壁に向かって歩き出そうとするユーラシアの前にシエルが立ち塞がる。眉間に皺を寄せ、軽い睨みを利かせる。
「さっきも壁に触るなとか言ってだけど、私も関係あるんだけど?」
「だからだ。お前を苦しませたくねえ」
「あのさ、それは私も同じだとは思わないわけ?」
シエルから向けられる悲しみの視線は、大切な存在であるユーラシアが全て一人で背負おうとする辛さを想像してのもの。
ユーラシアがシエルを大事に想うのと同じくらい、シエルもユーラシアのことが大事なのだ。
人などには想像もつかないほど長き時を生き、転生先でも新たな生を受けた竜王にとって、邪神による記憶改ざんが行われてからの数年は微々たるもの。それでも守ることばかりに固執して来た意志の強さは、守られることへの認識を忘れさせてしまっていた。
「確かにユグドラシルは誰よりも強いよ。だけど、私たちにだって、守る権利はあるんだよ」
「・・・・・そうだな。悪い」
思わずカッとなって思っていることを口に出してしまったが、どこか悲しさを宿したユーラシアの緩んだ表情を見て、込み上げてくる思いの収まりを感じる。
「実は、さっき壁に触れた瞬間、感じたことのないほどのドス黒い憎悪の感情を感じたんだ・・・・・あれは多分、オレたちに向けられたものだと思う」
「それって・・・・・」
「今シエルが考えてる通りだ」
まだ一度も触れたことのない愛しの我が子が、知らぬ間に自分たちへととてつもない憎悪を抱いていると知れば、普通ならば驚愕と同時に心が締め付けられ、到底受け入れようとはしないだろう。
現にシエルも絶望に近い感情を抱き、驚愕のあまり、体を小刻みに震わすのみで言葉が出ない。
「——————無理ないわよ。私たちは、あの子に何もしてあげられていない。だから、真正面から向き合わなくちゃ」
「ああ」
ユーラシアたちは、手を伸ばせば容易に届く位置まで壁に近づく。
「本当に触る気か?」
「これは私たち家族の問題よ。怖気付いてなんていられない」
ユーラシアは、こういったいざという時に見せるシエルの生物としての強い部分に心底惹かれている。当然他の様々な要素も愛おしいが、懐かしさ故に思わず口元が緩み、笑みを浮かべてしまう。
しかしシエルはそのことに気が付かず、壁へと片方の掌を添えた。
「どうかしましたか?」
しかしガルドにだけは見られていたらしく、不思議そうにユーラシアを見つめている。
だが、ガルドの疑問への返答をする暇もなく、即座にシエルが苦しみ悶え出す。
「シエル!」
反応がない。
「うぅ・・・・・あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」
「大丈夫だ、シエル。落ち着け」
ユーラシアはシエルを抱きしめ、頭と背中を交互に優しく撫でる。
数分後、苦しみから解放されて少しの間気絶していたシエルが目を覚ます。
「——————私・・・・・ごめん、ユグドラシル。偉そうなこと言っておいて、カッコ悪いね」
「気にすんな。あんなの、まともな神経じゃ受けきれない。今はゆっくり呼吸を落ち着かせろ」
「ありがとう」
「だけどあの憎悪は、オレとシエルしか受け止めてやれない。後はオレに任せてくれるな?」
「悔しいよ・・・・・悔しいけど、任せてもいいかな?」
「ああ、行ってくる」
このブラッドアイスと呼ばれる紅き壁に宿る炎と覆う氷は、ユグドラシルとシエルの子供の憎悪が映し出されているだけであり、それ自体に二人の子供の意識はない。
だからここでいくら憎悪を受け入れようとも、子供本人に一切の影響はない。
それでも、向き合わなくちゃいけない。
今はこれしか、我が子に繋がる手がかりがないのだから。
「ふぅ」
一呼吸おくと、ユーラシアは壁へと掌を添える。
そうして意識世界へと引きこまれていく。
