第4話 光浄化陣と物語の強制力
イヴェットの叫びと共に、洞窟の奥から微かな光が漏れた。
キュリア──金髪のエルフ族の女性が、杖を構えて駆け寄ってくる。
その姿を見てイヴェットの表情が一瞬和らぐが、それも束の間、すぐに絶望へと塗り替えられた。
「バカ! 来るな!」
警告は間に合わなかった。
「イヴェット! 無事!?」
キュリアが姿を現した瞬間、地面から黒い鎖が噴き出し、彼女の身体を容赦なく絡め取る。
その光景はあまりに唐突であり──そして、前世のゲーム画面で何度も見たはずのシーンだった。
「罠……だったのか……」
イヴェットが苦渋に満ちた表情で歯噛みする。
魔王ユラシーズが、喉を鳴らして可笑そうに笑った。
「クク……仲良く手を繋いで死線へ駆けてくるか、愛らしいことだ。だが救世主よ、正々堂々と全員で私に挑めるなどと夢想していたわけではあるまい?」
魔王は冷酷な瞳で二人を見下ろす。
「お前を心の底から叩き潰すには、目の前で仲間を一人ずつすり潰していくのが一番効率が良くてね。さぁ、その絶望を、特等席でじっくりと味わうがいい」
鎖に拘束されたキュリアが宙吊りにされ、その瞳が一瞬、驚愕で大きく見開かれる。
だが、すぐに状況を冷徹に注視する鋭い光を宿した。
イヴェットが駆け寄ろうとした刹那、
「動くな」
ヴェイグの声が冷たく響き渡った。
キュリアの背後へと音もなく回り込んだヴェイグが、その首筋へ、容赦なく黒銀の刃を突き付ける。
「つっ……」
彼女の小さな悲鳴が、冷たい洞窟にこだました。
◇
『おかしい、順序が違う!』
脳内で警鐘が乱打される。
本来ならイヴェットとの激しい戦闘で互いに消耗し尽くした後に起きるはずの【キュリア捕獲イベント】が、なぜ今、唐突に発生しているんだ。
まだ数合、刃を交えたに過ぎない。
お互いの覚悟を確かめ合うような小手調べの段階で、本気の死闘(イベント条件)には程遠いというのに。
『魔王め……僕の抵抗を見越して、シナリオを書き換えたのか!?』
「なぜ……エルニアくんなの?」
キュリアの震えたような声が耳を刺す。
かつての親愛の情は消え失せ、その表情はただただ、この事態の打破のために状況を判断しているように見えた。
「簡単な話だ」
ヴェイグの口が滑らかに動く。
「救世主を完全に屈服させるには二つの道がある──肉体的敗北か、精神的崩壊か」
『やめろ! これ以上喋るな!』
「今回は後者を選択した」
魔王が杖を掲げると、周囲に不気味な黒い炎が踊り狂う。
「お前の大切な者たちを目の前で切り裂き、絶望の淵に落とす──その方が、より深く魂を支配できるからな」
イヴェットの顔からみるみる血の気が引いていく。
「そんな……卑劣な……」
「さて」
魔王が軽快に指を鳴らす。
それを合図に、キュリアを拘束していた鎖がギリギリと収縮し始めた。
「まずはこの娘からだ。闇騎士ヴェイグよ、貴様の剣で救世主の大切な者を貫け」
『嘘だろ……こんなの、原作にない展開だ!』
心の中で必死に抵抗するも、肉体は魔王の絶対的な命令に従い、キュリアの喉元へ刃を近づけていく。
剣を握る手に、じわじわと力がこもる。
「やめろエルニア!!」
イヴェットが飛びかかるが、目に見えない不可視の障壁に弾かれ、床へと転がった。
「くそっ……!」
「イヴェット……」
キュリアの目に涙が浮かぶ。
彼女は小さく息を呑み──しかし、次に放ったのは思いもよらない言葉だった。
「私に構わないで、イヴェット。……それに、『彼』はまだ死んでいないわ。エルニアくん、あなたのその綺麗な魂は、まだそこに残っているのでしょう?」
その瞬間、衝撃で頭痛が割れるように激しくなる。
まるで全てを見透かすような、キュリアのエルフ特有の感受性が、肉体の奥底で叫ぶ僕の存在を捉えたのだ。
ゲームでも彼女は回復の要であり、勇敢に戦うヒロインだった。
『流死キュリアだ!』
絶望の淵で、微かな希望の光が灯る。
「愚かな小娘め、この期に及んでその様な戯言を」
ヴェイグの肉体が冷笑を浮かべる。
「哀れむ価値もない。往ね」
魔王の冷酷な命令が肉体を駆動させる。
ヴェイグはキュリアの正面へと猛然と回り込み、上段からその胸元へ向けて、右手の黒銀の剣を容赦なく振り下ろした。
このままでは本当に、取り返しのつかないことになる。
『考えろ……僕に何ができる? 前世の知識をフル活用しろ! この極限状態を打開するための鍵は──そうだ!』
キュリアは光の魔法士。触れれば魔族の肉体にダメージを与えられる──!
