第二十話
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声を返すと、彼女の体により力が入るのが伝わってきた。
姿は見えずとも、緊張しているのが容易に想像出来る。
こんな所まで何をしに来たのかは知らないが、これでは会話すら満足に出来そうにない。
(とりあえずはまあ、気配を消してあげなきゃね)
これでも日本では一般学生として社会に紛れていたのだ。
自然体ならいざ知らず、極限まで気配を薄めれば与える嫌悪感も抑えられる。
いつも通り、簡単な作業だ。自分の存在が、大気に紛れていくイメージ。
しかし、特別な工程を必要としない、鉄にとっては呼吸に等しい程に慣れ親しんだその行動は、予想外の事態によって中断された。
音が届いた。
背を預けた大木の向こう、マリアの動く音だ。
靴が地を離れ、付着した土がパラパラと落ちる。衣擦れの音と共に、持ち上げられた右足が宙に留まる。
迷いを振り切るように、覚悟を試すように。
湿った地面に必要以上の力を持って再び落ちる。初めにあった位置から、一歩分鉄の下へと。
前進の動きだ。
呆気に取られる鉄の後方、パタパタと足音が近付いてくる。
魔獣でさえ足を踏み入れない鉄の気配の中を、確かに恐れを感じながら、しかし全身で受け止めて進んでくる。
鉄が慌てて気配を消すのと、マリアが大木の下に到着するのは同時だった。
一瞬の間を置いて、マリアが踵を返す。
そのまま隆起した根の一つに座り、鎧の背中と大木がぶつかる音が響く。
同じだ、と鉄は思う。
満流と話した時と同じ、大木を挟んで背中合わせだ。恐らく腰を下ろした根さえも同じだろう。
意図しての事か、そうでないのかはわからない。そもそも、マリアの目的が鉄には全く見当も付かない。
「……あの、ありがとうございました」
やがてマリアが口を開く。
どう答えようか、いや、そもそも答えていいのだろうかと首を捻る。
気配を消しているとは言っても、声から嫌悪感が伝わる事もある。
少し考えて、まあいいかと結論を出した。
全く希釈していない鉄の気配の中を突っ込んでくるような人間だ。その程度は我慢する覚悟があるだろう。
「……感謝されるような事、してないよ?」
とはいえ、鉄にはその感謝に心当たりがない。
何の事だろう、と考えていると、
「湖で助けてくれたの、貴方ですよね? その後バレットさんの武器を持ってきてくれたのも」
予想外の答えに、今度は鉄が体を硬直させる番だった。
気付かれていた。
別に都合の悪い事でもないし、マリア達には既に満流との会話を聴かれている。
隠す必要は無いが、絶対に気付かれていないと思っていただけに驚きは大きい。
これでマリアに見破られるのは二度目だ。恐らく、森での一件の犯人も鉄だと分かっているだろう。
「……気配消すのには自信あったんだけどね。いつ気付いたの?」
「私が襲われた時、一瞬凄く怖い感じがして、その後あの大きな魚が逃げて行って……野営地で魔力を感じて、バレットさんの剣が戻って来た時、思ったんです。ああ、きっと同じ人だ、って」
「それが僕だと思ったのは何故?」
「あの……湖で感じたのと、気配が一緒だったので……」
ここに来た事といい、彼女には驚かされてばかりだ。
湖で鉄が発した殺気は非常に弱い物だった。魚がそれを感じ取ったのは、直前に殺気をぶつけていたから敏感になっていただけに過ぎない。
事実、他の冒険者はもちろん、人間よりも優れた本能を持つ魔獣ですら気付かなかった程だ。
それを目の前まで死が迫った状態で感じ取る感知能力、冷静に分析する胆力。
大物だね、と鉄は苦笑する。自分が手を出さなくても彼女はなんとか助かったのではないかとさえ思う。
「そっか。凄いね、君」
「え? いえいえ! 私なんてそんな。ただ子供の時から何かを見付けるのが得意で……探知系の異能もありますし……」
素直な賞賛を送ると、驚いたような声が返ってきた。
