279話 刹那凍刃
時刻は正午を回っているというのに、街中で見かける人はほとんどいない。
まるで誰も住んでいないかのように静まり返り、肌を撫でるひんやりとした柔らかな風のみが聴覚と触覚を僅かに刺激する。
「ここまで邪神の力の影響が目に見えて酷いのは初めてだな」
「皆、大切な者を亡くし、いつ怪物と化してしまうか分からない恐怖から動く気力すら湧いてこないのでしょう。ですがこのままでは、ブラッドアイス一の大国としての尊厳が失われかねません」
ムンテルダルクの市場は、そのほとんどが機能していないため、国内における資金の流れは停止に近い状態にまで鈍化し、ましてや国外との貿易など全くもって機能していない状態。
しかし、国王であるガンデルが貯蓄資産を元に国内経済をある程度支えているからまだ大丈夫なものの、国外との経済は機能していないため、他国から見限られ、置いていかれてしまうのも時間の問題。
いずれブラッドアイスにおける20ヵ国の国際会議も、19ヵ国の国際会議へと変化してしまうことだろう。そうなればもう手遅れとなってしまう。
ただ、今回の竜王の真相を伝えることだけでなく、国内の状況を少しでも改善しようと、日々ガンデルから国民に呼びかけをする機会を設けることも容易ではない。それほどまでに皆外へ姿を見せないのだ。
しかし、ムンテルダルクの結界付近へと足を運んだそこには、多くの人々の姿が。
街中でこれほど多くの人々を見ることすら久しぶりなのに、よりにもよって普段なら最も近づかないように皆が心がけている危険区域と安全区域を分ける結界付近に多くの人々が集まっている。
「・・・・・まさか、先ほどの竜王様の魔法による影響でしょうか? 見渡す限り結界外には一体たりとも化け物の姿は見られませんし」
これら二つの区域を分ける結界は、人が異形の怪物と化した際に発せられる異常なほどの邪悪な魔力を検知し、強制的に結界外へと追いやり閉じ込める仕組みとなっている。そして、ここ安全区域では、ガンデルのエクソシストの力により魔力濃度も調整されているため、結界外にしか副産物の魔物は生まれない。
「直感的に感じた奴らの生命力から、あれくらいの火力は出す必要があったからな。けど、これは少しやばいかもしれねえ」
「それはどういう——————」
ガルドはユーラシアの視線の先へと意識を向ける。
すると、なぜか結界外ではなく、結界付近の結界内にうごめく謎の物体が発生し始める。
それらは次第に全長一メートル弱の個体と化し、頭部がドラゴニュートに似た四足歩行のトカゲのような姿を露わにする。尻尾と呼べるモノはかなり短く、全身が漆黒に覆われている。更に続々と同種の魔物が誕生していくにつれ、早く生まれた個体は徐々に二足歩行へと変化し、両の三本ずつの指の先から鋭い爪が伸びる。
瞳は全体が卵の黄身のような見た目となっており、一目見た瞬間、意思疎通のできない存在であることを理解。
直後、何の躊躇いもなく近くにいる人間へと漆黒の爪を振り上げる。
「シエル」
「分かってる」
短なユーラシアとシエルのやり取りの後、ユーラシアの前へと踏み出したシエルが両手を勢いよく掲げる。
『刹那凍刃』
刹那凍刃・・・・・空気中の水分子に干渉する魔法。意識下に捉える者全てが対象内となり、正しく刹那の一瞬で干渉した水分子を結合させて刃の如く対象者の肉体を蝕むというもの。
一見最強に思えるこの魔法だが、術者の発動の際の魔力量が対象者よりも多くなくてはならないという条件がある。更に、水分子は魔力で発生させたものではなく、空気中の至るところに存在しているモノであるが、分子の中に魔力を含ませる必要があるため、竜族には通じない。
未知の魔物は一体残らずブロック状に切り刻まれ、地へと帰って行った。
「——————信じられません。先ほどの竜王様の魔法も、今し方目にした竜姫様の魔法・・・・・魔法だと意識できた頃には、すでに魔物が消えていたなど・・・・・私は夢を見ているのでしょうか?」
あまりの非現実的光景に、現実が受け入れられず唖然とするガルド。
「シエルの魔法はいつ見ても美しいな。ムダなく静かで、それでいて凄まじい威力を誇る」
「惚れ直しちゃった?」
シエルは冗談まがいに笑って見せる。
「・・・・・あぁ、まぁな」
ユーラシアは予想もしていなかったシエルの一言に一瞬度肝を抜かれそうになったが、微笑み言葉を返す。
魔力の影響範囲や、察知できる範囲、威力では竜王が飛び抜けているものの、シエルの繊細な魔力操作に関しては、竜王すら上回る。
正しくシエルはミラエラの上位互換であり、ミラエラも己の中に流れる魔力を極小まで干渉させることができたからこそ、『エーテルアイス』といった秘奥義と言っても差し支えのない魔法を会得することができた。この時のミラエラならば、今シエルが使って見せた『刹那凍刃』も実現可能だったが、それでも『白銀の贈り物』は、ミラエラが登り詰めた境地でさえ、数歩届かない。
国民は誰一人としてシエルが放った魔法だと気がついておらず、目先に視線を釘付けにしたまま、呆然と立ち尽くしている。
そんな様子を見かねたガルドが国民たちへと注意喚起を促す。
「ここは危ないので、近づかないでください。今この国には、ドラゴンスレイヤーだけでなく、剣聖と勇者様も来られています。ですから希望を捨てず、ともに戦いましょう」
戦うとは、物理的なことではない。
恐怖に対する不安な気持ちと戦うということ。
ガルドとて怖いのだ。
怖くないわけがない。
国王であるガンデルとていつ怪物になってもおかしくなく、そうなれば保たれている結界も無事でいられるかは分からない。
しかし、今のガルドは恐怖にも勝る希望を得た。
それは、勇者の存在であり、剣聖の存在であり、竜王・竜姫の存在である。
ガルドの言葉を受けた国民たちも、暗かった表情に光が差し始め、笑顔さえ見られる。
「勇者なら、必ず救ってくれるから安心しろ」
再度ユーラシアは、ガルドへと確信的な言葉を放つ。
しかしガルドは頷くでもなく、笑みを浮かべた。
「そうですね。ですが、おこがましいかもしれませんが、私は貴方方のことも信じさせてもらうこととします」
「フッ、そうか」
最近、人に信頼されることが増えてきたのは、ユーラシアにとってはとても嬉しいこと。
どこか学生時代を思い出させる感情。
その後、ユーラシアたちは結界を抜け、ブラッドアイスの外壁を目指すのだった。