刹那の思考が火花のように閃いた。
刃が彼女の胸へと届く直前、エルニアは渾身の意志を絞り出し、操られた右腕の軌道を強引に捻じ曲げた。
ぐにゃりと剣の狙いが右へ逸れる。
凄まじい反動に肉体がブレる。
その拍子に、泳いだヴェイグの左肘が、キュリアの肩へと強かに激突した。
「っ!」
焼けつくような激痛が全身を貫いた。
直接神経に針を刺されたかのような衝撃に、洗脳された肉体であっても、本能が反射的に手を引く。
その僅かな隙を、戦友たちが見逃すはずはなかった。
「今だ!」
イヴェットが叫ぶと同時に、キュリアの瞳が気高く輝く。
拘束していた鎖が光の粒となって霧散し、自由になった彼女はエルフ特有の俊敏さで身をひるがえした。
「清浄なる聖域よ!」
両手から放たれたまばゆい白光が、ヴェイグの全身を包み込む。
瞬時に黒い鎧がジュウと嫌な煙を上げ、装甲の隙間から激しい紫電が走った。
全身が沸騰したような熱さに苛まれる。
『成功した……!』
内なるエルニアが歓喜の声を上げる。
「ぐぁあああ!」
ヴェイグの口から苦悶の叫びが迸った。
膝をつきながらも、なお戦闘本能だけで剣を構え直そうとする肉体。
「動かないで!」
すかさずキュリアが、手にした杖の先を槍のように鋭く振り下ろした。
空を裂いた石突がヴェイグの鼻先を掠め、その勢いのまま、彼女は後方に跳んで大きく距離を取る。
「これ以上、苦しめたくないの」
優しさと厳しさが同居した声。
そこには確かに、かつての仲間としての絆があった。
「……ふざけるな」
ヴェイグの唇が忌々しげに歪む。
「この程度で、私を止められると思うな」
『まずい、また肉体が攻撃に転じる!』
美しい跳躍を見せたキュリアへと、再び黒い剣が振り上げられた──その刹那。
背後から飛び込んできた凄まじい衝撃に、息が詰まった。
「がっ……!?」
いつの間に肉薄していたのか。
背後から伸びたイヴェットの両腕が、ヴェイグの身体を文字通り、骨ごと軋ませるような力で羽交い締めにしていた。
死に物狂いの質量に退路を完全に塞がれ、肉体の自由が完全に消失する。
「もう大丈夫だ。俺達が助ける!」
耳元で吠えるイヴェットの声。
友情の力か、あるいは単なる物理的な制圧か。どちらにせよ、ヴェイグの動きが一瞬だけ完全に止まった。
その僅かな隙に、キュリアが序盤の段階では最上位の呪文を紡ぎ上げる。
「光よ! 闇を打ち払え、光浄化陣!」
地面に巨大な光の円陣が描かれ、ヴェイグの足元を埋め尽くした。
神聖な輝きが、肉体を蝕む洗脳の闇を激しく浄化していく。
「小賢しい……!」
離れた場所で見物していた魔王ユラシーズが、初めて忌々しげに舌打ちをした。
加勢しようと杖を掲げるが、神聖な光の障壁に阻まれたように動きが鈍る。
『今だ……この機を絶対に逃すな!』
内なる僕の意識が最後の抵抗を試みる。
意識を極限まで集中させ、全身を打つ光の温かさを味方につける。
これが、洗脳を解除する唯一の希望だ。
序盤のこのレベルでどこまで通用するかは分からない。だが、やるしかない!
