第十九話
パチパチと、薪の爆ぜる音が響いている。
深い森の中、大木の根に鉄は腰を下ろしていた。満流と会話した時と同じ格好だ。
異世界に来て一週間。薪集めや魔法での着火はもうお手の物だ。
焚火の燃える明かりの中、鉄は背中を丸めて集中していた。
右手に持ったナイフで、左手の枯れ枝を細く削っている。
ぐ、と固い手応えと共に右手が止まる。枯れた枝でも、芯と言うべき硬い部分は残っているのだ。
左手はそのまま、ナイフに少しずつ力を込めていく。
踏ん張りどころだ。自分に喝を入れ、更に鉄は集中を深くしていった。
「……あーあ、また失敗だ」
芯は断った。
だがそれだけだ。細く削った枝は大きく罅割れてしまっている。
これではもう使い物にならない。鉄は裸になった枝を火の中に投げ入れた。
良く見ると、火の中では同じように細く削られた枝が幾つも燃えている。
その枝の数は、鉄の失敗の数に等しい。
思ったより難しいなぁ、と溜め息を吐く。
次の枝を掴もうと左手を動かすも、その手は空を切るばかりだ。
疑問視のままに左を見ると、そこに積んであった材料の枝は既に底を付いていた。
どうやら、自分の不器用さを侮っていたらしい。
鉄は暗い空を見上げて、もう一つ大きな溜め息を吐いた。
薪用の枯れ木はまだ残っている。
材料にしていたのは、そんな枝を短く切っておいた物だ。
積んである枯れ木をもう一度切れば材料は出来るのだが、既に鉄にはそれだけの気力も無い。
今の鉄に出来る事は、火の中で揺れる残骸を虚ろな目で見詰める事だけだ。
果物と汁だけの食事を終えた時、ふと思い出したのが始まりだった。
そういえば、箸を作ろうと考えてたんだ。
思い立ってからの鉄の行動は速い。追加の薪を集め、中でも真っ直ぐな物を数本選んで短く切った。
後はそれを慎重に細くするだけだ。いくら不器用な自分でも、それくらいは出来るはず。
舐めていた。
いざ始めてみると枝は折れ、割れ、無駄な所まで削れていく。
同じくらいの長さの枝を二本持ってきて皮を剥いだだけの方が、まだ箸に見えるだろうというレベルの木屑ばかりが出来上がる。
一向に上手くいかない作業にイライラが溜まり、そこから生まれた焦りが失敗を呼び、更にイライラが溜まるという悪循環。
遂に枝を一本握り潰した所で、ようやく冷静さが帰ってきた。
そうして最後に残った一本も、先程薪の足しになってしまった訳だが。
「うーん、どうしよっかなぁ」
箸作りは駄目だ。まともな物が出来る気がしないし、精神が限界だ。
食糧探しも却下だ。昼に見付からなかった物が、いくら夜目が効くとはいえ夜の闇の中で見付かるとは思えない。
夜にだけ光るキノコでもあるなら話は別だが、流石に一点読みが過ぎる。そもそもそんな怪しいキノコは食べたくない。
折角王都まで来たのだから探索するのもいいが、満流がいるとなるとそれも気が引ける。
知り合いのいる街で「そういうこと」をする勇気は無い。
考え事をしようにも、満流から聞いた情報は既に頭の中で整理済みだ。
今までって何やってたっけ、と大木の幹に背を預けて考える。
一日目。
異世界に来て、拠点を作り当面の方針を決める。夜盗賊に出会う。
二日目。
盗賊のアジトで調味料などを拾い、言語、魔法を習得する。
三日目。
森で狼を狩り、拠点を移動する。夜は街に入って物資を調達。飲酒初体験。
四日目。
森の中にある湖で冒険者と出会う。ストーキング開始。
五日目。
王都到着。天野満流に出会う。ストーキング終了。新拠点作成。
六日目。
天野満流と情報交換。川で魚を狙うも成果無し。今に至る。
思い返してみると、なんだか急ぎ過ぎているような気がする。
目標はあるが、もう少しゆっくりしてもいいだろう。向こう何十年も時間はあるのだ。
どうせ満流がアルファルドの周辺国の情報を持ってくるまで移動するつもりは無い。
しばらくはのんびりしよう。
そう考えて、鉄は幹に寄りかかったまま目を閉じた。
