第二十一話
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マリアの足音が森の出口に差し掛かった頃、鉄は消していた気配を戻した。
遥か遠くで異常を察知した生物が逃げて行く音が聴こえる。
聴きながら鉄は立ち上がり、大木の反対側、マリアがいた場所へと回り込んだ。
そこには大きな布の袋が一つ置いてある。
女神が残して行った物だ。
鉄は森の中を歩いていた。
腰には魔法の鞄、目線は森の地面へと注がれている。
アキナ草探しだ。マリアの言では、しなってしててふわってしてる小さな白い花をつけた植物という事だったが。
難解な説明だが、鉄には不安は無かった。
「なるほど、これは確かに、しなってしてて、ふわってしてる」
呟き、手元に目を落とす。
鉄は一冊の本を開いていた。
そこには植物の絵が描かれ、空白には文字が綺麗に並んでいる。
ページの一番上には、この世界の文字で「アキナ草」と書かれていた。
マリアに貰った道具その一、植物図鑑だ。
植物の詳細な絵、主な用途、毒の有無などが何百ページという厚さを持って記されている。
当然、種類も同じくらいの数だけある。
この世界に印刷技術があるかは分からないが、もしかしたらこれは非常に高価な物なのではないかと鉄は冷や汗を流した。
図鑑に描いてあるアキナ草の絵を見る。
茎は一本真っ直ぐ伸びているが、その先の葉は重いのか斜め下に垂れ下がっている。
ただ下を向いているのではなく、緩やかな曲線を描いている辺りが、マリアの言う「ふわってしてる」部分なのだろう。
垂れ下がっている様子が「しなってしてる」とすると、なるほど中々に的を得た表現だ。
見た目は枝垂れ桜に近い。ただし、咲かせている花は圧倒的に少ないが。
「……見付けた」
立ち止まり、図鑑から顔を上げる。
森の中、枝葉が途切れ、太陽光が直接降り注いでいる場所がある。
図鑑に描かれた絵と同じ姿の植物が、幾つも並んで群生していた。
アキナ草だ。
目的の物を手に入れた鉄は、元の拠点に戻って来ていた。
次はいよいよ実食だ。ちなみに群生していたアキナ草は全て採取してきた。
乾燥させれば保存も出来るとの事なので、多くて困る事はないだろう。
初めて扱う食材だが、鉄は不安を感じてはいない。
図鑑のアキナ草のページ、丸く女の子らしい字の書き込みがある。
『美味しい料理方法』
マリアの書き込みだ。
大体の分量、他に使用する調味料まで詳しく書いてある。
ペラペラと捲って見ると、他の幾つかのページにも同じような物が見られた。
内容は多岐に渡り、料理方法以外にも他の類似した植物、それに関する見分け方などが書いてあるページもあった。
どうやらマリアが扱った事のある植物で、図鑑では不十分な所をメモしていたらしい。
恐らく冒険者になってからずっと使ってきた物なのだろう。
そんな大事な物を貰った事に改めて感謝の気持ちが溢れる。
ふと、その割には図鑑に使い古したような感じが無いのが気になった。
もしかしたら、わざわざ新品の本を買って、異世界出身の自分の為に書き込みをしてくれたのでは……?