あわあわと謙遜を重ねるマリアの声を聴きながら思考する。
言われてみれば、確かに彼女の態度には不自然な点があった。
森の中、バレットの剣が戻って来た時、誰もが不安を覚える中、彼女だけが平静を保っていた。
律儀そうな性格なのに自己紹介をしていないのも、恐らく鉄が全員の名前を知っていると推測しているからだろう。
そんな思考の中に、あ、と。何かを思い出したかのようなマリアの声が飛び込んでくる。
「あの、えっと……マリア・リゼットです」
「……あ、うん。見崎鉄です」
沈黙が生まれる。
どうやら忘れていただけだったらしい。
「それで、その……一人で旅をしていると聞いたものですから……」
沈黙を払ってマリアの声が響く。
よいしょ、と掛け声を残し、重い物が地面に置かれる音がする。
「色々と役立ちそうな物を持ってきたんですけど……」
えっ、と再びの驚きが鉄の思考を奪う。
確かに何か荷物を持っているのはわかっていたが、RPGで言う回復アイテムの類だと思っていた。
「あの、ここ、置いておきますので……よかったら使って下さい」
「……ありがとう」
ようやく、その一言だけを絞り出す。
わざわざこんな所まで礼を言いに来たばかりか、鉄の状況を聞いて物資の援助までしてくれるとは。
この距離で、今も鉄の声から嫌悪感を全身に巡らせている筈なのに。
まさに女神だ。ああ、マリアってそういう事かと一人納得する。
目頭が熱くなるのを感じていると、再びマリアから声がかかった。
「……えっと、異世界の方、なんですよね? 何か聞きたい事とかあれば、解る範囲でお答えしますよ……?」
なんと、それだけでなく質問にも答えてくれるという。
とはいえ、満流に粗方の話は聞いた。特に他に聞きたい事はあっただろうかと思考する。
そういえば、と。知りたい事があったのを思い出す。
「じゃあ……君たちが飲んでたスープの作り方、教えて?」
野営地で。商人と共に街道で。
幾度となく彼らの食卓に並び、鉄の爪をボロボロにした元凶。
あの黄金色に輝くスープの作り方を、遂に鉄は盗み見る事が出来なかった。
「はい! でも、凄く簡単ですよ?」
嬉しそうに返事をして、マリアが話し始める。
「アキナ草、って植物がありまして。それの根を洗って、細かく刻んで煮るんです。後は塩と胡椒で味を調えるだけで。乾燥させればいつでも料理出来ますし、冒険者にとっては有難い植物なんですよ」
「へえ、確かに簡単そうだね。で、そのアキナ草の見分け方は?」
「えっと、小さな白い花が付いてて。しなってしてて、ふわってしてます」
「……あ、うん。わかった、探してみる」
女神は説明が下手だった。
とはいえ、文句は言うまい。白い花というのは分かったのだ。
しなってしてて、ふわってしてる物を探せばいい。最悪、白い花を付けた植物の根を手当たり次第に煮ればいつか見付かるだろう。
お役に立てたなら良かったです、という彼女に文句を言う奴はきっと男じゃない。
「それと、もう一つだけいいかな?」
「あ、はい。なんでしょう」
ごめんね、と内心で謝る。
姿が見えないとはいえ、この至近距離で鉄と会話を続けるのは辛いだろう。
しかし、謝罪を口に出す事はしない。それは耐えてくれている彼女への冒涜だ。
せめてこれを最後にしようと、鉄は質問を口にする。
「闇属性の魔法の使い道って、わかる?」
火、水、土、風の属性は短い旅の中で何度もお世話になった。そしてこれからもその利便性は変わらないだろう。
しかし、闇だけが使う機会の無いままだ。特に使いたい訳でもないが。
闇といえば光と対になる物だ。しかし闇には明確な長所がない。
満流の使う光の魔法は、文字通り光の速さでの攻撃が可能な強力な属性だ。鉄でさえ見てから反応を返すのは不可能だろう。
王都の前であれを見た時、鉄は自分の事を棚に上げてそんなんチートや!と叫びたくなった。
だが、闇は光速を持たず、日常生活で使うような事もない。
