君との記憶
早朝、『禊ぎの儀式』は行われる。
『禊ぎの儀式』では、華童子の人間的人格を喪失させるものだ。
喪失――今まで日常生活で『鞘』によって抑え込まれていた、『狂い』を解放させること――
そうすることで、より感覚機能を向上させ、精密な薬を大量に生産することが可能になる。
完全に、人間として壊れるのだ。
『鞘』の役割も半ば不要となり、
生きる屍となるか、食料になるか、稀に保護されるか。
そしてそれは、囲ヵ原には関係ない。
囲ヵ原焔は、この日の為に白月が仕立ててくれた着物に、袖を通す。
ほんのり香る白梅の香。
彼はこの香りをひと時も忘れなかった。
忘れられなかったし、忘れたくなかった。
すべては、あの人を手に入れるために。
「……」
紅の帯に、黒地に白の藤がよくはえる。
白月は、相変わらずセンスがいい。
焔は自分の髪を手ぐしで整える。
闇色の髪…光を還さない色。
これから彼は、華童子まひるの人格を壊す。
永遠に開かない地下庭園に、閉じ込めるのだ。
自分の暗い瞳を鏡で確認してから、自室を出た。
『禊ぎの儀式』を行うための場所である、囲ヵ原の庭の泉には、壇が造られている。
壇上へと続く階段の先には、すでに『鞘』と華童子が座らされていた。
屋敷内にいるすべての人間が、その周りを円で取り囲んでいる。
泉へと続く踏み石を辿りながら、焔はさりげなく白月の姿を探す。
だが従者・侍女の数は六十近くいる。
白月の姿を見つける前に、泉の前まで来てしまった。
壇の前には、艶やかな紫の衣を羽織る母上が控えていた。
その表情は見なくとも、焔には想像できた。
だがら見ない、見る必要もない。
ぎし、と階段を鳴らしながら、空に上がっていく。
眼前には緑の地平線、そして二人の俯く姿。
『鞘』はさすがに二週間の絶食期間は応えたらしく、辛そうに打ち伏している。
だが、華童子は変わらない。
腕を五つもの手錠と鎖で拘束され、足首には三つの足枷と鎖で拘束され、猿ぐつわを口にはめられつつも――
華童子は絶望しきった顔を、変えていなかった。
焔の前に戻ってきた時から、華童子はその赤い瞳に無を宿していた。
だが、そんなことは彼にとってどうでもよかった。
焔は右手に持っていた、冠を空にかかげる。
その冠から電気が通され、華童子の脳を直接壊すのだ。
久遠の昔から、行われてきた凶器の儀式。
くるってる。
焔は心の中で毒づいた。
彼を取り巻くすべてのことに。
蒼い瞳に冠をのせる――その瞬間。
強風。
慌てて体制を取り直す焔。
立ってられず、壇に手をついてしがみつく。
「こっちだ、まひる」
轟音に交じって、声が聞こえる。
焔は辛うじて顔をあげることができた。
彼の頭上には、一機のヘリが浮いていた。
華童子はすでにいない。
いるのは『鞘』と、転がる枷と鎖だった。
ヘリの音が遠のく。
悲鳴、奇声。
さらわれちまったよ、どうしよう。
華童子さまが、さらわれちまった。
なんてことだ。
緩やかになる風、呆然とヘリを見つめるしかない焔。
彼に呼びかける、『鞘』。
「よかったですね、焔様」
白髪を風に揺らしながら『黒霧』だった彼が、焔に微笑みかけていた。