「まさかね」
そんな疑問を、自惚れが過ぎると一蹴する。
満流と会ったのは昨日だ。十分に時間はあるが、そこまでする義理はない。
鉄は思考を止め、鍋に張った水で大量の根を洗い始めた。
洗い終えた根のほとんどを太陽光の下で乾燥させる。
残った根は一束分。それを煮込んでいる鍋の前で、鉄はじっと様子を見ていた。
沸騰し始めた鍋の中でアキナ草の根が踊り、段々と水の色は透き通った黄金色へと変わってきている。
図鑑に書いてある通り、塩と胡椒を一つまみ入れる。
数回かき混ぜてから、お椀に移して一口を飲んでみた。
見た目もそうだが、味もオニオンスープに近い。
どこか味わい深く、アキナ草の根が食感として残っている。
「……美味しいなあ……」
漏れた呟きには、きっと色んな思いが乗っていると鉄は感じた。
その正体は自分でも言葉に出来なかったが、それでいいんだろうと納得した。
恐らく他の具を入れても問題なく合うだろう。
確かに材料の調達から料理まで難しい事は一つとしてなかった。
なるほど、と頷く。これは冒険者にとって必須となる料理だ。
鍋の中身が空になるまで、そう時間はかからないだろう。
岩の上に鉄は座っていた。
岩は最初からそこにあったものではなく、少し離れた場所から椅子として使う為に持ってきた物だ。
座る鉄の正面、静かな水の音がある。
川だ。
昨日の場所よりも少し下流。川幅は狭くなり、水は深くなっている。
流れだけが、ほとんど変わらずに穏やかなままだ。
気配を消し、石像のように動かない鉄の手には、一本の棒が握られている。
それ自体は何の変哲もない木の棒だ。ここへ来る途中、森の中で拾った物なのだから当然なのだが。
しかし、その先端。昨日まで鉄が持っていなかった物がある。
白く、細い糸が結ばれている。それは真っ直ぐに落ちていき、川の流れの中で穏やかに揺れていた。
マリアに貰った道具その二、釣り道具だ。
手から感じる僅かな感触が、獲物が掛かった事を教えてくれる。
その瞬間に竿を引き、餌に食いついた魚の口に針を食い込ませる。
人並み外れた触感と、反射神経。その両方を持つ鉄が、その工程に苦労する事はない。
後は竿を持ち上げ、暴れる魚を手元に手繰り寄せるだけだ。
「……へへ、もう三匹も釣れちゃった」
傍らにある小さな金属製のバケツには、既に二匹の魚が入っていた。
そこに三匹目を入れて、鉄は立ち上がる。
貰ったのは糸と針、そしてバケツだ。
糸は糸巻きで貰ったので非常に長く、針も代えがきくように数本用意されていた。
どちらも特殊な製法を使っているのか、日本にあった物より遥かに強力だった。
糸を使う分だけ引き千切る時に気付いたのを思い出す。
あれを腕力で千切れるのは鉄の知る限りバレットぐらいだろう。
恐らく鋏か何かを入れ忘れたのだろうな、と鉄は納得した。
隣にある小さな岩を捲る。
その下には、うねうねと無数の小さな赤いミミズのような虫が蠢いていた。
大多数の人が嫌悪感を抱くような光景だが、鉄は躊躇なく手を突っ込んだ。
引いた手にはミミズが一匹身をくねらせている。
それを確認して岩を元に戻すと、鉄はミミズにしっかりと針を通した。
餌を川の流れの中に落とし、鉄もまた座り込んで動きを止める。
釣りはいいなあ、と鉄はしみじみ思った。
こうして糸を垂らしているだけでも、何もせずにボーっとしているのとでは大違いだ。
水の音は耳に心地よく、穏やかな時間が流れていく。
大事にしたいな、と思う。感じる穏やかさも、それを幸いだと思う感情も。
そして何より、
「こんな簡単に、ご飯が捕れるなんて……!」
鉄の触覚が、再び獲物がかかった事を告げた。
鼻歌交じりに鉄が拠点に戻ったのはやはり夜だった。
バケツの中で跳ねる魚は五匹。異世界に来て、久しぶりに豪勢な食事になりそうだ。
焼き魚五匹を豪勢と言うかは少し疑問に思わなくもないが、それを考えるのは野暮が過ぎる。
糸と針は既に木の棒から外して鞄に仕舞っている。バケツを大木の下に置き、鉄は薪を集めに夜の森に戻って行った。
まずナイフで木を細く削る。
細くと言っても、箸を作る事に挫折した鉄にとってそれは難しい作業だ。