以前同様漆黒の景色に、内へと直接流れ込んでくるとてつもなく濃い憎悪の感情。
しかし前回と違う点は、外部の肉体への意識が全くないという点。
前回は、脳内へと憎悪の感情が流れ込む際には痛みを感じていた。しかし今回は感じない。いや、感じているけど、意思がないため気づいていないだけかも知れない。今、自分が外でどのような状態なのかは分からない。
すると次第に真っ黒な景色の中にぼんやりと歪みが生じる。その歪みは徐々に形を成していき、それが何かの映像のようなものであることが分かって来た。
「は?」
ユーラシアが目にしたのは、全身黒いモヤがかけられた何者かとともにいるアートの姿。そこにはアートだけでなく、オーレルやドラルド、トロプタなどの十大魔人たちの姿もあった。
「あいつが、オレたちの子供なのか・・・・・?」
それは黒いモヤがかかり、笑っているかも、泣いているかも、怒っているかも分からない。
ただ、周囲の反応から、笑っているだろうことは想像がついた。
その後も映像は一つ一つが短いながらも周囲に散らばる数は次第に増えていく。散らばる多くの映像は、その全てが我が子に関係するもの。言うなれば、我が子の歩んできた道。
それは、言葉を失うほどに過酷なモノだった。
長き時を孤独に過ごし、人からの迫害を受け、命すら危うい経験を何度も繰り返していた。
だが、アートたち魔族と出会い、居場所ができた。
それなのに、自らアートたちの下を去り、再び孤独の世界に。
そうして行き着いた先、そこは・・・・・我が子の始まりの地であり、ユグドラシルの誕生の地でもある場所。
そこは、竜王が暴れた影響により、既に人の住める地ではなくなっていた。
地形は歪み、平和だったあの頃の半分の大きさすらない。その上、魔物は大量発生する有様。
しかし、発生した魔物はその多くが平和な日々を形作っている姿があった。
我が子は、日々噴火を繰り返す山々から魔物たちを守るためかその地を氷で覆う。
「まさか——————」
映像は移り変わり、いつしかその地には「冒険者」と呼ばれる人間の姿も見られるようになる。だが、人間も魔物も、その地に存在する魔物は我が子の手によりあまりにも残酷な死を迎える。
まるで内なる憎しみの感情を発散させるかのように。そして表情は見えないが、声を荒げて笑みを浮かべている。
次第に映像は一つずつ消えていき、最後に残った一つ。
そこには、海の上にポツリと浮かび、天を仰ぎながら声を上げて笑い、時々発せられるノイズが、涙を流していることを思わせる。
黒いモヤを起点として周囲に広がっている真っ赤な円。
その円の隣にある氷の大陸とぶつかった時点で、黒いモヤの背後に漆黒の穴がじんわりと広がっていく。
モヤは終始笑い声を上げながら漆黒の穴へと落ちて行くのだった。
「——————ホワイトプリムス大陸が・・・・・オレの、オレたちの——————」
ユーラシアの意識が覚醒する。
「・・・・・」
「ユグドラシル?」
「オレの、せいじゃねえか・・・・・オレが、暴走さえしなけりゃ・・・・・怨みを抱かせることも、暗黒世界に落とされることもなかったんじゃねえか」
暗黒世界。
それは、竜族が存在していた頃からあった概念である。むしろ、今まで受け継がれていたのだが、人類でその存在を知る者は少ない。知っての通り、闇に関する魔法なため、魔族だったアートたち闇の世界の者の方が詳しい。
そしてシエルもその単語には聞き覚えがあるため、即座に反応を見せる。
「え? 今なんて言ったの?」
聞き間違いであって欲しい、最もあって欲しくない可能性。
「暗黒世界とは、何でしょうか?」
ガルドは、聞いたことすらない様子。
しかしユーラシアに二人の声は届いていない。
「・・・・・最後の希望すら、オレのせいで無駄にさせちまった——————」
そのままユーラシアは意識を失ってしまったのだった。