レア属性だというのに、宝の持ち腐れもいいところだ。
「あの、それなんですけど……古い記録を調べてみたら、防御、隠密に長けた属性と書いてありました」
おずおずと、マリアが答える。
防御、隠密……と考えるも、どちらも鉄には足りている。
そもそも、魔力探知が主流のこの世界で魔法と隠密が繋がるとは思えない。
「んー……一度、闇属性の魔法を使って貰ってもいいですか? もしかしたら何か解るかも知れません」
そんなマリアの言葉に、久しぶりに闇属性の魔力球を生成する。
改めて観察してみるも、やはり特別な所は見当たらない。
やっぱりハズレ属性なのかな、と思った時、再び後方から声が届いた。
「あ、あの……もしかして今、魔法使ってますか?」
「え? うん、使ってるけど……」
目の前の黒い球体をふわふわと動かす。
どうしたのかな、と訝しむと同時、興奮したようなマリアの声がかかる。
「ぜ、全然、魔力の欠片も感じないです! ……凄いです。これだけ近くにいるのに、私の異能にも引っ掛からないなんて……」
聴こえた言葉に、思わず魔力球を凝視する。
魔力を感じない魔法。
もしかして、闇って光に負けないレベルのチート魔法なんじゃ……という思考の後、一つの可能性を思い付く。
闇の魔力球を消して、火の魔力球を生成する。
「ね、今は魔力感じる?」
聞くと、感じます、と返ってきた。
火ですよね、という言葉に、正解、と返して魔力球を消す。
「じゃあ、これはどうかな?」
もう一度魔力球を生成する。
先程と同じ、見た目には何の変哲もない火属性の魔力球だ。
「……いえ、今は何も」
しかし、マリアの魔力探知には反応がないらしい。
やっぱり、と頷いて、魔力球を大木を迂回させマリアの下までゆっくりと飛ばす。
ややあって、再びマリアの驚く声が響いた。
「えっ! 火属性? でも魔力が……」
感じ取れない、とマリアが呟く。
魔力球を消して、驚くマリアに種明かしをする。
複合属性だ。
魔法の本には載っていなかったが、恐らく可能なのだろうとは思っていた。
鉄が読んだのは初級編。きっと本の中で紹介されていた応用編には書かれているのだろう。
火の魔法に、闇の特性を付与する。
初めての試みなので不安はあったが、単純なイメージだけで成功して良かった、と思う。
それにしても……と考える。
魔力での探知が不可能なだけでなく、他の魔法にも同じ特性を付与出来る。
そして、他にもまだまだ解っていない特性がありそうだ。
ハズレ属性なんてとんでもない。十分にチートな属性だ。
しばらくの間、鉄とマリアは二人で凄い、凄いと言い合った。
「じゃあ、私はそろそろ」
「うん、気を付けて。とは言っても、ここら一帯に魔獣は寄って来ないと思うけど」
マリアが立ち上がり、鉄が応える。
見送れないのが残念だが、この大木の陰から出る訳にもいかない。
来た時よりも遥かに軽い足取りで、マリアの足音が遠ざかって行くのが聴こえる。
「……ありがと、マリアさん」
「こちらこそです、クロガネさん」
一瞬足音が止まったのは、こちらを振り返ったからだろうか。
すぐに歩みは再開し、真っ直ぐに川の方へと来た道を辿って戻って行く。
闇属性についての質問をした時、彼女は確かに言った。
古い記録を調べてみた。
昨日の朝満流と話した内容を聞いて、鉄の為に調べてくれたと考えるのは自惚れすぎだろうか。
闇の魔法に関しても、特性の把握は自分一人では不可能だった。
本当に、彼女には感謝してもし切れない。
良かった、と思う。
異世界に来て良かった。
湖で彼女達に出会って良かった。
あの時助けるという選択をして良かった。
そして何より、
「……何も盗まなくて、良かったぁ……」
もし成功していたら、間違いなく彼女に気付かれていただろう。
あの女神の顔を曇らせる結果にならず、本当に良かったと心から思った。
情けは人の為ならず。
異世界に来て、鉄は初めてその諺の教えを実感した。