のんびりと言っても、ここには娯楽が無い。
ひとまず睡眠を選択した鉄は、ゆっくりと意識を闇に沈めて行った。
時は遡り、アルファルド王都。
そのギルドの前で、一人の少女が腕を組んで立っていた。
レイヴンだ。
落ち着かない様子で辺りを見回し、何度も腕を組み直している。
「お、国王様おはよーっす」
「うむ、おはよーっす」
依頼を漁りに来た冒険者の野太い声に応える。
礼儀も何もない会話だが、レイヴンは気にした様子を見せない。
そんな物は、上流階級同士の堅苦しい場面だけでやっていればいいのだ。
そう思いながらも、その態度は落ち着きを得る事はない。
そんなレイヴンを見て通行人が微笑んで立ち去って行く事にも気付かず、レイヴンは大通りを見回し続ける。
ようやく目当ての人物が姿を現したのをレイヴンは見付ける。
バレット、そして『マガツ』の面々。満流の動向調査を依頼した冒険者達だ。
急いで駆け寄る。
「国王様……いつまでかかるか分からないんですから、こんな所で待っていなくても……」
「もう少し遅かったら城に戻っていたがの。それで、どうじゃった?」
問いの直後、バレット達が露骨に難しい顔をしたのをレイヴンは見た。
否、彼らは最初から何とも言えない表情を浮かべていた。それが問いによってより深くなっただけだ。
この場に満流はいないが、『マガツ』がここにいるという事は満流も王都に戻っているという事だろう。
今は報告を聴くのが最優先だ。
そう判断したレイヴンは、『マガツ』を引き連れてギルド長室へと向かう。
ギルド長も交えて聴いた報告に、レイヴンは身を固くしていた。
ただならぬ様子で朝早くから森へと向かった満流。その姿を尾行すると、森の中で人と会っていたという。
名はクロガネ。どうやら満流と同じ異世界人らしい。
そこまで聴いてまず驚いた。そして次に焦りが生まれた。
レイヴン自身、満流を召喚した魔法に関して良く解っていない。
満流を召喚した時に他の人間を巻き込む可能性は無いとは言えないのだ。
ただ巻き込まれただけか、最初から複数人を召喚する魔法だったのか。どちらにせよ、魔法の無い世界で生まれた人間が森で生きていける筈も無い。
今まで良く魔獣に襲われなかった物だ。しかし、その幸運も永遠には続かないだろう。
早急に王家で保護する必要がある。
だが、ふと疑問に思う。
ならば何故、バレット達はそのクロガネという人間を連れ帰って来なかったのだろう。
その疑問は解決を前に、より強い衝撃に塗り潰された。
曰く、その男は無理矢理魔法を再発動させ、そこから入り込んで来たのだという。
有り得ない話だ。非常識だとか、そういう言葉で括れる程の話ですらない。
レイヴンは思う。真実である筈がないと。
クロガネという男が嘘を吐いているか、或いは夢と現実の区別が付かないだけか。
レイヴンは思う。そうに違いないと。そうであってくれと。
そして、有り得ない話はそこで終わらなかった。
森の中でヘルハウンドの王よりも速く走り、それを討伐。
盗賊を不意打ちで倒し、逆にアジトから物を強奪。
更には火、水、土、風の四属性に加え、光と同じく伝説級である闇属性まで使用可能。
そして、何より。
あの天野満流が、それを全て信じている。
何一つ嘘は無い筈だと肯定している。
(馬鹿な……そんな人間がいる訳がない)
異世界の人間が化け物じみている、という可能性もあるが、レイヴンは以前満流に異世界の話を聴いた事がある。
その時、満流は言っていた。
満流の生まれ育った世界は、ここよりも安全で、故に人間は便利さだけを求めて生きていたと。
魔法も無ければ、魔獣と戦う事も無い。当然、身体能力はこの世界の人間よりも大きく劣ると。
「……お前達は、どう思っている」
ようやく言葉を絞り出す。
「先の話が真実かどうかは、まだ何とも。しかし……アレだけは、絶対に敵に回したくないですな」
返ってきた言葉を、頭の冷静な部分では予想出来ていた。