「くっ……!」
光の陣がヴェイグの全身を完全に包み込む。
内側から沸き起こる温かさが洗脳の闇と激しく拮抗し、意識の中で『エルニア』としての輪郭が少しずつ鮮明になっていく。
『いける。このまま続ければ、きっと戻れる……!』
イヴェットの腕の中で必死にもがきながら、光が闇を押し返すたびに過去の記憶が鮮烈に蘇る。
幼い頃、笑顔で一緒に遊んだイヴェットの姿。
旅立つ前に交わした力強い握手。
あの日約束した、二人の夢。
「エルニア……戻ってきたのか?」
イヴェットの期待に満ちた声が耳元で聞こえる。涙で濡れた彼の瞳が見える。
こんな表情は、二度と見たくなかった。
ああ、やっと……やっと、みんなの元へ戻れそうなのに。
しかし次の瞬間、頭蓋骨が内側から割れるような凄まじい衝撃が走った。
光と闇の均衡が、無慈悲に崩壊していく。
◇
「フッ……残念だったな」
魔王の冷酷な嗤い声と共に、ヴェイグの肉体が爆発的に活性化を始めた。
イヴェットの拘束を力任せに振り払い、一歩後退する。頭が割れるように痛む。
同時に、禍々しい黒いオーラが全身から高密度で噴き出した。
必死に抵抗していた僕の意識が、底なしの闇へと再び沈み込んでいく。
『こんなの、嘘だろ……。もう少しで、あと一歩で届いたのに……!』
キュリアが必死に呪文を維持し、光の量を増大させる。
だが、その効果は無情にも半減していった。
まるで透明な膜に阻まれているかのように、光が届かない。
内なるエルニアの存在は確かにそこに感じられるのに、肉体への影響力が極めて微弱になっていく。
「魔王の術が……邪魔してる……!?」
キュリアが絶望に声を震わせた。
「正解だ、小娘よ」
ユラシーズが再び愉悦に浸る様子で、悠然と杖を振るう。
「物語には法則というものがあってな。救世主を絶望の淵に追いやるという前提条件──これを覆すことは、何人たらとも許されん」
『物語の……強制力……?』
前世のゲーム用語が脳裏をかすめる。
バッドエンド回避不能フラグ、とでもいうのか。世界そのものが、僕たちの勝利を拒んでいるかとしての絶望感が襲う。
「さぁ、面白いものも見られたことだし、今回のお遊びはここまでにしてやろう。なぁ、我が忠実なる騎士よ」
そう言って、魔王はヴェイグの肩に親しく手を置いた。
「勝負は次回に持ち越しだ。ただし覚えておけ……次に会う時は、容赦なく貴様らを殺す」
ヴェイグの口が、主人の意思とは無関係に自動的に動く。
黒い剣を地面に突き立てると、足元に禍々しい魔法陣が展開し始めた。転移の術式だ。
「待てエルニア!」
「行かないで!」
二人の引き裂かれるような叫び声が響くも、身体はすでに光の粒子となって移動を開始している。
意識が完全に消失する直前、エルニアは祈るように、強く、強く願った。
『ごめん……二人とも。必ず、必ずまた会おう』
最後の、本当に最後の抵抗として、ヴェイグの眼差しに一瞬だけエルニアの意識が宿る。
イヴェットとキュリアがその『温かな光』に気づいた瞬間──。
「さらばだ、我が好敵手たちよ」
魔王の不気味な哄笑と共に、二人の姿は洞窟から完全に消失した。
◇(キュリア視点)
「くそっ……!」
イヴェットが悔しさに地を叩くのを見つめながら、私は痛む身体を押さえて立ち上がった。
「転移の痕跡があります……、が座標はしっかり秘匿されてますね。追う事は難しいでしょう。そして、この洗脳術は並大抵の浄化では解けない。私の力が、まだまだ足りないせいです……」
彼には「追うのは難しい、私の力が足りないせい」と、いつもの『頼れるけれど、無力なエルフのお姉さん』の顔で告げる。
「あれは……最後のは間違いなくエルニアだった! あいつはまだ、あの中で戦ってる!」
私は一度きつく俯いた。
しかし、すぐに顔を上げて、凛とした決意の表情をイヴェットへと見せる。
「でも、大丈夫。エルニアくんは絶対に諦めない人だから。だから、私も諦めず、もっと強くなります」
その言葉を受け、イヴェットが涙を乱暴に拭い、力強く立ち上がった。
「ああ……今度こそ、必ず取り戻す」
悔し涙を流すイヴェットは、今度こそ取り戻すと虚空を見据えていた。
──でも、ごめんなさいね、イヴェット。本当は、追えないわけじゃないの。
私はそっと、法衣の袖に隠された自分の左肩に触れる。
そこには、エルニアくんが肉体の拒減反応に見せかけて私にぶつけてきた、かすかな魔力の痕跡──彼固有の『道標(座標)』が残されていた。
(……ふふ。魔王の絶対支配の中で、私の光の魔法を逆利用して、これだけのメッセージを残すなんて。よく頑張りました、本当に偉い子)
胸の奥から湧き上がる愛おしさと、世界の強制力に対する冷徹な怒り。
そして──しばらくエルニアくんのご飯が食べられないという真実に、別の意味での涙が浮かびそうになる。
はぁ、彼のご飯、先進的でとても美味しいのに……。
(待っててね、エルニアくん。次は、お姉さんがあなたを救う番よ)
二人の視線が、親友が消え去った虚空を真っ直ぐに見据える。
立ち止まっている暇はなかった。魔王が本格的に動き出したのだ。
一刻も早く砦に戻り、守りを固めなければならない。
エルニアの手で、これ以上の犠牲者を出させるわけにはいかないから。
ここまで一挙4話分をお読みいただき、本当にありがとうございました!
前世の知識とみんなの絆で、あと一歩のところまで洗脳を押し返したエルニア。しかし、無情にも発動してしまったゲームの『物語の強制力』によって、再び闇へと連れ去られてしまいました……。
離れ離れになってしまったイヴェットとエルニア。ここから2人の運命がどう交錯していくのか、楽しんでいただけていたら幸いです。
★ 連載スタート記念!1週間連続投稿やります!
本日は4話まで一挙公開しましたが、明日からも毎日更新していきます!
次回の第5話は、明日のお昼(12:00頃)に投稿予定です。
始まったばかりのこの物語を、ぜひ一緒に駆け抜けていただけると嬉しいです!
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