結局出来上がったのは親指程の太さを持った歪な棒だった。
しかし鉄はそれを眺めて満足げに頷くと、同じような物を作り始めた。
やがて、五本の歪な棒が出来上がる。
パチパチと燃える火を暫く眺めてから、鉄は料理に取り掛かった。
ナイフを使って魚を捌いていく。とはいえ、内臓を取り出すだけではあるが。
不器用を極めた鉄でも、魚を捌くという一点に関しては自信がある。
かつて興味を持ち、大量の魚の肉片と挫折と共に遂に魚の扱いだけは得意と胸を張れるレベルになった。
あっという間に、鉄の前には内臓を抜かれた五匹の魚が横たわっていた。
しかし、練習したのは魚を捌くまでだ。
料理に関しては完全に素人なので、淡水魚の料理など塩焼きしか出来ない。
作っておいた歪な棒で魚を貫き、多めに塩を振って焚火の横に立てる。
その間に乾燥させておいたアキナ草の根を入れた水を火にかける。
全く料理の出来ない鉄でも、女神の加護の下ではまともな食事を得る事が出来るらしい。
アキナ草のスープが完成する頃、魚もいい具合に焼きあがっていた。
最も手近にあった魚に手を伸ばす。
近くで観察してみると、やはり良く焼けている。
「……いただきます」
齧り付く。
まず感じたのは、表皮のパリッとした食感だ。
その先には熱を持った魚の身がある。力を入れなくても焼きたての身は簡単に崩れていく。
魚の身は仄かに甘く、多めに振った塩がしかし邪魔をせず甘さを引き立て塩味も残している。
品目こそ少ないが、アキナ草のスープがあるおかげで飽きる事はない。
美味しいなあ、と心の中で呟く。今はただ、目の前の食事だけに集中した。
ふう、と一息。量も質も、確かに満足な食事だった。
これで後十年は戦える、と思う。片付けをしようにも、心地よい満足感が邪魔をする。
明日に回すつもりは無いが、後にするくらいならいいだろう。
片付けは後でやる事にして、近くに置いてあった鞄を手に取った。
マリアが持ってきた道具は、既に袋ごと魔法の鞄の方に移している。
鞄の中から鉄が取り出したのはいくつかの鉄の棒だ。
しかし、ただの棒ではない。長さは一定ではないが、全て折り畳まれている。
畳まれている状態でも、それが何なのか鉄にはわかっていた。
マリアに貰った物その三は、簡易テントだ。
テントになる布も薄い物と厚い物が用意されている。夏用と冬用だろう。
棒は折り畳まれた状態でも決してコンパクトとは言えない。マリアの持ってきた袋が大きかったのはこれが原因だ。
三人くらいなら余裕で寝れる大きさだ。しかし、残念ながら鉄以外が使う事はないだろう。
他には地面に敷くシートが一枚、毛布が一枚だ。背中がゴツゴツしそうだが、鉄は気にした様子もない。
そもそも異世界に来てから寝る時はいつも座ったままだった。横になれるだけで満足だ。
テントを使用したとしても、例え冒険者が真っ直ぐ鉄のいる方に向かって来てもこれほど簡単な作りなら直ぐに仕舞えるだろう。
鉄の探知範囲なら、相手が全速力で走って来ても余裕で間に合う筈だ。
隠密行動の妨げにはならないし、何より雨風が防げる。
助かるなあ、と思いつつ、鉄はテントを組み立てにかかった。
テントを組み立て、食事の片付けも終えた。
後は朝を待つだけだが、しかし鉄はテントに潜らず鞄を漁り始める。
マリアに貰った物その四だ。
脳裏に浮かぶのは、鉄に向く事のなかったマリアの笑顔だ。
鉄はこれから、色々な人を犠牲にして生きていく。
盗みにも入るし、戦闘になって誰かの命を奪う事もあるかも知れない。
だとしたら、彼女の行動は善だったとは言い切れない。
しかし、
(嬉しかったなあ……)
来てくれた。
話してくれて、旅の助けになる道具を用意してくれた。
自分の事を考えてくれたという事に、喜びを抑えられないでいる。
(たまにいるんだ。ああいう、とんでもないのが)
森の中で、冒険者達と笑い合っていた時、彼女は楽しそうに笑っていた。
自分と話している時、大木の向こうで、彼女はあの笑顔でいてくれただろうか?
どっちでもいいか、と鉄は思う。目の前に結果がある、それで十分だ。
暗い緑の天蓋の向こう、月が一つ浮いている。
鉄はそれを見上げ、大きな動きで手に持った瓶を呷った。