バレット達の表情を見て、少なくとも彼らは百パーセント嘘だと思っている訳ではないと。
そう思わせる何かがあったのだと解っていた。
ミレーネという街がある。
王都からアルファルド大森林を挟んで南東の位置にある街だ。
つい数日前、そこで一台の馬車が襲われた。
積荷がほとんど奪われていた点から、盗賊の仕業だと断定された。
元々その辺りでは盗賊被害が比較的多く、その商人達は遠方からの行商だったのでそれを知らずに被害に遭ったのだ。
そして、王都手前でバレット達を襲ったヘルハウンドの群れ。
ヘルハウンドの群れは、魔獣の特性上一匹の王を中心に作られる。
襲ってきた群れに王が居なかったのは、恐らく何らかの理由で群れからはぐれた数十匹が空腹のあまり無茶な狩りに走ったのだと思っていた。
辻褄が合う。
合ってしまう。
盗賊被害は確かにあった。
王のいないヘルハウンドの群れも現れた。
クロガネの話の通りに。
とんでもなく有難い話だ。
盗賊を討伐してくれたのならミレーネの住人も安心だし、行商も活発になりアルファルドは更に発展するだろう。
長年頭の悩ませ続けていたヘルハウンドの王を討伐してくれたというのは、王家から感謝状でも贈りたい程の功績だ。
その話が真実だったのなら。
馬車を襲い、荷物を奪ったのは本当に盗賊だろうか。
本当はクロガネが犯人で、目くらましに盗賊の名を出しているだけかも知れない。
疑い始めたらキリがない。ヘルハウンドの件だって、魔獣を操る、なんて異能を持っていたら王を隠して襲撃させる事も可能だ。
そして王は討伐されたと油断したところで、何かを企んでいるという可能性だってある。
危険だ。
それ程の不確定要素を、王都周辺に野放しにしておくのは。
しかし、こちらから下手に動くのはより危険だ。
そもそも、今の王都にそれだけの余裕は無い。今朝も、面倒な仕事が一つ舞い込んできたばかりだ。
保留じゃな、というレイヴンの言葉に、バレット達が露骨に胸を撫で下ろすのが見えた。
一度ミツルにも話を聞いてみる、というレイヴンの言葉で報告を終えた。
精神的に疲れたのだろう。『マガツ』の面々は、口数も少なく宿へ戻って行く。
マガツニジマダラダケの採取で、しばらくは贅沢が出来る程の報酬を手に入れた。なので、数日は依頼を受けず王都で休養を取る事にしていた。
「あ、私ちょっと買い物してから戻りますねー」
ただ一人、そう言って街の雑踏の中へ消えていくマリアを見て、タフだなあ……と全員が思った。
鉄は幹に預けた体をゆっくりと起こし、首を左右に曲げて小気味良い音を二度鳴らした。
目を開ける。
既に日は昇っている。頭上に生い茂った葉が陽光を遮断してくれているお蔭で眩しくはない。
朝だ。消し忘れた火は、既に薪を失い鎮火している。
どうやら随分長く寝ていたようだ。
疲れてるのかな、と思う。何事も無ければ、もっと長い時間眠っていただろう。
鉄の聴覚が、足音を捉えていた。
探知範囲に誰かが入った事で目が覚めた。
体は既に警戒態勢、寝起きにして脳は既に覚醒している。
便利な体だ。そんな考えに苦笑しつつ、鉄は身を隠すべく荷物を纏め始めた。
(……いや、ちょっと待てよ)
聴覚に意識を集中させ、動かそうとした手を止める。
そのまま少しだけ固まり、やがて鉄は先程までと同じように幹に背を預けた。
隠れる必要は無い。あえて気配も消さないでおく。
ジャリ、と音がして、大木の向こうに到着したのがわかった。
知っている足音だ。常に音を殺すのが癖になっている。これほど特徴的な足音を立てる人間はそう多くないだろう。
大木を挟んで向こう側、足音が立ち止まった。
「……あのっ、クロガネさん、いますか……?」
自分に喝を入れるように少し大きく、しかし震えを隠しきれない声が響く。
鉄は気配を消していない。いるのは分かっている筈なのに、律儀だね、と思いながら。
「うん、いるよ」
声を返す。
大木の向こう、マリア嬢へと。




